鎌倉、まぼろしの風景。201 

鎌倉、まぼろしの風景。


          
     

イメージの翼に乗って「星月夜の鎌倉」を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


北鎌倉の石仏

:::::目次:::::
:::Top 最新の目次に戻る:::


亡備録 私的用語集
大淀三千風の日本行脚文集


+++キリシタンと江戸文化

110.東渓院菊姫
北鎌倉と豊後竹田

111.キリシタンの二十三夜

112.東慶寺の姫

113.徳川直轄地の
キリシタン

114.キリシタン受難像

115.江戸の幽霊
お岩とお菊

116.江戸の狂歌師
酔亀亭天広丸

117.江戸の蕎麦とお菓子

118.禁止された教え

119.葛飾北斎の1834年
旅する江戸人1

120.近松門左衛門の1719年
旅する江戸人2

121.大淀三千風の1686年
旅する江戸人3

122.大淀三千風の鴫立庵
123.柴又帝釈天の1779年
旅する江戸人4

124.飯島崎の六角の井

125.古狸塚

126.六地蔵・芭蕉の辻と
潮墳碑

127.キリシタン洞窟礼拝堂

128.十字架の菜の花

129.黙阿弥の白波五人男

130.大山の木食上人
旅する江戸人5

133.「忠直乱行」を読む
旅する江戸人6

135.駿河大納言忠長の遺業
旅する江戸人7

136.松平忠長の侍達
旅する江戸人8

137.許六と芭蕉

138.忠直とサンチャゴの鐘
豊後竹田と北鎌倉

139.沖の花(大分 瓜生島伝説)

140.鎌倉の庚申塔1・キリスト磔刑図
141.鎌倉の庚申塔2・嘆きの猿
142.鎌倉の庚申塔3・猿の面

143.曾根崎心中の道行き

144.義経千本桜の幻惑

145.建長寺のジョアン

147.椿地蔵と手まり歌

148.鎌倉という名の火祭り

149.玉藻ノ前と殺生石

151.不屈の第六天社(藤沢)
152.第六天の女神(戸塚)
153.玉縄城の第六天(鎌倉)

154.お花畑と後北条氏

155.落柿舎と鎌倉地蔵

157.平塚の4手の庚申塔

162.十文字鳥居と手水鉢
(藤沢市江ノ島)

163.八橋検校の秘曲と「千鳥」

164.半僧坊と明治憲法

165.夜空にかかる十字架
(明月院の谷)

169.馬頭観音の天衣(1)
170.マリアの石碑(2)
171.マリアの影を石に刻む(3)

172.六地蔵、葎塚(むぐらづか)と芭蕉(山梨県)

173.化粧するお地蔵様

180.大淀三千風のすみれと芭蕉

181.謡坂と善智鳥
(うとうざかとウトウ)

182.善知鳥と江戸大殉教

183.芭蕉の見た闇
(名古屋市・星崎)

186.キリシタンの古今伝授

187.鎌倉仏教とマニ教

188.謎の桜紋

189.西行と九尾の狐

190.○と□ (丸と四角、マリアとイエス)

191.踊場の猫供養塔(横浜市泉区)

193.貞宗院様の遺言(貞宗寺:鎌倉市植木)

194.崇高院様の山門(成福寺:鎌倉市小袋谷)

195.鎌倉光明寺54世松誉上人(書かれた文字1)

196.涌井藤四郎の新潟湊騒動(書かれた文字2)

197.鎌倉大仏縁起・(書かれた文字3)

199.扁額にある記号(書かれた文字4)

200.こゆるぎの松
(1鎌倉の小動)

201.城山公園の石碑
(2大磯の小動)

202.小ゆるぎの里
(3寒川の小動)

203.謡曲「隅田川」と田代城主

204.イボとり地蔵の小石

205.港町の杯状穴


江戸文化に
キリシタンの影響を見る。

見ず 聞かず
言はざる までは
つなげども
思はざる こそ
つながれもせず

(心に思う事を
罰する事はできない)

諸国里人談 巻三一「三猿堂」
菊岡沾凉(米山)著1743年刊



写真集
私説:キリシタン遺物と
その影響下に作られたと思われる
石碑と石仏


亀の蔵

「鎌倉、まぼろしの風景」
の要約。

書かなかったことや
後から書き足す事ども。


知る者は言わず
言う者は知らず《老子》

資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子

Twitter:@ninayzorro

ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)

   

東日本大震災で被災した方々に心よりお見舞い申し上げます。

キリシタンと江戸文化


201.城山公園の石碑(2大磯の小動)


 神奈川県大磯町にある県立城山(じょうやま)公園には素晴らしい展望台がある。南西に視界が開けていて、真鶴半島や伊豆半島、伊豆大島を望むことができる。戦国時代の山城であり、日本庭園やお茶室もあり、古墳もある。入場無料の公園だ。

 そこに城山荘温古之碑と彫られた石碑がある。城山荘とは三井高棟の別荘のこと。三井銀行、三井物産、三井鉱山の創設者だ。
 三井十一家と言われる三井一族の当主だった三井高棟は、明治中ごろに軍医総監の橋本綱常からこの地を買い入れた。
 ここに高棟は隠居し、新たに城山荘本館を建築する。本館完成の翌年、昭和10年に城山荘温古之碑は建立された。
 「古代人の群落ありしことを知る」から「西方の丘下は平安時代当国政廰の所在たる相模国府址にして」「文化年間長尾影春の□越後五郎四郎此処に占拠せり」「近時財界の巨人三井高棟氏」まで、碑文はこの城山の歴史を語る。石野瑛撰書とある。「神奈川県大観」などを書いた著名な歴史家だ。
 だけどこれは不思議な碑である。

城山荘温古之碑と奥にある城山横穴墓
 まず目を引くのは、署名が消えていることだろう。
 文章を添削した石野瑛の名はあるけれど、この碑の建立者、肝心な人物の名が無い。署名はあったのだけれど、そこを削って、新しい石をはめ込んである。
 色の違う白い短冊形の空間が見える。
 戦前に作られた碑文が、戦中になって削られたのだろうか。
 この碑文に関わりたくないと思った人たちがいたのだろうか。そんな想像をするほどの何が、この碑文にあると言うのだろう。
 碑の上部に、文字が書かれるはずの空欄がある。ここに浮き彫りにされていたはずの文字も、削られているのだろうか。

 さらに周囲を見ると、碑の前には石段がある。木の根が石段を覆っている。
 もう長い年月がたっているのだ。石碑と石段と横に植えられた木は、碑の建立当時からずっと変わらずにここにあったとわかる。
 その石段を登ると、碑の後ろに洞窟が見える。古墳時代の遺跡だ。
 つまりこの碑は、背後の横穴に気づく為にここに建っているのではないか。城山荘の碑なら、山頂の展望台に建てた方が客人の目につくだろう。ここに石段があり、この石碑に誘い、奥の洞窟に辿り着く。それが碑の建立者の意図したことだったのではないか。

 そして碑文の前で振り向くと、風景が広がっている。まっすぐ海上を越えた視線は、江ノ島の先の小動岬に向かう。この石碑は真東に向いて建てられているのだ。
 小ゆるぎの三角形は、この碑の場所から始まっているのだ。
参照: 200.こゆるぎの松 (1鎌倉の小動)

 真西を向いたこの洞窟で、誰かが火を灯して祈っていたのではないか。この洞窟にロウソクの火を置いたら、洞窟内部が行灯(あんどん)の様に明るく照らされるだろうと思った。
 その火は洞窟の奥なので、山の下の街道からは見ることができないだろう。
 碑のある場所は山の中腹で、海上に向いている。
 海上の漁船や照が崎の岩礁からは見る事ができたかも知れない。
 その先は鎌倉市腰越の小ゆるぎ岬だ。
 七里ヶ浜の鎌倉プリンスホテルの山頂からも見えただろう。山は削られてコンクリートで崖は覆われて、そこに何があったかは消え去っているにしても、地図をみれば、ここに城山の灯が届いただろう事はわかるのだ。
 もしかしたら、稲村ケ崎の白山神社の山頂(57m)からも、見えたかも知れないと思う。
 もしかしたら、飯島の六角の井からも見えたのではないか。
参照:124.飯島崎の六角の井

 洞窟で火を灯すとは、そういうことだ。
 この石碑をここに立てた人は、その事を知っている。
 この碑が城山公園の山頂にあるのではなく、山の中腹の、散策道の途中にある、その理由は、そこに西を向いた洞窟があるから、だと思うのだ。
 小ゆるぎ浦の城山の灯は海を越えて鎌倉の小ゆるぎ岬に届いていた、その事を忘れずに記念している、それがこの場所にある碑文だと、想像した。

 園内には大磯町立郷土資料館がある。この前庭に、今では国宝となっている織田有楽斎の茶室「如庵」があった。
参照:145.建長寺のジョアン
 第二次大戦の戦火を逃れるために、東京の三井邸からこの別荘に移築されていたのだそうだ。
 その場所には、クルスの影のある庭石が置かれていた。膝をついて祈ると、ちょうど目の前にくる位置だ。

 城山は文明9年(1477年)3月に太田道灌によって攻め落とされた。ここを守った越後五郎四郎と言う武将は長尾景春に仕えた人だそうだ。長尾景春は柏原城(群馬県吾妻郡東吾妻町)に退いた。
 その後の小田原北条氏の時代は、新編相模国風土記稿によると花之木氏の領地だった。花之木とは三好孫太郎(堀内康親)のことだろうか。あるいはその父の堀内重親(玉縄衆)のことだっただろうか。
参照:武将系譜辞典/北条家人名録

 そこでふたたび思い出すのだ。小田原北条氏の時代はキリシタン伝来と流行の華やかな時代に重なっている。でも、キリシタンと小田原北条氏とを一緒に語る人はいない。なぜだろう。

 ところで、城山荘は三井高棟の別荘だった。三井さんと言えば私には三井友翰、大淀三千風である。元禄時代の連歌師だ。
 彼は松尾芭蕉より5歳年上で、俳句仲間の家を宿にして日本中を歩いた。彼が江戸に来て泊まる定宿が日本橋にあった。
 日本橋の何処かは書いていないけれど、そこには後の三越デパートにつながる越後屋さんがあった。
 三千風が商人をやめて俳人になり、まだ仙台に暮らしていた三十代の頃に、伊勢の三井高利が開いたお店だ。
 彼は越後屋を定宿にしていただろうと想像する。大きな商家だから三千風の持っている各地の情報を知りたいと思っただろう。
 三千風は芭蕉が死んだ翌年に、やっと腰を据えて庵を構えた。それが大磯町の鴫立庵だ。名高い俳諧道場である。

 なぜ大磯か、と言うと、そこに宗雪がすでに庵を構えていたからだ、と言われている。三千風が若い頃に師事した先生だろうと推察する。彼の著作の日本行脚全集巻之六に「大磯がよひのむかしを思ひ。」という文があるのだ。

鴫立庵にあった宗雪の碑 郷土資料館にて
 すでにあった庵を三千風が中興したのだ。でも鴫立庵初代は大淀三千風になっている。

 三千風はとても明晰な人で用心深い。彼が大磯に来て守ったのは、城山であったかも知れないと、思いついた。
 大磯には本陣があって、人が常に行き交う東海道の宿場町だ。そこに庵を設ければ、旅の途中の武士も庶民もやって来れる。どこにも秘密がないのが鴫立庵だ。
 そこに居る事で、彼は城山を守ったのではないか。それはキリシタンの遺跡あるいは集会場所ではなかったか、と想像してみた。
 明治になって三井高棟が城山を別荘にした。彼にこの地を紹介した人は、城山の歴史を知っている、と、思った。
参照: 大磯(城山公園方面)の横穴墓城山横穴墓群(大磯町西小磯[県立城山公園内])
参照:歴史の町 大磯

      


:::Top 最新の目次に戻る:::


  ***亀子***( 29 Sep. 2011)

     

   
十字形手水鉢(神奈川県藤沢市)

:::::目次:::::

:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子
ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)

//////無断複製を禁止します。All Rights Reserved. (C)亀子
検索にご利用下さい
inserted by FC2 system