直木賞作家の海老沢泰久さんが亡くなったと、新聞で知った。 2009年8月13日、59歳。
ちょうど小説「青い空」を読み終わったところで、ぜひ続編も読みたいと思っていた矢先だった。
ご冥福をお祈りいたします。
海老沢泰久さんの小説「青い空」の文庫版には、幕末キリシタン類族伝という副題がついている。
物語の時代は1863年。明治まであと5年という頃。主人公の宇源太は百七十年前に出されたキリシタン類族令によって、いまだに厳しい生活を強いられていた。
1727年に村の全員がキリシタンとして逮捕された、それが苦難の始まりだ。奉行所の白州で幼い息子2人が俵詰めにされ、火のついた松明で焼き殺すと責められた。それで宇源太の先祖は棄教したのだ。
それから五世代目。宇源太は言う。「死ねば棺桶に塩詰にされ、江戸の寺社奉行の許しがあるまでは、死骸が腐っても土に埋めてもらえない」「親父もおれもそんなことになるために生まれて来たんじゃない」
キリシタンだった者の家族は、死後も厳しい見分が待っていたのだそうだ。埋葬許可を出す審議の間と、その使者の江戸までの往復の間は、埋葬が許されない。百年以上も前の事で、それも直系親族だけに課せられた無意味な悪法なのだ。
物語は 明治政府が行なった浦上四番崩れまでを語っている。それは残酷なキリシタン弾圧であったのだけれど、希望を残した結末で物語は終わる。これは冒険青春小説でもあるのだ。
宇源太の真っすぐな視線が心地よくて、簡素な文体が品格のある物語を語っている。だから晴れやかな気分で物語は終わるのだ。
「青い空」の読後に鎌倉柳田学舎編集の「改訂版 柳田国男の鎌倉断章」を読んだ。秋田県の「かまくら」について言及してあった。
そこに火祭りの「かまくら焼く」が紹介されてあったのだ。
小正月に行なわれる「かまくら」は村の子供達が行なう祭りで、雪の洞を作って鎌倉明神や水神を祀る。それから鳥追い歌を歌って村中を巡る。そしてキャンプファイヤーの様に大きな火を焚いて、お正月のしめ縄や書き初めの半紙などを焼く。それらの行事すべてを「かまくら」と言って、「鳥追い」という行事と「左義長(どんど焼)」が一緒になった物なのだそうだ。それは秋田に広く伝わる火祭りで、雪のほこらの「かまくら」ではなく「鳥追い小屋」を雪の壁でつくるという所もあるのだそうだ。
秋田県仙北市では「火振りかまくら」という行事になっていて、米俵に落葉を詰めて、それに火をつけて振り回すのだと言う。
柳田国男の鎌倉断章に、「かまくら」で歌われる鳥追い歌が載っていた。村の米を食い荒らす害鳥を村から追い出すために、子供達が歌う歌だ。
その歌詞を見て、驚いた。
小説「青い空」の宇源太の言葉を思い出したからだ。
鎌倉の鳥追いは
頭(かしら)切って塩つけて
塩俵へ打ち込んで
佐渡が島へ追うてやれ
佐渡が島が近くば
鬼が島へ追うてやれ
冷蔵庫の無い時代に、魚や肉の保存には塩をまぶす方法がとられた。だから捕らえた野鳥を塩俵へ打ち込むこともあっただろう。
そして火を振り回す祭りは奈良のお水取りやその他、日本中にあるかもしれない。
でも、火のついた俵が転げ回るのを見たり、塩漬の俵詰めは、それはキリシタンへの拷問、弾圧の現実の姿だ。と思った。
鳥追い歌はキリシタン禁教令以前からあったのかもしれない。キリシタンとは関係ないかもしれない。それでもこの歌を聴いたら、江戸時代の人は、禁教令の弾圧を思い出すだろう。「害鳥」とは、もしかして鳥ではなかったかもしれない。と想像した。
村を救うために、数人の「キリシタン」を犠牲に差し出して、村はずれまで追って行った、そういう悲惨な事件があったのかもしれない。それは私の恐ろしい想像だ。
鳥追い笠を目深くかぶって、顔を隠した着流しで、鳥追いの盆踊りを踊る。郡上八幡の徹夜踊りはそういう古式も残している。キリスト教にも徹夜のお祭りがあるという。
佐渡へ佐渡へと草木もなびく と謡われた佐渡おけさは、佐渡金山が繁栄して人々が集まった事を歌っている。金山には一種の治外法権があって、キリシタンの人達も棄教すること無く暮らす事が出来たのだそうだ。「佐渡が島へ追うてやれ」なのだ。でもその後、佐渡でも百人を超す殉教者を出している。
おわら風の盆 という美しい徹夜踊りを知って、ずっとその言葉の意味をはかりかねていた。鳥追い笠で顔を隠して、集落を踊り流す静かな盆踊りは、もしかして村を追われる人の姿、だったのではないか。「風」とは風魔、忍者、棄教したキリシタン、だったとしたら。恐ろしいある夜の事件を美しい踊りに変えて弔う、そんな妄想に襲われる。
「鎌倉の鳥追い」「鎌倉焼く」という火祭り。そこになぜ鎌倉という名前が出てくるのか。柳田国男の鎌倉断章では、「火を焚く時に歌われる鳥追い歌の出だし」に鎌倉とあるから、としか書かれていない。
鎌倉時代から、あるいはもっとずっと古くアズマエミシの頃から、鎌倉と東北地方は密接な関係があった。アサイナサブロー伝説だけでなく、「鎌倉山」が仙台から先にたくさんあることも合わせて、北日本の首都は鎌倉だったのだと、思う。その「鎌倉」が、江戸時代にはキリシタンの影を背負っていた。そんな風に想像してみる。
その時代に生きていた人達が承認したから、 伝承は今に残っているのだと思う。住民が納得しない虚構でも紙に書いておけば歴史になってしまう。民間伝承は、何を伝えたかったのかさえ理解されずに残って、それも時代とともに薄れて行く。
キリシタンの遺物は21世紀になっても隠され続けている。と思う。TVドラマにも小説にも現れないで、無かった事になっている。先人の苦労の跡を消すような「語らない」歴史を持つ国は不自由な呪縛の在る国だと私は思う。
「幕末キリシタン類族伝 青い空」を書いた海老沢泰久さんに、もっと長生きをしてもらいたかった。その後の、第二次世界大戦中の仏教界とキリスト教界を描いてほしかった。と、しみじみ思う。
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