東海道の宿場町であった横浜市戸塚区には、江戸時代の道標が残されている。不動坂の不動堂には、大山道と東海道の堺を示す道標がある。大山詣でとは何か、と考えると、その道標にも関心が向いて来た。
参照:130.大山の木食上人
そこに1917年(大正6)の小さな石碑があった。始めからここにあったのではなく、近隣の社が整理された(つまり無くなってしまった)時に、ここに保護されたのだろうと想像される石碑だった。
ごく薄く彫られた像で、その下に大馬塚と彫ってある。だから、これは馬頭観音なのだろうと思ってしまった。大間違いだった。
新編相模国風土記稿にたくさん出て来る第六天社は、現在はほとんど消えている。それらは神社の名前を変え祭神も変えて、地域の人達の想いを詰めたまま、明治期の宗教弾圧を乗り越えて残って来た神社だ。昭和になって戦争の時代に、もしかしてもっと苦労をしたのかもしれない。その狭間の、大正デモクラシーの時代の石碑である。
第六天とは、天神七代のうちの6番目、面足命(おもだるのみこと)と惶根命(あやかしこねのみこと)であるとされる。鎌倉市十二所の十二所神社に行けば、天神七柱と地神五柱の名前を読むことが出来る。
根面足命とは「あなたは美人ですね」と言った神で、惶根命とは「まあ、かしこまってしまいますぅ」と答えた神だ。
参照:沈黙する神 小松崎文夫著
神様の始めは国之常立神(くにのとこたちのかみ)で、これは地軸を表すのだろう。北極星つまり動かない星を天帝と呼べば、国之常立神はその天帝を時代ごとに指名する神様なのだ。平安時代には空席だった。今は小熊座のα星だ。縄文時代には織姫星が天帝だったのだ。
参照:66.國常立尊(星の都2)
神様に男女の別が出来て、初めて結婚の申し込みをした神が第六天。だから夫婦和合の神様だったりする。でもそれは明治以降の神社であって、江戸時代に第六天と言ったら、他化自在天、だった。第六天魔王、であるそうだ。
他化自在天あるいは大自在天は、仏教以外の神様で、仏教の敵だった。それが仏教に帰依して仏法を守るために奉仕する神になったそうだ。悪魔だったけれども今は仏教を守る神様だ。
具体的にはヒンズー教の最強神シヴァ神で、白い牛に乗っている姿で表されるそうだ。
参照:
天神の牛保土ヶ谷の歴史再発見:大畠洋一
「菅原道真をはじめ、恨みを抱いて死んだ祟徳上皇(保元の乱)や後醍醐天皇(太平記)がこうした魔王(大自在天ッときには「天狗」)に生まれ変わってこの世に不幸や戦乱をもたらすのである。」と大畠洋一先生は語る。だから菅原道真の神社には撫で牛がいるのだと。
明快だ。これも昔からの御霊信仰だ。
江戸時代になって、悪魔は変身する。赤い鼻の天狗さんだ。修行する僧侶の邪魔をする悪魔だったけれど、仏法を保護する天魔になった。
鎌倉五山の第一の建長寺には、明治になって半僧坊が出来た。半僧坊には翼を広げた天狗の銅像がたくさん崖に並んでいて、それが景観に似合っているのだ。
半分僧侶で半分普通の人というのが半僧坊だそうで、かつては、あるときは修験あるときは隠密、であったのかもしれない。
教会の上や岩の上、高い所で剣を構えているのが聖ミカエルの像なのだそうだ。それを想像すると、翼の在る天狗の像は悪魔と戦う天使の様に見える、かもしれない。
参照:145.建長寺のジョアン
参照:鎌倉 半僧坊本殿
明治政府はキリシタンを弾圧した。浦上四番崩れで3394人が配流になり、662人が亡くなったそうだ。(1868-1870年:慶応4-明治3)釈放されたのは1873年(明治6)2月24日。
参照:ウィキペディア
その明治時代初期にはまだキリシタンは語られていない。与謝野 鉄幹(京都人)が北原白秋(熊本・福岡人)を九州旅行に連れ出して「五足の靴」ができたのが1907年。
白秋の処女詩集『邪宗門』が1909年、明治42年だ。「官能的、唯美的な象徴詩作品が話題となる」とウィキペディアには書いてあるけれど、キリシタンを扱ったことが話題だったはずだ。
キリシタンを語っても、もう殺されない時代になったのだ。それでも彼は「邪宗」の門と書いた。勇気が必要だったはずだ。
大正時代に出来た不動堂の「大馬塚」石碑に戻ろう。
第一天神から七代までを順に、
蛇塚妙見八幡、大塚明神、明神塚明神、狐塚明神、天神塚明神、馬塚明神、守宮塚明神というのだそうだ。
とにかく、それで、馬塚明神が第六天神なのだ。だから「大馬塚」は第六天を彫った物である、と思う。馬頭観音ではなくて。
この石碑の像を拡大してみた。
細い線で描かれていたのは赤ちゃんを抱いた女神だ。はだけた胸に両方の乳房が見えている。第六天はキューピッドの様に弓矢を持った女神のはず。これはマリアの聖母子像のようでもあり、奪衣婆(だつえば)の様にも見えた。
参照:綿のおばば 正受院
そして、ふと、思ったのだ。馬頭観音と言われる江戸時代の石像が、馬塚明神であったなら、と。ふと。
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