東日本大震災で被災した方々に心よりお見舞い申し上げます。 +キリシタンと江戸文化+ +
200.こゆるぎの松(1鎌倉の小動) 神奈川県鎌倉市腰越にある小動(こゆるぎ) 神社は名勝緑の江ノ島を眼前に、雄大な富士と相模湾の絶景を誇る。
腰越の小動神社 小動神社と言う名前は明治からのもので、江戸時代は八王子の宮だった。八王子山という海に突き出した小さな岬にある。 この岬に松の木があって、波風に常に揺れるのだと言う。それで松の名を小揺るぎの松と言ったそうだ。そしてこの岬も小動(こゆるぎ)と呼ばれている。
1685年の新編鎌倉志にはこゆるぎの和歌を二首載せている。 こゆるぎの磯の松風音すれば 夕波千鳥たちさはぐなり 土御門内大臣きのう立ち今日こゆるぎの磯の浜 いそいでゆかん夕暮れの道 北条氏康 この歌に続いて「この歌、ここの事とも言い、あるいは大磯の浜をうたうとも言う。相模の名所こゆるぎの歌多し」と続く。木で鼻をくくった様な、言いかけて途中でやめた様な、何とももどかしい記述だ。 1829年の鎌倉攬勝考では、「大磯の浜を小動の本所にて、詠ずる和歌は、彼の地を言ふならん」と書かれている。それが1841年の新編相模国風土記稿になると、鎌倉志の記述は間違いで、小動という名所は淘綾(よろき)郡大磯だと断定し、文治年中(1185-1189年)に佐々木盛綱が『この松を小動の松と号す』と記した、とも書いてある。年代が上がるにつれて確信したような断定的な言い方になる。なんだか怪しい。 佐々木盛綱は源頼朝に仕えた武将で、能の「藤戸」の主人公だそうだ。そんなに古くからここは小動と呼ばれていたのだろうか。なんだか怪しい。 こゆるぎという名前は古い名前の余綾(余呂木よろき)から来ている。万葉集に さがみじの よろきのはまの まなごなす こらはかなしく おもはるるかも 巻14東歌 相聞 がある。このよろきの浜は小田原市から平塚市までの海岸線だともいわれ、小田原のことだとも言われている。小由留木(こゆるぎ)と縦に書いたのを小田原と読み間違えたのだとも。これも何だか出来すぎている。小田原は小さい田原(たばる)だと私は思っているから。 神奈川県にはもう一カ所小動という地名がある。寒川町の小動である。
寒川の小動神社
ここにも明治に命名された小動神社があり、元は日吉(ひえ)神社だった。小動村の村社であった御嶽神社と稲荷神社を合祀して小動神社になった。 この三カ所のこゆるぎと呼ばれる場所を、地図上で眺めてみた。
大磯のこゆるぎ浜
鎌倉のこゆるぎ岬
寒川のこゆるぎ村
浜と村は広がりがあって、どこが中心かはわからなかった。
鎌倉のこゆるぎ岬だけは、地図上の一点になる。 そこで鎌倉の小動神社から、こゆるぎの浜の方へ、ちょうど真西に線をひいてみた。
海上を渡った線は、アオバト飛来地として有名な照ガ崎を超え、
神奈川県立城山(じょうやま)公園に行き着いた。小磯と呼ばれる地域の山城である。 小動神社から引いた線は、城山公園に行き当たる。 その東西線を半分にすると、茅ヶ崎の海中になる。小動神社と城山公園の距離のちょうど中心地点だ。 そこから、まっすぐ北に線を引く。 線の先には寒川町の小動があった。 地図上に、鎌倉と大磯を底辺とした三角形を描くことが出来た。 鎌倉の小動神社から北西の方向へ線を引くと、三つの「こゆるぎ」で出来る三角形は直角二等辺三角形になった。 小動という村がこの位置にあるのは、とても数学的だと思う。人為的なデザインだと思った。 そこで、想像してみる。 万葉集の頃から語られた有名なヨロキの浜がある。そこに誰かが「小」をつけ、小ゆるぎの浜になった。 参照:
199.扁額にある記号(書かれた文字4) 小ゆるぎの浜の城山公園から、真東を見ると、江ノ島の向こうに小動崎が見えた。 ここに生えた松を、小ゆるぎの松と名付けた文人がいた。 東西に「小ゆるぎ」を置いたのだ。 小ゆるぎの松を見る風流人は、この海岸は小ゆるぎの浜ではないと気づいている。 あちらとこちらに小ゆるぎがある。もう一つこゆるぎがあるとしたら、それは北側にあるだろう。南側は海だから。 小ゆるぎの松から北西の方向に、隠れ里の小ゆるぎ村がある。三つめの「小ゆるぎ」である。 そうやって密やかに寒川町の小動の里を、指し示したのではないか。 二つの小ゆるぎが東西にある理由は、寒川町のこゆるぎに誘うものなのではないか。そしてそれは、江戸時代に作られたのでは、と想像してみた。 友人にこの話をした。「小ゆるぎ」の三角形が人為的な設計であると思ったけれど、何かまだ足りないと思ったからだ。 すると友人から、決定的な示唆が返って来た。 地上に三角形があるなら、天上にも三角形があるのではないか。 それはこの「鎌倉、まぼろしの風景」で、以前書いた事だった。神奈川県平塚市の東を流れる相模川と、夜空に輝く天の川が、地上と天が鏡面反転した様に上下に揃った時。 川の向こう岸のわし座のアルタイルの位置に太陽の使者の神社があり、川の中州の位置に、「かささぎの渡せる橋」あるいは古事記で言う「天の鳥船」つまり白鳥座のデネブ、の位置に前鳥(さきとり)神社がある。 そして川の手前、観察者のごく近くに、かつて北極星の位置で輝いていた巨星、こと座のベガがある。それは縄文時代に全天を支配した北極星、すべての恒星の中心にあった王で、今は地軸の神(あめのみなかぬし:国常立尊)にその地位を追われた星。ヤマトに征服される以前の東国の神、カガセオの星だ。 そのベガの輝く真下に、かつてカガセオの祭祀場、オンネサマ(御子様)があった。 そこを支配者が破壊して古墳が出来る。それが平塚の真土大塚山古墳であると、思ったのだ。 そして天の河と相模川が揃うその時が、七夕の祀りであり、それはベガが北極星になる時を待ち望む祭りでもある。 それは一万三千年前の北極星の記憶を、この後の一万二千年先に送る星祭りだ。 参照:167.地上の銀河と星の王1(平塚市) 参照:
168.地上に降りた星の王2(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社) つまり、今では忘れられた七夕の意味が、江戸時代までは生き残っていたのではないか。少なくとも、天の川と相模川が相対する夏の夜の景観を、江戸時代までは楽しむことが出来ていたのではないか。 それではと、神奈川県の地図を開いてみた。星座早見版も並べてみる。 地上に描かれた「小ゆるぎ」の三角形は、天上の三角と一致するだろうか。 江戸時代の七夕の夜八時頃だろうか。天の川は北から南へと流れ落ちていた。相模川と同じ向きである。 城山公園に登った観察者は真東を向いて、星明かりでギラギラと輝く相模川を眺めていた。 月は低く南西にあって弦を上にした半月である。それは天の川に浮かぶ小舟の様だった。 右手の先に遠く、鎌倉の小ゆるぎの松がある八王子社の灯が見えた。その真上に牽牛星アルタイルが低く輝いている。 川の手前、中央には高く織姫星ベガがあり、真下の平塚の平野を照らしていた。 北東に、相模川のむこうに、目久尻川と小出川が平行して流れている、その間に相模一宮である寒川神社の灯が見える。 その先が小ゆるぎ村だ。 その小ゆるぎ村の真上に天の河の中州があり、そこに北十字が白く輝いていた。 かささぎの渡せる橋つまり白鳥座(北十字)のデネブの真下が、小ゆるぎ村だったのだ。 七夕の頃、城山公園に立つと真東に小ゆるぎ岬が見える。北東には北十字の星に指し示された小ゆるぎの里があった。 その村のことを文人達は語らないけれど、ここに立てばその村の位置がわかる。 星に導かれる村である。 クルス デル ノルテ、北十字は、天の河に沿って倒れている。それは海から見たとすれば、村の上に立ち上がって見えるかの様に錯覚された。 城山公園の近くに住んでいた元キリシタンだった人達は、小ゆるぎの里をあこがれの目で見つめていたのではないか。それはそこが小田原北条氏の時代から続く理想郷であったからではないか、と、妄想は羽ばたいていく。 参照:165.夜空にかかる十字架(明月院の谷)
追記: 鎌倉市の小動神社には、小田原7代藩主の大久保忠真(ただざね)の扁額がある。二宮尊徳や間宮林蔵を採用し、藩校集成館を作った人だそうだ。 扁額は三神社と書かれている。 三神社(さんじんじゃ)という名の神社は各地にある。山神社という神社も各地にある。これも「さんじんじゃ」と読むのだそうだ。 山の神というのは端山信仰と言って、日本古来の先祖を祀る宗教だ。でもそれを「山の神」ではなく「さんじんじゃ」と言い換えると、別の想像が働いてしまう。サンフランシスコのサンに似ていないか? 小動神社の三神社の由来は、牛頭天王と歳徳神、日本武尊の三神を祭るから三神社と言うのだそうだ。 名君と言われ在職中に58歳で突然死した小田原城主の大久保忠真は鎌倉の小動神社に参拝して、この扁額を納めた。三カ所の「小ゆるぎ」で作る三角形を、彼は知っていたんじゃないかなと、思った。
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***亀子***( 12 Sep. 2011-3.Mar.2012)
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十字形手水鉢(神奈川県藤沢市)
:::::目次:::::
:::Top最新のページ::: ▲・・・地図上の直線 地図に線を引くとわかる設計 (ランドデザイン) ★・・・地上の星座 天体の運行を取り入れた景観
:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::
▲3.霊仙山20Apr:::
:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::
▲6.道の意匠:::
:::7.修験道の現在形:::
:::8.鎌倉の白い岩:::
:::9.セキサンガヤツ:::
★10.若宮大路のカレンダー:::
▲11.神奈川県の鷹取山:::
▲12.鎌倉の正三角形:::
:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::
:::15.夜光る山:::
:::16.下りてくる旅人:::
:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::
:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::
▲21.熊野神社の謎:::
▲22.熊野神社+しし石:::
▲23.北鎌倉の地上の昴:::
★24.ふるさとの北斗七星:::
★25.労働条件と破軍星:::
★26.北条屋敷跡の南斗六星:::
:::27.星と鎌と騎馬民 :::
★28.江の島から見る北斗と昴 :::
★29.由比ケ浜から見る冬の星 :::
:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::
▲31.御嶽神社の謎:::
★32.塔の辻の伝説(1) :::
★33.昇竜の都市鎌倉(2):::
★34.改竄された星の地図(3):::
★35.すばる遠望 (4):::
▲36.長谷観音レイライン:::
★37.星座早見盤と金沢文庫:::
▲38.鎌倉の墓所と鎮魂:::
▲39.ふるさとは出雲:::
▲40.義経の弔い:::
▲41.「塔の辻」の続き:::
▲42.子の神社:::
:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::
:::48.ふたつあることについて:::
:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::
:::50.たたり石:::
:::51.鎌倉の十三塚:::
★52.陰陽師のお仕事:::
▲53.坂東平氏の大三角形と星:::
▲54.大船でみつけた平将門:::
▲55.神津島と真鶴:::
▲56.鷹取山のタカ (八王子市と鎌倉市):::
▲57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
▲58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::
:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::
▲60.重なり合う四神:::
:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::
:::63.吾妻社:::
▲64.約束の地(小休):::
★65.若宮大路の傾き(星の都1):::
★66.國常立尊(星の都2):::
★67.台の天文台(星の都3):::
▲68.鎌倉の摩多羅神:::
★69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
★70.鎌倉と姫路(星の道2):::
★71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::
★72.環状列石のしくみ (五芒星1)::: ★73.環状列石の使い方 (五芒星2)::: ★74.関谷の縄文とスバル (五芒星3):::
▲75.十二所神社のウサギ:::
:::76.針摺橋:::
▲77.平安時代のジオラマ:::
▲78.獅子巌の四神 (藤原氏の鎌倉):::
▲79.亀石によせる:::
▲80.山頂の古墳:::
:::81.長尾道路の碑 (横浜市戸塚区):::
★82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
★83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
★84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
★85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
★86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::
:::87.実方塚の謎(1) 鎌倉郡小坂郷上倉田村:::
:::88.戸塚町の謎(2) 鎌倉郡小坂郷戸塚町:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4) 栃木県宇都宮市雀宮町:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5) 茨城県古河市:::
:::92.北鎌倉の悲劇:::
▲:::93.こぶた山と奈良東大寺:::
:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::
▲96.海軍さん通りの夕日:::
▲★97.今泉不動の謎:::
▲98.野七里:::
▲99.染谷時忠の屋敷跡:::
★100.三ツ星とは何か (またはアキラについて):::
:::48.ふたつあることについて:::
▲101.亀の子山と磐座、火山島:::
★102.秦河勝の鎌倉:::
▲103.由比若宮(元八幡):::
▲104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
▲105.北鎌倉 台の光通信:::
★106.鎌倉の占星台:::
★107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
▲150.鎌倉 五芒星都市::: ▲158.第六天社と安部清明碑::: ▲159.桜山の朱雀(逗子市)::: ★160.双子の二子山と寒川神社::: :::161.ゴエモンの木::: :::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉::: :::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発)::: ★167.地上の銀河と星の王1(平塚市)::: ★
168.地上に降りた星の王2 (鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)::: ★
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る)::: :::
175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説)::: ★
176.おんめさまとカガセオ::: ★
177.南西214度の縄文風景 2 (大湯環状列石とカナイライン):::
★
178.御霊神社と鎌倉 (南西214度の縄文風景3):::
★
179.源頼朝の段葛とカガセオ (南西214度の縄文風景4):::
:::
184.鎌倉の小倉百人一首:::
:::
185.鎌倉の小倉百人一首 2:::
:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::
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