+キリシタンと江戸文化+ +
173.化粧するお地蔵様 化粧地蔵ツアーという見応えのあるHPに出会った。軽快で愛情あふれる文章は、作者が本職のライターだからだ。著作「珍寺大道場」は我が家にもある。「ワンダーJapan」という、洞窟・廃墟好きには欠かせない雑誌に掲載されている記事だ。 8月の地蔵盆の時に、子供たちが町内の石のお地蔵様を極彩色に化粧する。その、なんとも楽しいお地蔵様の姿を、化粧地蔵と呼んでいるのだ。 青森の津軽地方、若狭、丹波、但馬、丹後、大津、大阪の高槻、奈良北部辺りで、現在まで続けられている風習だそうだ。特に「人口5000人の村にある地蔵の数は2000体。2.5人に1体の割合で地蔵を保有する地蔵大国。」などという文を読めば、津軽に今すぐ行ってみたい気分になる。
参照:化粧地蔵ツアー 参照:津軽化粧地蔵巡り 神奈川県鎌倉市のお隣の藤沢市にも、化粧地蔵がある。メルシャン工場の側の「おしゃれ地蔵」だ。白く塗られた双体道祖神である。 参照:ー湘南ー爆釣!スランプ?・おしゃれ地蔵♪藤沢市羽鳥 白く塗られた道祖神が地蔵と呼ばれている。そこに、重要な意味が含まれていることに気づいた。 鎌倉市の安養院には、地蔵と観音がペアで彫られた石仏がある。
鎌倉市大町 安養院の石仏 3つの舟形光背の先端が折られている 藤沢市のおしゃれ地蔵は道祖神ではなく「地蔵と観音」だったのかもしれない。 そして双体道祖神とは、そもそも地蔵と観音だったかもしれないと、いや、そうではなく、男と女の道祖神は、夫婦ではないのかもしれない、と思った。たとえば母と息子かもしれないと。なかにはローマ十字の影が現れる道祖神だってあるのだから。
横浜市栄区 白く塗られたお地蔵様は鎌倉市にもある。玉縄の子育地蔵だ。赤い衣に白塗りのお地蔵様だ。ダルマさんの様なのだ。
子育地蔵堂 この子育て地蔵は木彫であるらしく、出来た当時は漆塗りだったそうだ。その漆の朱の色が今も再現されている。白い子育地蔵を思い出して、「お地蔵様は子供達によって白く彩色される」という風習が、鎌倉にもあったのではないか、と思った。 辻に立つ石のお地蔵様はみな、お化粧をしていた、としよう。後に学者肌の文化財保護の人達が、そのお化粧を落としてしまったのではないか。きっと「文明」が「開花」した後に、「土俗的な風習」は消え去ってしまったのではないか。これは根拠のない想像だけれど。 白塗りのお地蔵様といったら、浄土宗帰命山延命寺の身代わり地蔵だ。北条時頼夫人の守護仏である。女性の姿で、赤い着物を着て袈裟をかけている。赤い着物なら、玉縄の子育地蔵と同じだ。 参照:147.椿地蔵と手まり歌 そしてもうひとつ、かつては白く塗られていたのではないかと思われるお地蔵様が安養院の日限地蔵(ひぎりじぞう)だ。
安養院の日限地蔵 鎌倉市大町の浄土宗祇園山安養院長楽寺は北条政子の寺として有名だ。その境内に地蔵堂がある。このお地蔵様の右腕は白くなっている。かつてはお化粧がされていたのではないかと思わせる。 鎌倉市には日限地蔵がもう一カ所ある。極楽寺坂の日限地蔵だ。こちらは六地蔵のスタイルで、新しい織部灯籠が一対奉納されている。 日限地蔵と言ったら横浜市港南区の日限山の高野山真言宗八木山福徳院が有名だ。 「ひぎり」とは、「日を限って願いごとをすると願いごとがかなう」といういわれから、つけられた名前だそうだ。 高浜虚子編集の『武蔵野探勝』に載っている日限地蔵の文章に、 この一週間内に病が軽くなるようにとお願ひし、若しそれで験がなければ又日を限って継続祈願するのださうである。 と、書かれている。 参照・引用: Kameno's Digital Photo Log 「日をかぎって」という意味がいまひとつ理解できないのだけれど、日本中に日限地蔵はあるんだということがKameno's Digital Photo Logを読んでわかった。 このブログは横浜市港南区の曹洞宗貞昌院さんが書いている。かつては永谷天満宮の別当であったというお寺だそうだ。興味深い。港南歴史協議会ともリンクしていて、相模と武蔵の歴史をたっぷり読むことが出来る。すばらしい。私の教科書のひとつでもある。 その港南区の日限地蔵は、伊豆の三島の浄土宗君沢山蓮馨寺(れんけいじ)の日限地蔵尊を勧請したものだそうだ。 そしてその日限地蔵は今では秘仏になっているのだそうだ。 参照:三島市HP・ 市の紹介 > 地勢・歴史 > 三島アメニティ大百科 > 目次 > 寺院 そしてここにも芭蕉塚がある。 いざともに ほむぎくらわん くさまくら 穂麦食らわん とは、意味深長だ。 地蔵信仰は鎌倉時代から広まっている。平安時代の人々の願いは、極楽浄土へ行くことだった。五色の糸が阿弥陀如来の手から流れ出て、それにしっかりつかまって、極楽へ行くのだ。 ところが鎌倉時代になって、武家の時代になる。戦う武家は人を殺す。場合によっては家族同士で殺し合うことにもなった。だから彼らは極楽浄土へ行くなんて思ってはいない。地獄に堕ちるのだと覚悟していたのだ。 その地獄で、救ってくれるのが地蔵菩薩だ。またの名を閻魔大王ともいう。 そういう鎌倉武士の信仰をおろそかにしてはならない。そう語って下さったのが覚圓寺の和尚さん、20年前の、覚圓寺黒地蔵の前だった。地獄に堕ちた時に救ってくれるのが、地蔵なのだ。 その地蔵菩薩が江戸時代になって、庶民のものになった。 村のお地蔵さんになったのだ。子どもを守るお地蔵様だ。 子ども達はお地蔵様を白く塗ってお化粧を施した。口紅を塗って頭にベールも被せたのだろうと思う。ベールの端から見えている宝珠は、抱いている赤ちゃんの頭の様にも見えただろう、と思う。 咎められても、しょせん子どもの仕業である。 化粧地蔵は青森の津軽地方、若狭、丹波、但馬、丹後、大津、大阪の高槻、奈良北部辺りで見られる風習だそうだ。その痕跡は鎌倉市にもある、と思う。子供を抱いた婦人の像に作りかえることで、地蔵菩薩に集まる人が増えたのだと思う。 地蔵菩薩に祈る人達の、心の中は語らなくていい。いっしょに祈る環境を江戸時代の人達は作り上げていたのだと思う。 キリシタンは禁教になり、みな改宗して見えなくなっていた。親から代々引き継いでいたのは気風であり、思想であり、趣味、価値観といった個性に類するものだと思う。それでも、何かの拍子に些細なことで迫害されるかもしれない。そういう危うい位置にいた人達を、守ろうとしたお寺があったのだと、思う。安全な場所、アジールを作ったのだ。その一つが日限地蔵、であったかもしれないと、思った。
追記: 安養院の日限地蔵は、頭と光背の間に隙間がある様に見えた。この隙間があることでベールを被せることができる、と思った。津軽地方の化粧地蔵は光背の無いお地蔵様だ。お地蔵様に笠を被せたり頭巾や頬かむりをさせるのは、ベールの名残なのではないか、とも思った。 追記: 鎌倉市極楽寺にある月影地蔵は、いつ行っても奇麗に掃除がされている。開け放した地蔵堂は江戸時代の集会所の様で、地域に根ざし生きている現役のお地蔵様であるようだ。 月影という名前は、ここから南西に山を越した所にある月影ガ谷からきている。そこから移って来たお地蔵様なのだそうだ。
月影地蔵 月影ガ谷には阿仏尼が住んでいた。1279年(弘安2年)の「十六夜日記(いざよいにっき)」は、ここで書かれたそうだ。 月影地蔵さんは、赤い衣を着た真っ白なお地蔵様だ。北条時頼夫人の身代わり地蔵の様な、玉縄の子育地蔵の様な。よく見ると、衣の下の彫刻された衣も、漆の朱赤のような色だ。 玉眼が入った、とても端正なお姿は、唇に紅がのるのを待っている様にも見えた。 そして。赤い衣は達磨さんのようだと書いたけれど。聖母マリアのドレスはいつも真赤で、青いガウンかベールを被るのがお決まりだったと思い出した。 1506年にラファエルが描いた聖母子像を見てみた。 参照:Madonna of Belvedere (Madonna del Prato) WEB GALLERY of ART 伏し目のマリアは月影地蔵の面影に、似て、なくもないなあ、と思った。まぼろしの眼差しである。
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***亀子***(18 Jul. 2010-6 Mar.2012)
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柏原 一心坊
:::::目次:::::
:::Top最新のページ::: ▲・・・地図上の直線 地図に線を引くとわかる設計 (ランドデザイン) ★・・・地上の星座 天体の運行を取り入れた景観
:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::
▲3.霊仙山20Apr:::
:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::
▲6.道の意匠:::
:::7.修験道の現在形:::
:::8.鎌倉の白い岩:::
:::9.セキサンガヤツ:::
★10.若宮大路のカレンダー:::
▲11.神奈川県の鷹取山:::
▲12.鎌倉の正三角形:::
:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::
:::15.夜光る山:::
:::16.下りてくる旅人:::
:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::
:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::
▲21.熊野神社の謎:::
▲22.熊野神社+しし石:::
▲23.北鎌倉の地上の昴:::
★24.ふるさとの北斗七星:::
★25.労働条件と破軍星:::
★26.北条屋敷跡の南斗六星:::
:::27.星と鎌と騎馬民 :::
★28.江の島から見る北斗と昴 :::
★29.由比ケ浜から見る冬の星 :::
:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::
▲31.御嶽神社の謎:::
★32.塔の辻の伝説(1) :::
★33.昇竜の都市鎌倉(2):::
★34.改竄された星の地図(3):::
★35.すばる遠望(小休)(4):::
▲36.長谷観音レイライン:::
★37.星座早見盤と金沢文庫:::
▲38.鎌倉の墓所と鎮魂:::
▲39.ふるさとは出雲:::
▲40.義経の弔い:::
▲41.「塔の辻」の続き:::
▲42.子の神社:::
:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::
:::48.ふたつあることについて:::
:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::
:::50.たたり石:::
:::51.鎌倉の十三塚:::
★52.陰陽師のお仕事:::
▲53.坂東平氏の大三角形と星:::
▲54.大船でみつけた平将門:::
▲55.神津島と真鶴:::
▲56.鷹取山のタカ (八王子市と鎌倉市):::
▲57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
▲58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::
:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::
▲60.重なり合う四神:::
:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::
:::63.吾妻社:::
▲64.約束の地(小休):::
★65.若宮大路の傾き(星の都1):::
★66.國常立尊(星の都2):::
★67.台の天文台(星の都3):::
▲68.鎌倉の摩多羅神:::
★69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
★70.鎌倉と姫路(星の道2):::
★71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::
★72.環状列石のしくみ (五芒星1)::: ★73.環状列石の使い方 (五芒星2)::: ★74.関谷の縄文とスバル (五芒星3):::
▲75.十二所神社のウサギ:::
:::76.針摺橋:::
▲77.平安時代のジオラマ:::
▲78.獅子巌の四神 (藤原氏の鎌倉):::
▲79.亀石によせる:::
▲80.山頂の古墳:::
:::81.長尾道路の碑 (横浜市戸塚区):::
★82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
★83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
★84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
★85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
★86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::
:::87.実方塚の謎(1) 鎌倉郡小坂郷上倉田村:::
:::88.戸塚町の謎(2) 鎌倉郡小坂郷戸塚町:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4) 栃木県宇都宮市雀宮町:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5) 茨城県古河市:::
:::92.北鎌倉の悲劇:::
▲:::93.こぶた山と奈良東大寺:::
:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::
▲96.海軍さん通りの夕日:::
▲★97.今泉不動の謎:::
▲98.野七里:::
▲99.染谷時忠の屋敷跡:::
★100.三ツ星とは何か (またはアキラについて):::
:::48.ふたつあることについて:::
▲101.亀の子山と磐座、火山島:::
★102.秦河勝の鎌倉:::
▲103.由比若宮(元八幡):::
▲104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
▲105.北鎌倉 台の光通信:::
★106.鎌倉の占星台:::
★107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
▲150.鎌倉 五芒星都市::: ▲158.第六天社と安部清明碑::: ▲159.桜山の朱雀(逗子市)::: ★160.双子の二子山と寒川神社::: :::161.ゴエモンの木::: :::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉::: :::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発)::: ★167.地上の銀河と星の王1(平塚市)::: ★
168.地上に降りた星の王2 (鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)::: ★
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る)::: :::
175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説)::: ★
176.おんめさまとカガセオ::: ★
177.南西214度の縄文風景 2 (大湯環状列石とカナイライン):::
★
178.御霊神社と鎌倉 (南西214度の縄文風景3):::
★
179.源頼朝の段葛とカガセオ (南西214度の縄文風景4):::
:::
184.鎌倉の小倉百人一首:::
:::
185.鎌倉の小倉百人一首 2:::
:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
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