東日本大震災で被災した方々に心よりお見舞い申し上げます。 +キリシタンと江戸文化+ +
199.扁額にある記号(書かれた文字4) 鎌倉市にある旧家の屋根に「水」という文字が書かれている。屋根に水という文字を掲げるのはよく見られる風習だ。火事を防ぐ咒だと言われている。
でもその書かれた文字の形を見て、ハッとした。あらためて見ると「水」という文字が「泉」に見える。 近くには福泉という名のバス停があり、泉もある地域である。
屋根に「水」と書く、その「水」の字に注目してみる。 「水」という文字を筆で半紙に書いてみる。「水」の上部、初めに筆を下ろすところは、筆を右に傾けて置いてから縦の線を引く。Pの文字の様に、右に出っ張りがつく。その下にXが書かれる。それはキリストの記号のキーロー(XP)に見える。PにXを重ねた記号である。 各地にある「水」という文字のいくつかは、実はキーローXPであったと、したら。そしてさらに。 屋根の文字だけではない。各地に水神社という社があり、水神様と彫られた石碑がある。それらが全てキリストを表すキーローであったらと、想像してみよう。 水神社はキリストの神の社、水神はキリストの神、だとしたら。 水という字を漢字ではなく記号として、画像として眺めた人が、いたのではないか。 弾圧が強くなれば、キーローXPに見えるように書かれた水神社の扁額は書き直されただろう、と思う。XPに見えた石碑の文字は新しく彫り直されて、水神という言葉だけが伝承された、でも、初めの目的は水神と彫られたXPに向かって祈る事にあったのではないか。 もちろん全ての水神社がキリシタンの教会だったわけではない。それでは隠れる事にならない。 漢字を文字としてではなく、使う。画像として使う例を水という漢字に見てしまう。 それ意外に、もう一つ別の例をあげる事ができる。 「小」という文字について。 目の前に指をあげて、空間に「小」の文字を書く。 それはローマ法王が人々に祝福を与える時の所作に似ている。十字をきる姿になる。 紙面には小の字がかかれたとしても、その筆は空中にクルスを描いている。 例えば「春の小川」という歌がある。作詞は高野辰之、作曲は岡野貞一。文部省唱歌である。 岸のスミレとレンゲの花に向かって、美しく咲けと囁く小川の歌だ。 菫はキリスト教、蓮華は仏教とすると、どちらの子供達も元気に育てと歌う様に聞こえる。 春はハル。九州で言う原(バル)に音が通じるのだ。原城は天草四郎が戦った城である。 キリスト教最大のお祭り、復活祭は春の最中である。 だから江戸の人たちが「春の小川」の歌を聞いたとしたら、キリシタンの歌かと思うだろう。 キリシタンを隠す必要の無い時代になって、隠されているものを見る眼は不要になった。 だから私たちは素直に小という文字を書く。でも、江戸時代には、意味ある文字であったのではないか。 同じく「山」という文字を書いてみよう。空中を小の字と同じ軌跡で筆が動く事に気づく。 「山」と言う字はお寺の扁額に書かれる。◯◯山△△寺という山号に使う字だ。 鎌倉市にある臨済宗福源山明月院の扁額を見てみる。
この「山」と言う字は「小」という字に近いと思う。 この字を空中に書くと、ローマ法王になってしまうのではないか。
参照:165.夜空にかかる十字架(明月院の谷) 横浜市栄区の浄土宗笠間山智光院法安寺の扁額も見てみる。
この山という字を空中に書いてみる。やはりこれもクルスでは、と思う。 法安寺はもと鎌倉材木座の光明寺末寺で、下総生実藩(おゆみはん)ゆかりのお寺である。生実藩は千葉県千葉市中央区にあった。 参照:法安寺の歴史
藩主の森川重俊 は徳川二代将軍秀忠の側近だった。大久保長安事件で大久保忠隣が改易になると、妻が忠隣の養女だったという理由で連座して改易になった。 参照:194.崇高院様の山門(成福寺:鎌倉市小袋谷) 大坂夏の陣の後で、秀忠の側近に戻り、老中になった。 参照:武家家伝 森川氏 森川氏の前の生実藩を見ると、原胤義(たねよし)がいる。小田原北条氏筆頭重臣の原氏最後の藩主であったそうだ。江戸の大殉教にあった原ジョアン主水胤信のお父さんだ。その頃から栄区の法安寺のあたりが生実藩領であったかどうかは知らない。けれど、徳川家康のキリシタン弾圧から、駿府城を脱出した原主水が、埼玉県まで逃げる途中で、この辺りで隠れていたら、とも思う。 扁額をもう一つ。鎌倉市大町の時宗中座山教恩寺の扁額も比べてみる。
お寺の山門に額がかかっていて、それをみればキリシタンに優しいお寺かどうか、一緒に祈る事ができるお寺かどうかが分かったのだろう、と思う。そのために山の字を少し丸く書く和尚さんがいた、人々を救おうとしたお寺があったのではないか。と、思うのだ。 横浜市栄区や鎌倉市にたくさんあるお寺の、それぞれの宗派の和尚さんは、ある時はキリシタンを弾圧したかもしれない。けれどある時代には、高徳な和尚さんが門戸を広げて、旅人にも安心できるお寺ですよと、サインを掲げたのではないか。 山の字が丸く書かれている、というだけの根拠の無い想像だ。 でも、そういう和尚さんが現れてくる事、それが、人々の求めている事であっただろうと、思う。 見ざる、聞かざる、言わざる。心に思った事で罰せられる事が無い様に。衆生を救うお寺の意志表明であると、思いたい。 追記: 江戸時代に作られた地口に、情け有馬の水天宮 というのがある。 久留米藩主の有馬頼徳の屋敷が江戸の三田にあって、その庭に祀られた水天宮が人気になったのだそうだ。 おそらく「水天宮」と書かれた額の「水」の字が、見事にPXであったのだろうと思う。 庶民は武家屋敷には入れない。だから塀の外から賽銭を投げ入れる人も出たのだそうだ。 それで、有馬の殿様は月に一度、水天宮に詣でることができる様に、庭の一部を開放したのだ。 「情け有馬の」というわけだ。 恐れ入谷の鬼子母神。 びっくり下谷の広徳寺。 情け有馬の水天宮。 鬼子母神像は、優しい貴婦人が幼子を胸に抱いている像だ。どう見てもマリアにしか見えない像を、鬼子母神であると言う。「恐れ入りました。」というわけだ。 江戸の下谷、今の上野駅のあたりに、広大な敷地を持つ広徳寺があった。あまりに広いので、びっくり下谷。でも江戸っ子が、「広い」ことに驚くだろうか。 広徳寺には肥前平戸藩主の松浦久信の奥方、松東院メンシアが住んでいた。キリシタン大名として有名な大村バルトロメオ純忠(すみただ)の娘である。 彼女は生涯キリスト教を捨てず、寺に幽閉されたまま82才で亡くなったそうだ。 長生きをしたのだから、健康的に過ごせたのだ。幽閉とは名ばかりで、外へ出ない限り、広い庭を自由に歩くことが出来たのだろう。お菓子屋や花屋の御用聞きと話したり、子供達と庭で遊んだかもしれない。 キリシタンであることはみんなが承知していたのだろう。 1623年には江戸の大殉教があったのに、1630年から1657年まで、江戸に住んで27年間もキリシタンであり続けたのだ。 平戸のキリシタンを保護していた彼女を、平戸から離すために江戸に呼ばれたのだそうだ。彼女が雇ってくれたおかげで命拾いしたという人も、いただろうと思うのだ。平戸藩の奥方の生活費の一部は、彼らを守る為に使われただろう。 だから「びっくり下谷」なのだ。キリシタンをやめなかった人が公然と江戸で暮らして居た。 江戸っ子だって驚くだろう。 江戸の文化、江戸庶民の暮らしには、キリシタンの影がある。 言葉に出さないだけで誰もがキリシタン弾圧について語っていたのだ。 恐れ入る、とか、びっくりした、とか、単なる言葉遊びだったら、21世紀まで残って伝わりはしなかっただろうと思うのだ。語れば死罪になるキリシタンの集合場所を教えている、だからこの地口は有名になり、大切に残されたのだろうと思うのだ。
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***亀子***( 30 Aug. 2011-2.Mar.2012)
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十字形手水鉢(神奈川県藤沢市)
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:::Top最新のページ::: ▲・・・地図上の直線 地図に線を引くとわかる設計 (ランドデザイン) ★・・・地上の星座 天体の運行を取り入れた景観
:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::
▲3.霊仙山20Apr:::
:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::
▲6.道の意匠:::
:::7.修験道の現在形:::
:::8.鎌倉の白い岩:::
:::9.セキサンガヤツ:::
★10.若宮大路のカレンダー:::
▲11.神奈川県の鷹取山:::
▲12.鎌倉の正三角形:::
:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::
:::15.夜光る山:::
:::16.下りてくる旅人:::
:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::
:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::
▲21.熊野神社の謎:::
▲22.熊野神社+しし石:::
▲23.北鎌倉の地上の昴:::
★24.ふるさとの北斗七星:::
★25.労働条件と破軍星:::
★26.北条屋敷跡の南斗六星:::
:::27.星と鎌と騎馬民 :::
★28.江の島から見る北斗と昴 :::
★29.由比ケ浜から見る冬の星 :::
:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::
▲31.御嶽神社の謎:::
★32.塔の辻の伝説(1) :::
★33.昇竜の都市鎌倉(2):::
★34.改竄された星の地図(3):::
★35.すばる遠望(小休)(4):::
▲36.長谷観音レイライン:::
★37.星座早見盤と金沢文庫:::
▲38.鎌倉の墓所と鎮魂:::
▲39.ふるさとは出雲:::
▲40.義経の弔い:::
▲41.「塔の辻」の続き:::
▲42.子の神社:::
:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::
:::48.ふたつあることについて:::
:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::
:::50.たたり石:::
:::51.鎌倉の十三塚:::
★52.陰陽師のお仕事:::
▲53.坂東平氏の大三角形と星:::
▲54.大船でみつけた平将門:::
▲55.神津島と真鶴:::
▲56.鷹取山のタカ (八王子市と鎌倉市):::
▲57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
▲58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::
:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::
▲60.重なり合う四神:::
:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::
:::63.吾妻社:::
▲64.約束の地(小休):::
★65.若宮大路の傾き(星の都1):::
★66.國常立尊(星の都2):::
★67.台の天文台(星の都3):::
▲68.鎌倉の摩多羅神:::
★69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
★70.鎌倉と姫路(星の道2):::
★71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::
★72.環状列石のしくみ (五芒星1)::: ★73.環状列石の使い方 (五芒星2)::: ★74.関谷の縄文とスバル (五芒星3):::
▲75.十二所神社のウサギ:::
:::76.針摺橋:::
▲77.平安時代のジオラマ:::
▲78.獅子巌の四神 (藤原氏の鎌倉):::
▲79.亀石によせる:::
▲80.山頂の古墳:::
:::81.長尾道路の碑 (横浜市戸塚区):::
★82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
★83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
★84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
★85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
★86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::
:::87.実方塚の謎(1) 鎌倉郡小坂郷上倉田村:::
:::88.戸塚町の謎(2) 鎌倉郡小坂郷戸塚町:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4) 栃木県宇都宮市雀宮町:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5) 茨城県古河市:::
:::92.北鎌倉の悲劇:::
▲:::93.こぶた山と奈良東大寺:::
:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::
▲96.海軍さん通りの夕日:::
▲★97.今泉不動の謎:::
▲98.野七里:::
▲99.染谷時忠の屋敷跡:::
★100.三ツ星とは何か (またはアキラについて):::
:::48.ふたつあることについて:::
▲101.亀の子山と磐座、火山島:::
★102.秦河勝の鎌倉:::
▲103.由比若宮(元八幡):::
▲104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
▲105.北鎌倉 台の光通信:::
★106.鎌倉の占星台:::
★107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
▲150.鎌倉 五芒星都市::: ▲158.第六天社と安部清明碑::: ▲159.桜山の朱雀(逗子市)::: ★160.双子の二子山と寒川神社::: :::161.ゴエモンの木::: :::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉::: :::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発)::: ★167.地上の銀河と星の王1(平塚市)::: ★
168.地上に降りた星の王2 (鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)::: ★
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る)::: :::
175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説)::: ★
176.おんめさまとカガセオ::: ★
177.南西214度の縄文風景 2 (大湯環状列石とカナイライン):::
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178.御霊神社と鎌倉 (南西214度の縄文風景3):::
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179.源頼朝の段葛とカガセオ (南西214度の縄文風景4):::
:::
184.鎌倉の小倉百人一首:::
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185.鎌倉の小倉百人一首 2:::
:::156.せいしく橋の伝説:::
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