鎌倉、まぼろしの風景。164 

鎌倉、まぼろしの風景。


          
     

イメージの翼に乗って「星月夜の鎌倉」を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


北鎌倉の石仏

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亡備録 私的用語集
大淀三千風の日本行脚文集


+++キリシタンと江戸文化

110.東渓院菊姫
北鎌倉と豊後竹田

111.キリシタンの二十三夜

112.東慶寺の姫

113.徳川直轄地の
キリシタン

114.キリシタン受難像

115.江戸の幽霊
お岩とお菊

116.江戸の狂歌師
酔亀亭天広丸

117.江戸の蕎麦とお菓子

118.禁止された教え

119.葛飾北斎の1834年
旅する江戸人1

120.近松門左衛門の1719年
旅する江戸人2

121.大淀三千風の1686年
旅する江戸人3

122.大淀三千風の鴫立庵
123.柴又帝釈天の1779年
旅する江戸人4

124.飯島崎の六角の井

125.古狸塚

126.六地蔵・芭蕉の辻と
潮墳碑

127.キリシタン洞窟礼拝堂

128.十字架の菜の花

129.黙阿弥の白波五人男

130.大山の木食上人
旅する江戸人5

133.「忠直乱行」を読む
旅する江戸人6

135.駿河大納言忠長の遺業
旅する江戸人7

136.松平忠長の侍達
旅する江戸人8

137.許六と芭蕉

138.忠直とサンチャゴの鐘
豊後竹田と北鎌倉

139.沖の花(大分 瓜生島伝説)

140.鎌倉の庚申塔1・キリスト磔刑図
141.鎌倉の庚申塔2・嘆きの猿
142.鎌倉の庚申塔3・猿の面

143.曾根崎心中の道行き

144.義経千本桜の幻惑

145.建長寺のジョアン

147.椿地蔵と手まり歌

148.鎌倉という名の火祭り

149.玉藻ノ前と殺生石

151.不屈の第六天社(藤沢)
152.第六天の女神(戸塚)
153.玉縄城の第六天(鎌倉)

154.お花畑と後北条氏

155.落柿舎と鎌倉地蔵

157.平塚の4手の庚申塔

162.十文字鳥居と手水鉢
(藤沢市江ノ島)

163.八橋検校の秘曲と「千鳥」

164.半僧坊と明治憲法

165.夜空にかかる十字架
(明月院の谷)

169.馬頭観音の天衣(1)
170.マリアの石碑(2)
171.マリアの影を石に刻む(3)

172.六地蔵、葎塚(むぐらづか)と芭蕉(山梨県)

173.化粧するお地蔵様

180.大淀三千風のすみれと芭蕉

181.謡坂と善智鳥
(うとうざかとウトウ)

182.善知鳥と江戸大殉教

183.芭蕉の見た闇
(名古屋市・星崎)

186.キリシタンの古今伝授

187.鎌倉仏教とマニ教

188.謎の桜紋

189.西行と九尾の狐

190.○と□ (丸と四角、マリアとイエス)

191.踊場の猫供養塔(横浜市泉区)

193.貞宗院様の遺言(貞宗寺:鎌倉市植木)

194.崇高院様の山門(成福寺:鎌倉市小袋谷)

195.鎌倉光明寺54世松誉上人(書かれた文字1)

196.涌井藤四郎の新潟湊騒動(書かれた文字2)

197.鎌倉大仏縁起・(書かれた文字3)

199.扁額にある記号(書かれた文字4)

200.こゆるぎの松
(1鎌倉の小動)

201.城山公園の石碑
(2大磯の小動)

202.小ゆるぎの里
(3寒川の小動)

203.謡曲「隅田川」と田代城主

204.イボとり地蔵の小石

205.港町の杯状穴


江戸文化に
キリシタンの影響を見る。

見ず 聞かず
言はざる までは
つなげども
思はざる こそ
つながれもせず

(心に思う事を
罰する事はできない)

諸国里人談 巻三一「三猿堂」
菊岡沾凉(米山)著1743年刊



写真集
私説:キリシタン遺物と
その影響下に作られたと思われる
石碑と石仏


亀の蔵

「鎌倉、まぼろしの風景」
の要約。

書かなかったことや
後から書き足す事ども。


知る者は言わず
言う者は知らず《老子》

資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子

Twitter:@ninayzorro

ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)

   
キリシタンと江戸文化

164.半僧坊と明治憲法

 鎌倉五山第一の塔頭、臨済宗建長寺派大本山の巨福山建長寺には半僧坊という神が鎮座している。鎌倉アルプスを縦走するハイキングコースに隣接した半僧坊は、大島と相模湾を望み、富士見台も備えた絶景を誇る。 
 建長寺境内から半僧坊へ向かうと、道の脇に石碑がたくさん建っている。それには半僧坊の建設に賛同した信者たちの寄付金が彫りつけてあって、その総額が巨費であったことがわかる。青銅の十文字鳥居もある。それは昭和の建造だけれど。
参照:162.十文字鳥居と手水鉢(江ノ島)

 半僧坊は静岡県浜松市の奥山方廣寺から明治23年(1890年)5月に勧請された。それはなぜ。そしてなぜ明治23年であったのか。

 参道の石段を上ると、剣を振り上げて翼を広げたカラス天狗の銅像が見えてくる。日本国の守護天使ミカエルの姿に似ていると思う。息を切らせて上りきると、そこが半僧坊だ。

 神殿建設に協力した人達の名前が、大理石に彫られて岩壁にはめ込まれている。垂直な崖が真っ白に光っている山頂だ。そこに大きな洞窟がある、ように思える。その洞窟が見えない様に、半僧坊の神殿が建てられている、のではないか。
 ハイキングコースの方から見ても、岩壁の様子はわからなかった。

 もしかして、ここにあったものを見えなくするための、「半僧坊の建設」ではなかったのか。そう思うと半僧坊という神の姿と明治という時代の特徴が見えてくる様な気がした。

 明治23年に半僧坊が建設される以前は、この崖はむき出しで、誰にも見えていたのだろう。建長寺の半僧坊から覚圓寺のあたりまで、山頂のハイキングコースにそって、たくさんのやぐらがある。五輪塔が彫られたやぐらや、人が何人も入れるくらいの大きなやぐらもある。あの石川五右衛門の墓が上に載っているやぐらもある。
参照:161.ゴエモンの木
 だからここも、そのやぐら群の一つなのだろうと思う。巨大なやぐらが、ここにあるのではないか。
 ここをめざして、江戸時代に善男善女はやってきたのだろう。この崖に向かって祈りを捧げたのだろう、と思った。
 神殿の左の崖に、小さな穴があって、そこに宝暦十一季天(1761年)と書かれた墓碑がある。日輪が彫られた墓碑は今も大切に守られていた。

 建長寺は徳川家康が所領を認め保護した寺だ。その格式ある寺の深い奥山に、参集する人達がいたのだと想像しよう。あの弾圧の厳しかった江戸時代に、建長寺によって守られて来た神域、あるいは見逃してもらえた聖地なのだと思うのだ。
 それが明治になって、危機を迎えた。幕府の庇護が無くなり、仏教よりも神道が台頭してきて、建長寺も困窮したかもしれない。
 明治22年(1889年)2月には大日本帝国憲法が発布される。信教の自由がそこには書かれているけれど、それは条件付きの自由だった。
 日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス、及臣民タルノ義務ニ背カサル限リニ於イテ信教ノ自由ヲ有ス

 後に不敬罪という名で、思想や宗教にかかわる人達が弾圧される時代が来る。その予感が、人々にはあったのだ。
 この年にキリスト教徒だった森有礼が暗殺された。初代文部大臣だった。この時までの文部省はキリスト教にごく近しいものだったのだそうだ。
 明治23年(1890年)に、文部省とは関係ない所から教育勅語が出される。明治32年(1899年)には国家神道だけになった学校で「御真影」への礼拝が始まった。政治と宗教は一緒になっていた。その事を深く憂慮した人々が居たのだ、と思う。
参照:日本がたどった道とキリスト教
 明治時代の日本とキリスト教

参照:日本のキリスト教

 明治23年(1890年)、建長寺に半僧坊ができた。半分僧形だけれど日本の神様の神殿だ。それからは火事除けの神様である半僧坊にお参りする人々が増えた。かつての崖に集まった人達は、半僧坊の信徒であるということになった。それは信仰の形を塗り替える行為だけれど、この場所を保護し、以前の様に安全に集まることができるのならば、しかたのない事だったかもしれない。

☆ ☆ ☆

 浜松の深奥山方廣寺の半僧坊について、とても詳しいHPがあった。
参照:奥山半僧坊大権現

 その「こぼれ話」というページに河竹黙阿弥の作った歌舞伎の演目が紹介してあった。
参照:129.黙阿弥の白波五人男
 新狂言浜松城記録聞書(はままつじょうきろくのききがき)である。
参照:こぼれ話
 二代目市川左団次と奥山半僧坊
『濱松城記録之聞書』 其の後

 その歌舞伎の錦絵が掲載されていて、主役の番頭喜六と宇吉の妹の お里う が描かれている。左端は半僧坊の神影だ。喜六は炎に包まれている。明治22年1月16日の印刷、出版だそうだ。
 ところで、方廣寺の金庫に門外不出と書かれた記録があって、その中に歌舞伎の演目の「濱松城記録之聞書」の資料があったのだそうだ。門外不出とは、後世に残したいものを大切に守ろうとする行為だ、と思う。黙阿弥が書いた歌舞伎は、霊験あらたかな半僧坊のご利益をわかりやすくドラマ化したものだった。

 「番頭の喜六は半僧坊へ念願して已に満願の暁き料らず火災に羅り本家の系図を出さんと火中へ飛込の一心然れども毛頭の災害もなく夢幻なり。忽ち烟中へ半僧坊出現して曰く。善哉汝主家の為に身命を抛ち忠義の道に叶ひたり猶此上も守り得させんと。云間に鎮火す。喜六火中に埋り不思議にも異常なく懐中を探れば系図は無難にして存在せり、、、。」
 「本家を亡ぼそうとする分家の源三郎は横領の罪を本家の源二郎に被せた。無実を晴らすために喜六は火事になった本家から家系図を救い出す。半僧坊が喜六を守って、火事の中でも彼は無事だった。」

 方廣寺の金庫にあった門外不出の資料は、明治35年春の公演の資料だった。
 東京明治座で1月に公演された「濱松城記録之聞書」はその後、方廣寺のある浜松の歌舞伎座で公演された。
 4月2日から8日までの6日間の公演で、木戸通券5000枚が割引料金で配られた。
 5000枚のチケット!
 そんなにあれば浜松の6日間の全公演分の入場券になってしまう。人気歌舞伎役者の協力を得て、半僧坊の信者を一気に増やすためだったのか。そうではなくて、各地に広まった半僧坊に、少数弱者の人々を集めて組織化するための広報活動ではなかったか。火刑にあっても死なずにすむ半僧坊のご利益。その宣伝が為されたのではないのか。
 磔の火刑を恐れる人達。謂れのない差別が突然降りかかるかもしれないと恐れる人達。江戸時代の弾圧の後に、明治になっても迫害された少数者を救うために。
 建長寺は半僧坊を建造してその信者に組み入れ、弾圧を免れる方策としたのではないか。市川左團次劇団はたくさんの善男善女を集める事で、半僧坊を盛り立て、群集にまぎれる少数者を保護したのではないか。

 江戸時代の恐ろしいキリシタン弾圧の記憶は明治にも続いていたのだ。全国に広がり信者を増やした半僧坊は、弾圧の標的になりそうな人達を救ったのだ、と思う。

追記:上記のHPの「こぼれ話」には、「『浜松城記録聞書』の番付」というチラシが掲載されている。とても貴重な資料だ。
 そこには「遠江奥山半僧坊」と「鎌倉建長寺山内 勝上ケ嶽登山口」という文字も描かれているそうだ。
 そのチラシは「東海地方の方は方廣寺へ、湘南地方の方は建長寺へ」という案内にもなっただろう。
 半僧坊が有名になって、各地に半僧坊が続々と祀られていったらしい。「全国の御分身」というページには28ものお寺が紹介してあって、その殆どに「妙心寺派」「建長寺派」「方廣寺派」と書かれている。
 京都市右京区花園にある臨済宗妙心寺派の大本山、正法山妙心寺は、「謎の桜紋」に出てくるお寺、になるはずです。


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  ***亀子***( 23 Mar. 2010-8 Mar.2012)

     

   
柏原 一心坊

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・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


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