鎌倉、まぼろしの風景。139 

鎌倉、まぼろしの風景。


          
     

イメージの翼に乗って「星月夜の鎌倉」を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


北鎌倉の石仏

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亡備録 私的用語集
大淀三千風の日本行脚文集


+++キリシタンと江戸文化

110.東渓院菊姫
北鎌倉と豊後竹田

111.キリシタンの二十三夜

112.東慶寺の姫

113.徳川直轄地の
キリシタン

114.キリシタン受難像

115.江戸の幽霊
お岩とお菊

116.江戸の狂歌師
酔亀亭天広丸

117.江戸の蕎麦とお菓子

118.禁止された教え

119.葛飾北斎の1834年
旅する江戸人1

120.近松門左衛門の1719年
旅する江戸人2

121.大淀三千風の1686年
旅する江戸人3

122.大淀三千風の鴫立庵
123.柴又帝釈天の1779年
旅する江戸人4

124.飯島崎の六角の井

125.古狸塚

126.六地蔵・芭蕉の辻と
潮墳碑

127.キリシタン洞窟礼拝堂

128.十字架の菜の花

129.黙阿弥の白波五人男

130.大山の木食上人
旅する江戸人5

133.「忠直乱行」を読む
旅する江戸人6

135.駿河大納言忠長の遺業
旅する江戸人7

136.松平忠長の侍達
旅する江戸人8

137.許六と芭蕉

138.忠直とサンチャゴの鐘
豊後竹田と北鎌倉

139.沖の花(大分 瓜生島伝説)

140.鎌倉の庚申塔1・キリスト磔刑図
141.鎌倉の庚申塔2・嘆きの猿
142.鎌倉の庚申塔3・猿の面

143.曾根崎心中の道行き

144.義経千本桜の幻惑

145.建長寺のジョアン

147.椿地蔵と手まり歌

148.鎌倉という名の火祭り

149.玉藻ノ前と殺生石

151.不屈の第六天社(藤沢)
152.第六天の女神(戸塚)
153.玉縄城の第六天(鎌倉)

154.お花畑と後北条氏

155.落柿舎と鎌倉地蔵

157.平塚の4手の庚申塔

162.十文字鳥居と手水鉢
(藤沢市江ノ島)

163.八橋検校の秘曲と「千鳥」

164.半僧坊と明治憲法

165.夜空にかかる十字架
(明月院の谷)

169.馬頭観音の天衣(1)
170.マリアの石碑(2)
171.マリアの影を石に刻む(3)

172.六地蔵、葎塚(むぐらづか)と芭蕉(山梨県)

173.化粧するお地蔵様

180.大淀三千風のすみれと芭蕉

181.謡坂と善智鳥
(うとうざかとウトウ)

182.善知鳥と江戸大殉教

183.芭蕉の見た闇
(名古屋市・星崎)

186.キリシタンの古今伝授

187.鎌倉仏教とマニ教

188.謎の桜紋

189.西行と九尾の狐

190.○と□ (丸と四角、マリアとイエス)

191.踊場の猫供養塔(横浜市泉区)

193.貞宗院様の遺言(貞宗寺:鎌倉市植木)

194.崇高院様の山門(成福寺:鎌倉市小袋谷)

195.鎌倉光明寺54世松誉上人(書かれた文字1)

196.涌井藤四郎の新潟湊騒動(書かれた文字2)

197.鎌倉大仏縁起・(書かれた文字3)

199.扁額にある記号(書かれた文字4)

200.こゆるぎの松
(1鎌倉の小動)

201.城山公園の石碑
(2大磯の小動)

202.小ゆるぎの里
(3寒川の小動)

203.謡曲「隅田川」と田代城主

204.イボとり地蔵の小石

205.港町の杯状穴


江戸文化に
キリシタンの影響を見る。

見ず 聞かず
言はざる までは
つなげども
思はざる こそ
つながれもせず

(心に思う事を
罰する事はできない)

諸国里人談 巻三一「三猿堂」
菊岡沾凉(米山)著1743年刊



写真集
私説:キリシタン遺物と
その影響下に作られたと思われる
石碑と石仏


亀の蔵

「鎌倉、まぼろしの風景」
の要約。

書かなかったことや
後から書き足す事ども。


知る者は言わず
言う者は知らず《老子》

資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子

Twitter:@ninayzorro

ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)

   
キリシタンと江戸文化

139.沖の花

 JR北鎌倉駅の近くの和菓子屋さんで、京都のお菓子屋で作られた麩焼き菓子を買うことができる。甘い味噌味のその干菓子の名前を沖の花という。なにか物語めいた名前だと思った。
 沖の花という菓子は、4枚の麩焼き菓子を平に並べて袋に入れてある。長方形の麩菓子のその並べ方を見て、思い出す写真があった。大分県由布市の湯布院町にあるキリシタン墓地の写真だった。
参照:MAPPLE観光ガイドキリシタン墓地

 苔むした伏墓の姿と、袋の中央にラベルを貼られた「沖の花」の形が、似ている。と思った。そして何よりも「沖の花」という詩的な名前にひかれてしまった。沖の花とは何を意味しているのだろう。

 まず気になったのが司馬遼太郎の小説の「菜の花の沖」。江戸の廻船商の、高田屋嘉兵衛の物語だそうだ。次に、土佐市出間(いずま)沖の花・花フェスタ。これは70万本のひまわりを楽しむイベントだそうだ。沖の花というのは地名なのだろうかと思って聞いてみた。土佐市産業経済課の方が親切に教えて下さった。「出間沖の『沖』というのは広い田畑を表しています。」という事で、地名ではないのだそうだ。
 「沖の花」は謎のままずっと保留になってしまった。
それが急に解けた。松平忠直の足跡を調べていて、大分の歴史に詳しいHP「三佐の歴史」に出会えたからなのだ。このHPを読んで、沖の花とは何かが、わかった。
 参照:三佐の歴史

 大分市の三佐(みさ)に岡藩御茶屋敷がある。私は茶道のお茶室だとばかり思っていたけれど、御茶屋敷とは参勤交代の時の大名の宿泊施設なのだった。HP「三佐の歴史」に古地図があって、ヨットハーバーまでついた巨大施設「御茶屋敷」の姿が想像できた。
その岡藩御茶屋敷は松平忠直が配流になって大分に来たので、萩原にあった御茶屋敷を引き渡して三佐に移ったのだそうだ。配流が1623年だから、豊後岡藩2代目の中川久盛の時代である。北鎌倉の東渓院を建てた久清さんのお父さんだ。
 岡藩の宿舎と巨大ドックは、以前は萩原にあったのだ。それはそこが大友宗麟の時代からの国際港があった場所だからだ。と、思う。萩原の西隣の大分川の河口、今津留に、沖の浜という港があったらしいのだ。「沖の花」ではなく「沖の浜」である。

 ポルトガル船のアジア諸国航海路程記集(16世紀末)に、豊後の港として、蒲江、臼杵、佐賀関、沖の浜、日出(ひじ)が書かれているそうだ。南から順に北へと書かれた港の名はどれも今の地図にも書かれている地名だ。でも沖の浜だけは地図上に無い。大友館から約4kmと書かれた距離から推察して、今津留にあっただろうとしているのだ。消えた港なのだ。

 その沖の浜にポルトガル船が入港する。めったに無い事だ。それを聞きつけて、1551年9月(天文20)フランシスコ・ザビエルが山口からやってくる。ザビエルは1549年に中国船で鹿児島に上陸してから、平戸、山口、堺、京都と布教をして山口に戻っていたのだ。彼はここ大分で21歳の大友宗麟に会い、11月に日本を出国してインドに向う。翌年1552年12月3日広東に近い上川島で客死する。46歳だった。
 つまり、沖の浜とは、ザビエルが日本から去った所、それを記念する港、なのだろう。

 その沖の浜は消えてしまった。1596年(文禄5)9月にマグニチュード7,0の地震にあって、村と住民ごと海にさらわれてしまったのだ。
 消えた沖の浜のことを人々は長く語り継いでいただろう。日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルとキリスト教を保護した大友宗麟の名とともに、彼らを記憶し被災した人達を慰めるために。
 ところが地震から103年後、1699年(元禄12)に、戸倉貞則の書いた「豊府聞書」によって、沖の浜はその名さえも消えてしまったのだ。「瓜生島」伝説である。
 別府湾に沈んだという瓜生島は「またの名を沖浜町」と書かれ、これ以後、瓜生島の名が地震の記憶として語られる様になったようだ。瓜生島はもともと存在しないと「HP三佐の歴史」は語る。
参照:沖の浜 ( おきのはま)/沖の浜の瓜生島説は誤り

 鎌倉の歴史を調べていくうちに私が知った事の一つが、この「風評を消す」ことだ。時の施政者が積極的に「歴史」を書いて、人々の声を歴史に残さない様に消していくのだ。江戸時代の鎌倉はキリシタンに縁の深い場所だった。1623年(元和9)の江戸の大殉教の発端の地として、またはキリシタン伝道所のあった場所として、あるいはキリシタンの命をも救ってくれる東慶寺のある松ヶ岡として。江戸時代の人々は「鎌倉」というとキリシタンの町だと思っただろう。それを武家政権発祥の地の源頼朝の鎌倉、そして「幕府公認の観光地」に塗り替えたのが徳川光圀だ。彼の編纂した新編鎌倉志は名所旧蹟を満載して1685年に刊行されている。島原の乱を鎮圧して宗門人別改帳が作られて、キリシタンは見えなくなったその後の総仕上げだ。鎌倉はキリシタンという名を消して観光地になったのだ。光圀のこの行為は各地の手本になっているのかもしれない。
 14年後の大分では豊後府内藩士の書いた豊府聞書によって、地震で消失したのは瓜生島だということになった。架空の島のあからさまなその出版によって、人々は口を噤む。フランシスコ・ザビエルの沖の浜は忘れられていったのだろう。公的には沖の浜の名前は無くなってしまったのだ。

 それでも人々はその名を伝えたのだろう、と思う。サンタ・マリアが「三太○八」になったように、沖の浜は沖の花になって語られ残ったのだろうと思う。ポルトガル船が停泊した国際港はザビエルの面影を重ねて、菓子の名に生まれ変わったのだ。たとえば茶の湯の席で出されて、大分の湯布院ではキリシタンの墓がこの様であったとか、海に消えた港があったのだとか、西に行った神父の事も語られたのだろう。そういう物語をする事が棄教した人々の互いの慰めになる、心を解放できる場になる、それが茶の湯の席のおもてなし、だったのだろうと、沖の花を食べながら、思った。

 追記:豊府聞書が書かれた時の豊後国府内藩主は2代目の松平近陳(ちかのぶ)。息子の三代目松平近禎(ちかよし)も、ともに奏者番を勤めていて、後年に近禎は寺社奉行も兼務している。キリシタンの取締の責任者になっていたのだ。

  参照:大分歴史事典
参照:110.東渓院菊姫
北鎌倉と豊後竹田

参照:133.「忠直乱行」を読む
旅する江戸人6


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  ***亀子***
( 28 May 2009-14Mar.2012)

     

   
十文字の影がある庚申塔 横須賀市

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・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


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