鎌倉、まぼろしの風景。130 

鎌倉、まぼろしの風景。


          
     

イメージの翼に乗って「星月夜の鎌倉」を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


北鎌倉の石仏

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亡備録 私的用語集
大淀三千風の日本行脚文集


+++キリシタンと江戸文化

110.東渓院菊姫
北鎌倉と豊後竹田

111.キリシタンの二十三夜

112.東慶寺の姫

113.徳川直轄地の
キリシタン

114.キリシタン受難像

115.江戸の幽霊
お岩とお菊

116.江戸の狂歌師
酔亀亭天広丸

117.江戸の蕎麦とお菓子

118.禁止された教え

119.葛飾北斎の1834年
旅する江戸人1

120.近松門左衛門の1719年
旅する江戸人2

121.大淀三千風の1686年
旅する江戸人3

122.大淀三千風の鴫立庵
123.柴又帝釈天の1779年
旅する江戸人4

124.飯島崎の六角の井

125.古狸塚

126.六地蔵・芭蕉の辻と
潮墳碑

127.キリシタン洞窟礼拝堂

128.十字架の菜の花

129.黙阿弥の白波五人男

130.大山の木食上人
旅する江戸人5

133.「忠直乱行」を読む
旅する江戸人6

135.駿河大納言忠長の遺業
旅する江戸人7

136.松平忠長の侍達
旅する江戸人8

137.許六と芭蕉

138.忠直とサンチャゴの鐘
豊後竹田と北鎌倉

139.沖の花(大分 瓜生島伝説)

140.鎌倉の庚申塔1・キリスト磔刑図
141.鎌倉の庚申塔2・嘆きの猿
142.鎌倉の庚申塔3・猿の面

143.曾根崎心中の道行き

144.義経千本桜の幻惑

145.建長寺のジョアン

147.椿地蔵と手まり歌

148.鎌倉という名の火祭り

149.玉藻ノ前と殺生石

151.不屈の第六天社(藤沢)
152.第六天の女神(戸塚)
153.玉縄城の第六天(鎌倉)

154.お花畑と後北条氏

155.落柿舎と鎌倉地蔵

157.平塚の4手の庚申塔

162.十文字鳥居と手水鉢
(藤沢市江ノ島)

163.八橋検校の秘曲と「千鳥」

164.半僧坊と明治憲法

165.夜空にかかる十字架
(明月院の谷)

169.馬頭観音の天衣(1)
170.マリアの石碑(2)
171.マリアの影を石に刻む(3)

172.六地蔵、葎塚(むぐらづか)と芭蕉(山梨県)

173.化粧するお地蔵様

180.大淀三千風のすみれと芭蕉

181.謡坂と善智鳥
(うとうざかとウトウ)

182.善知鳥と江戸大殉教

183.芭蕉の見た闇
(名古屋市・星崎)

186.キリシタンの古今伝授

187.鎌倉仏教とマニ教

188.謎の桜紋

189.西行と九尾の狐

190.○と□ (丸と四角、マリアとイエス)

191.踊場の猫供養塔(横浜市泉区)

193.貞宗院様の遺言(貞宗寺:鎌倉市植木)

194.崇高院様の山門(成福寺:鎌倉市小袋谷)

195.鎌倉光明寺54世松誉上人(書かれた文字1)

196.涌井藤四郎の新潟湊騒動(書かれた文字2)

197.鎌倉大仏縁起・(書かれた文字3)

199.扁額にある記号(書かれた文字4)

200.こゆるぎの松
(1鎌倉の小動)

201.城山公園の石碑
(2大磯の小動)

202.小ゆるぎの里
(3寒川の小動)

203.謡曲「隅田川」と田代城主

204.イボとり地蔵の小石

205.港町の杯状穴


江戸文化に
キリシタンの影響を見る。

見ず 聞かず
言はざる までは
つなげども
思はざる こそ
つながれもせず

(心に思う事を
罰する事はできない)

諸国里人談 巻三一「三猿堂」
菊岡沾凉(米山)著1743年刊



写真集
私説:キリシタン遺物と
その影響下に作られたと思われる
石碑と石仏


亀の蔵

「鎌倉、まぼろしの風景」
の要約。

書かなかったことや
後から書き足す事ども。


知る者は言わず
言う者は知らず《老子》

資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子

Twitter:@ninayzorro

ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)

   
キリシタンと江戸文化

130.大山の木食上人

(旅する江戸人5)

 鎌倉市山ノ内に白山大権現と書かれた不思議な祠がある。文化文政年間(1804-1829)に描かれた浦賀道見取絵図にも山ノ内の白山神社は載っている。でも今ある所は、個人の邸宅を見下ろして守る屋敷稲荷だろうと想像される場所だ。本当の白山神社はここではなく、K女子学園の敷地内ではなかったかと妄想される。

 この白山神社の祠が不思議なのは、2つある石の祠が、まるで近年に作られたかのように新しく美しく見えることだ。
 土の中に埋められていた石仏の彫刻面が風化せずに美しく残っているのを見たことがある。今泉分譲地の金仙地蔵がそうだ。でも、ここの祠はもっと美しい。ごく最近まで風雨の当らない社殿の中に、大切に安置されていたようにも見える。今は長い石段の上の枯草の中にひっそりとある。夏は階段ごと草に埋もれていて、人を阻んでいる。そんな場所の石の祠が、苔もつかずにあるのだ。地域の方が大切にして磨いているのだと思う。

 左側の祠には白山大権現と彫られた石碑が納められている。亨保(五)歳、霜月三(月)、木食、、量阿心誉寿、、と彫られている。1720年か。下は草に埋もれている。
 右の祠には石仏が鎮座している。大日如来の印を結んでいる僧形で、量善という字が読める。側面や笠の上に木食、量阿、、善大永、、亨保四天六月六日と彫られている。1719年だ。

 木食とは五穀を食べない修行のことだそうだ。木喰と書くと、個性的な木彫の仏像を彫って日本中を行脚した遊行僧のことだそうだ。この祠ができた頃に生まれたお坊様だそうだ。祠の文字は木食修行をした上人のことを書いているのだと思った。木食上人と呼ばれる人は何人かいるらしい。

 神奈川県伊勢原市の大山の山懐に天台宗無常山一之澤院浄発願寺はある。1608年(慶長13)に木食弾誓(たんぜい)上人(1552頃-1613)によって建立されたのだそうだ。徳川家康から山林を与えられて、相模国随一の大寺院になったのだそうだ。
 その後4世の空誉上人(山居木食上人1637-1694)の時に、罪人53人を寺院で預かって(乞い受け来りて、とHPには書いてあった)彼らが築いた53石段が今も奥の院にあるのだそうだ。
 重罪であった殺人と放火の罪以外の罪人は、このお寺に入ることで許されたのだ。「最も重刑に処せられるべき罪人も、当山の寺院に足を踏み入れば、其の罪を許され」と浄発願寺のHPに書いてあった。空誉上人が乞い受けた53人は命を救われたのだ。と思う。ハリウッド映画の「シンドラーのリスト」みたいだと思う。
参照:浄発願寺のHP
 浄発願寺は「男の駆け込み寺」として明治まで有名だったらしい。知らなかった。

 御禁制のキリシタンは罪となったから「あいつはキリシタンだ」と言われたら、何年も牢に入れられて「お取り調べ」という拷問が待っている。牢内で死ぬ人も多かった。そんな時に、駆け込めば助けてもらえるお寺があったのだ。これはスゴイことだ。
 そして気づいた。「男の駆込寺」と呼ばれた、ということは、「女の駆込寺」つまり北鎌倉の東慶寺も、そういう役割を担っていたということだ。
 離婚訴訟だけではなく、世間の力の及ばない結界の内側として、「罪人」が逃げ込める尼寺であったのだ。それはキリシタンを守る尼寺でもあったのではないか。

 中世鎌倉時代から戦国時代くらいまで、寺とはそういう助けを求めて駆け込める場所だったのだそうだ。一種の治外法権を持った場所で、今で言う避難所、アジールだったそうだ。もちろんそれ相応の武力を寺院が持っていて、追いかけて来る者に対抗できる実力もあったのだ。それが徳川幕府になって、施政者に対抗する宗教権威は剥奪されていった。家康が承認した寺だけが駆込み寺として治外法権を持つことになった。東慶寺は天秀尼が家康にそう願い出たから寺法が存続できたのだそうだ。
 離婚だけだったら、近所の尼寺へ入れば、俗世を棄てるのだから自動的に離婚できた。東慶寺の寺法は、尼にならなくても離婚できた事なのだと井上禅定和尚は語る。早い場合は3日で離婚調停が終わって帰る事が出来たらしい。
 松岡宝蔵に展示された川柳には
馬鹿なかもじ屋 買出しに松ヶ岡
というのがあって、尼になったとしても髪を剃らないでいたのだそうだ。元の生活に戻る為の駆込み寺なのだ。
参照:東慶寺と駆込女 井上禅定著 有隣新書

 鎌倉に松ヶ岡ありとうたわれた東慶寺の本領は、そこにあったのだ。夫がキリシタンだと言われた時に、連座して斬首されないように、その妻の命を守る寺だったのだ。松ヶ岡、鎌倉とは、キリシタンも守ることができる場所だった。

 江戸時代1800年代後半に大流行した1泊2日の大山詣。2泊3日の大山、江ノ島、鎌倉詣で。もちろん徳川幕府公認の旅行である。江戸町民の娯楽でもあったこれらはキリシタンというキーワード抜きには語れないのではないか、と思う。
参照:46.おとうさまの谷戸(4)
 キリシタンというキーワードで解錠してみれば、長崎の生月あるいは平戸から見た聖地、中江ノ島にそっくりな江ノ島、江戸殉教の鎌倉、救済の大山という答えが出る。万一の用心の為に、浄発願寺と東慶寺の、2つの駆込み寺の行き方を知っておく。帰ったら女房にもしっかり教えておく。そういう事だろうか。

 大山詣でをする人がみなキリシタンだと言っているのではない。数人のキリシタンの為に、無関係な人達がたくさん賛同したということだ。
 見ざる。聞かざる。言わざる。キリシタンが再び信仰に立ち帰らないよう、棄教したキリシタン達の慰撫を、幕府ごとみんなで図っていたのではないか。それは幕府の内部にもたくさんの棄教したキリシタンが生きていたということだと思う。


追記:浄発願寺は上野寛永寺内凌雲院の末寺として繁栄したのだそうだ。
 元禄5年(1692)に空誉上人が法要をした宝篋印塔があって、それは名古屋城主の尾張徳川3代目綱誠(つななり1652-1699)が正室の螢珠院を弔うために奉納したのだそうだ。
 そのほか佐竹氏、藤堂氏の墓石もあり、公家の広幡家や徳川、織田、黒田、松平、大久保、有馬という諸大名も信仰した寺なのだそうだ。
 10月にはお十夜法要があって、鎌倉の光明寺、平塚の海宝寺とともに相模の三大十夜と言われて昭和初期まで多くの信者を集めていたそうだ。
参照:悠保悠遊:大山西尾根

追記2:東慶寺の松岡宝蔵に掲示された東慶寺略年表に、松平忠長の名があって驚いてしまった。「乱心した残忍な殿様」忠長の自害の翌年に、彼の御殿が東慶寺に移築されたのだそうだ。びっくりだ。
 千姫は彼と兄弟だから、忠長の菩提を東慶寺で弔ったとしても不思議ではないけれど。 
 そうすると、あのイエズス会の聖餅箱は彼の物だったのかもしれない。
参照:112.東慶寺の姫
 実は松平忠長は自害していなくて、彼のお屋敷の一部は山崎の里に移築されていて、そこで彼は幸せに隠居生活をしていた。そんな夢を見たいなと、思った。その場所は山崎小学校の隣、北西にあって、江戸時代には谷戸の最深部にあたる。真南に大きな滝が作られていて、その遺構はいまでも道路から見ることが出来る。私が小学校の時に見た、美しい水田の谷戸は、松平忠長のお庭だったのではないか。魯山人が愛した山崎の里、イサム・ノグチの隠れ家、私の桃源郷は松平忠長の秘密を抱いて昭和まであったのではないか。
 今は分譲地にするために重機が動いているその場所に立って、そんな想像をするのも鎌倉の散歩の醍醐味なのだと思う。
参照:45.山崎の里(3)
参照:47.将軍のいましめ(5)井関隆子
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  ***亀子***
( 27 Mar. 2009-15Mar.2012)
 
     

   
十文字の影がある庚申塔 横須賀市

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・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


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