東日本大震災で被災した方々に心よりお見舞い申し上げます。 +キリシタンと江戸文化+ +
202.小ゆるぎの里 (3寒川の小動) 神奈川県には三カ所の小動(こゆるぎ)と呼ばれる地名がある。 大磯町の小動浜 鎌倉市の小動岬 寒川町の小動(村) 大磯町のこゆるぎ浜の城山公園に立つと、鎌倉市のこゆるぎ岬は真東に当たる。 その中間点を北上すれば、こゆるぎ村にたどりつく。 三つの「こゆるぎ」は、直角二等辺三角形を描くのだ。 参照:
200.こゆるぎの松 (1鎌倉の小動)
七夕の夕暮れには、空に夏の大三角形が見える。城山公園に登れば、輝く牽牛星の真下にこゆるぎ岬があり、織姫星の下に平塚の町がある。そして「カササギの渡せる橋」北十字の下にはこゆるぎ村があった。 北十字星に導かれる村、二つのこゆるぎで示される三角形の三つ目のこゆるぎ村である。 参照:201.城山公園の石碑(2大磯の小動) その村はどんな村か。小ゆるぎ村について、新編相模国風土記稿を読んだ。 まず、小動村は相模国高座郡渋谷庄の岡田郷に属すらしい。隣の小谷(こやつ)村と大蔵(おおぞう)村は岡田郷岡田村から分かれたと書いてある。元禄の頃から村の名があると言う。 西隣の宮山村などは元禄の頃に五つの村に分かれたという。その頃に人口が増えたので分村したのだろうか。 ところが、小動村についてはそういうことは何も書いていない。昔から小動なのか?元禄の頃からできた村か? 小動村は岡田郷であるとも書いていない。次の倉見(くらみ)村には一宮内倉見という文字がある。小田原北条の時代は一宮庄だという。渋谷庄の隣だ。つまり小動村は「国境の町」なのだ。一宮庄なのか渋谷庄なのかもわからない。 小動村が岡田村から分かれたとしよう。岡田村は織田信長の家臣だった和田(小里)光明が徳川家康から賜った領地だ。彼の孫の小里光重は元和九年(1623)に死んで家は絶えたとある。 参照:
小里山城(おりやまじょう)岐阜県瑞浪市 参照:小里城山(おりしろやま)城跡ー岐阜県・瑞浪市指定史跡 一方、小ゆるぎ村が一宮庄だったとしたら。 小田原北条氏の頃、一宮庄には相模一宮の寒川神社の領地が27貫文、そして花之木氏の領地が150貫文あった。あの大磯町の城山公園の領主だった花之木さんだ。彼は鎌倉市にある玉縄城の玉縄衆であったそうだ。 参照:武将系譜辞典/北条家人名録 気になる所の気になる人が、調べる先に現れてくる。おもしろい。 小ゆるぎ村と言う名がいつからあるのかは、大事なところだけれど、ここには書かれていなかった。 地図を見る楽しみは、思いもかけない地名に出会うことにもある。寒川町小動のとなりが、藤沢市獺郷(
おそごう)だった。かわうそ。獺(おそ)の里だ。 横浜市栄区にイタチ川という川がある。イタチも住んでいただろうけれど、ここには源頼朝が佐奈田與一義忠の為に建立した證菩提寺がある。自分の命と引き換えに頼朝を守った武将である。 頼朝は兵を挙げる時に、ここに立ち寄って、この寺から出立したという伝承がある。すなわち、いでたち川。今のイタチ川だ。 頼朝が「国賊」であった時代に名前は変わってしまう。伝承も潜んでしまうのだ。 藤沢市の獺郷は徳川の時代に、何を隠したのだろう。 新編相模国風土記稿では小田原北条の時代に、獺郷の領主は内藤三郎兵衛(秀行)とある。愛川町田代にある田城の城主である。 参照:109.北谷山福泉寺の秘密 小田原北条氏が記録した家臣の給料表「小田原衆所領役帳」の記録に「内藤三郎兵衛二貫文、保内小曾郷」と載せている。 ところが「藤沢文庫8 戦国時代の藤沢」伊藤一美著 名著出版では、この記載は間違いだとしている。「保内」というのは藤沢ではなく愛川町や清川村の奥三保のことだ。 では愛川町にも「小曾郷、おそごう」があったのか、というと、今もある。 愛川町角田(すみだ)に、海底(おぞこ)という地名があるのだ。 新編相模国風土記稿では海底・乎曾古(おぞこ)とある。永禄二年には海尻村と書かれている。これも「おぞこ」と読んだのだろうか。 小動村→獺郷→愛川の海底→内藤秀行の田代城 この流れは109.北谷山福泉寺の秘密と似ている。小動の50mほど南、一宮庄に東谷山福泉寺があり、横浜市の北谷山福泉寺を経由して、愛川町角田に龍角山福泉寺があった。そのラインはそのまま田城古城趾へと続く。 これらいっさいを空想の種にして枝葉を広げてみよう。花を咲かせてみよう。海辺にある二つの小ゆるぎは寒川神社の一宮庄近くの小ゆるぎ村に導く。それは何故か。 どこまでも空想の小ゆるぎの物語を続けてみる。
慶長20年(1615)大坂夏の陣で徳川家康は豊臣家を滅ぼした。大阪城内で豊臣秀頼と淀殿は自害する。多くの武将が城とともに死んで行った。 だけど城から脱出して生き延びることが出来た人達もいた。彼らは相模へも来ていて、各地で帰農して土地を開墾し、村を作っている。 大坂の陣に豊臣方として戦い戦死した武将に十河存英(そごう まさひで)がいた。おじいさんが三好義賢(みよし よしかた)。千利休とお茶友達だったそうだ。 三好氏と十河氏は同族であるらしい。1564年に亡くなった三好孫次郎長慶の弟が十河一存といって、この人が十河存英の叔父さんだ。 50年ほど前の十河一存の時代に小動、獺郷の隣の一宮庄は三好孫太郎/堀内康親(花の木某)の領地だった。 それでここに、大坂夏の陣で滅亡した十河一族が来ていたら、と想像した。小田原北条の時代は終わっていたのだけれど。 「そごう」の名を御曾郷に変えて藤沢市獺郷に来ていたと、したら。村の人達は黙って新来の人達を迎えたと、したら。 徳川政権下で、その名が語られることは二度と無かっただろう。その地は人口が増え、3つの村は10の村になり、元禄の頃にはすっかり新しい名の村ができていた。御曾郷村ができ、さらにそこから分かれた村に、誰かが小動村と名付けた、そう想像してみる。 北十字の星の下に、ここにも小ゆるぎの里があると示した人がいた。小田原北条氏の時代を懐かしんで、弾圧の江戸時代を生き抜こうとした。ここに来れば共に語り合える人々がいると、三つ目の小ゆるぎを作った。江戸の文人達が組み込んだ謎は深く興味は尽きない。
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***亀子***( 8-12 Oct. 2011)
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十字形手水鉢(神奈川県藤沢市)
:::::目次:::::
:::Top最新のページ::: ▲・・・地図上の直線 地図に線を引くとわかる設計 (ランドデザイン) ★・・・地上の星座 天体の運行を取り入れた景観
:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::
▲3.霊仙山20Apr:::
:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::
▲6.道の意匠:::
:::7.修験道の現在形:::
:::8.鎌倉の白い岩:::
:::9.セキサンガヤツ:::
★10.若宮大路のカレンダー:::
▲11.神奈川県の鷹取山:::
▲12.鎌倉の正三角形:::
:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::
:::15.夜光る山:::
:::16.下りてくる旅人:::
:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::
:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::
▲21.熊野神社の謎:::
▲22.熊野神社+しし石:::
▲23.北鎌倉の地上の昴:::
★24.ふるさとの北斗七星:::
★25.労働条件と破軍星:::
★26.北条屋敷跡の南斗六星:::
:::27.星と鎌と騎馬民 :::
★28.江の島から見る北斗と昴 :::
★29.由比ケ浜から見る冬の星 :::
:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::
▲31.御嶽神社の謎:::
★32.塔の辻の伝説(1) :::
★33.昇竜の都市鎌倉(2):::
★34.改竄された星の地図(3):::
★35.すばる遠望(小休)(4):::
▲36.長谷観音レイライン:::
★37.星座早見盤と金沢文庫:::
▲38.鎌倉の墓所と鎮魂:::
▲39.ふるさとは出雲:::
▲40.義経の弔い:::
▲41.「塔の辻」の続き:::
▲42.子の神社:::
:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::
:::48.ふたつあることについて:::
:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::
:::50.たたり石:::
:::51.鎌倉の十三塚:::
★52.陰陽師のお仕事:::
▲53.坂東平氏の大三角形と星:::
▲54.大船でみつけた平将門:::
▲55.神津島と真鶴:::
▲56.鷹取山のタカ (八王子市と鎌倉市):::
▲57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
▲58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::
:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::
▲60.重なり合う四神:::
:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::
:::63.吾妻社:::
▲64.約束の地(小休):::
★65.若宮大路の傾き(星の都1):::
★66.國常立尊(星の都2):::
★67.台の天文台(星の都3):::
▲68.鎌倉の摩多羅神:::
★69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
★70.鎌倉と姫路(星の道2):::
★71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::
★72.環状列石のしくみ (五芒星1)::: ★73.環状列石の使い方 (五芒星2)::: ★74.関谷の縄文とスバル (五芒星3):::
▲75.十二所神社のウサギ:::
:::76.針摺橋:::
▲77.平安時代のジオラマ:::
▲78.獅子巌の四神 (藤原氏の鎌倉):::
▲79.亀石によせる:::
▲80.山頂の古墳:::
:::81.長尾道路の碑 (横浜市戸塚区):::
★82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
★83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
★84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
★85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
★86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::
:::87.実方塚の謎(1) 鎌倉郡小坂郷上倉田村:::
:::88.戸塚町の謎(2) 鎌倉郡小坂郷戸塚町:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4) 栃木県宇都宮市雀宮町:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5) 茨城県古河市:::
:::92.北鎌倉の悲劇:::
▲:::93.こぶた山と奈良東大寺:::
:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::
▲96.海軍さん通りの夕日:::
▲★97.今泉不動の謎:::
▲98.野七里:::
▲99.染谷時忠の屋敷跡:::
★100.三ツ星とは何か (またはアキラについて):::
:::48.ふたつあることについて:::
▲101.亀の子山と磐座、火山島:::
★102.秦河勝の鎌倉:::
▲103.由比若宮(元八幡):::
▲104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
▲105.北鎌倉 台の光通信:::
★106.鎌倉の占星台:::
★107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
▲150.鎌倉 五芒星都市::: ▲158.第六天社と安部清明碑::: ▲159.桜山の朱雀(逗子市)::: ★160.双子の二子山と寒川神社::: :::161.ゴエモンの木::: :::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉::: :::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発)::: ★167.地上の銀河と星の王1(平塚市)::: ★
168.地上に降りた星の王2 (鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)::: ★
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る)::: :::
175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説)::: ★
176.おんめさまとカガセオ::: ★
177.南西214度の縄文風景 2 (大湯環状列石とカナイライン):::
★
178.御霊神社と鎌倉 (南西214度の縄文風景3):::
★
179.源頼朝の段葛とカガセオ (南西214度の縄文風景4):::
:::
184.鎌倉の小倉百人一首:::
:::
185.鎌倉の小倉百人一首 2:::
:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::
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