+キリシタンと江戸文化+ +
165.夜空にかかる十字架(明月院の谷) 鎌倉文学館が編集し平成六年に発行した「鎌倉文学散歩 大船・北鎌倉方面」を読む。 そこに明月院にある 尾崎喜八墓詩碑 が載っていた。 回顧 いたるところに歌があった。 いくたの優しいまなざしがあり、 いくつの高貴な心があった。 こうして富まされたその晩年を 在りし日の愛と感謝と郷愁で 装うことのできる魂は幸いだ。 尾崎喜八
昭和41年に発表されたこの美しい詩に続いて、彼のエッセイの一部が2ページに渡って引用されている。それは昭和45年頃の名月谷のあたりを、淡々とそして詩情豊かに語っている。 私の住んでいる明月谷戸にはアジサイで名高い建長寺の末寺明月院がある。谷戸の名もそれに由来しているかと思うが、山あいの谷の空がほぼ東から西へ向かって細長く開けているために、晴れてさえいればあらゆる月齢の月が一年じゅう頭上を通る。 この後に、11月半ばからの宵の空に天の川が谷戸と同じ方向に流れていて、西に沈む星座の美しさを語っている。「西のかた東慶寺あたりの空へ落ちて行く白鳥座の大十字形がすばらしい。」 と続く。 「その土地への愛の序曲」より 東慶寺は明月谷の真西にある。その真上のほぼ天頂に近いところ仰角70度くらいに、白鳥座の大十字は斜めに輝いている。ノーザンクロス。北十字星だ。 そのまま北西へ星座が沈んで行くにつれて、傾いていた十字架は立ち上がり地平線に着くあたりで、まるで墓碑の様に十字架は屹立する。 そのまま北西に向かって沈んで行く白鳥座の大十字は、縦の棒が短くなってギリシア十字の形に見えるはずだ。それは東慶寺の天秀尼の墓碑に現れる十字架の形に似ていると思う。 尾崎喜八は「西のかた東慶寺あたりの空へ」と語った。星座で作る大十字が示すのは、東慶寺がふさわしいと思ったからなのだろう。 キリストを表すIHSの印がついた聖餅箱の有る寺。キリシタンに寛容だったと思われる徳川忠長の屋敷を移築した寺。彼の形見の品も、屋敷とともにこの寺に来たのだろうと思う。 この寺にある水月観音像は、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロの大理石像ピエタに、限りなく似ていると思う。その模写を版画にしたものが50年後に仏師の目に留まったとして、、。妄想は果てしもない。 参照:135.駿河大納言忠長の遺業 参照:112.東慶寺の姫 明月谷を出て明月院踏切に立つと、北西に向けて空が大きく開けているのが分かる。 ここから2.5km先の柏尾川の対岸の岡本の山まで、遮るもののない風景が広がっていたはずなのだ。 北西から南へとここで大きく湾曲するJR横須賀線が、今は明月院の谷の前面を塞いでいて、この地が北鎌倉を展望する景勝地であっただろう事を隠している。 北鎌倉駅から大船にかけて小袋谷川に沿ってマンションがいくつも建っているから、麦畑の向こうに亀の子山や玉縄城の山々が展望できた、かつての明月谷の入り口あたりを想像する事は難しい。 その美しかったであろう景観を見る高台の洞窟が、明月院の谷の入り口にある。 瀟洒な橋の正面の山中にある洞窟だ。高射砲かもしれない。 今は茂った木々に隠されて、たくさんの観光客も気づかずにその下を通っている。 高射砲の穴が掘られる以前から、この洞窟はここにあって、立ち上がる北十字星を見た人がいたのではないか。そう思った。 白鳥座の大十字が地上に立つのは方位303度あたり。西から北西へ33度のあたりだ。 十字架の一番下の星アルビレオが沈んだ後に、η星でつくるギリシャ十字は313度くらいに沈む。ほぼ北西だ。つまり、北に向かって左手の方45度の位置あたりに十字架が立つのだ。尾崎喜八は11月半ばの宵にと書いた。その倒れた十字架が北西に立つ宵は、1月下旬。12月下旬ならば夜八時頃。クリスマスの夜のミサの頃に、空には大きな十字架が輝いているのだ。かつて、その時の明月院の谷戸は、どんな風だったのだろうと思う。 地図上に303度と313度を指し示す線を引いてみた。あの洞窟の位置からだ。玉縄城の全体が二本の線の中に入っていた。 北十字星が指し示す場所は、玉縄城址のあるS泉女学院だった。カトリック女子修道会を併設している。 313度の線はA光学園のイエズス会修道院の上を通る。この線は非常に興味深い線になった。 313度の線が通る場所を並べてみる。円覚寺の三門。このページの左上に掲げた花クルスのあるお地蔵さまのある墓地。明治期の小学校跡地。亀の子山の八幡宮。一福弁財天。神明社。修道院を越えて、洗馬谷横穴群。小雀浄水場。 二本の線の間から北西を見れば、つまり北鎌倉から北西を見れば、十字架が玉縄城を指し示すのを見ることになる。 それでまた、あの疑問が湧くのだ。 相模を支配した小田原北条氏、後北条氏は、キリシタンをどう思っていたのだろう。と。 参照:153.玉縄城の第六天(鎌倉) 参照:154.お花畑と後北条氏 ☆ ☆ ☆追記1:七夕の織姫星と牽牛星の間を流れる天の川に、鵲(かささぎ)が翼を広げて橋を架け、二人を会わせた。その「かささぎの 渡せる橋」と歌われた橋が、白鳥座の大十字、北十字星なのだそうだ。 つまり「かささぎの 渡せる橋」とは、キリストの十字架を表している、ことになる。 小倉百人一首の歌
かささぎの 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける(中納言家持) この歌の橋は宮中の御階のことなのだそうだ。でも、江戸時代の人がこの言葉を使う時には、別の意味も含んでいたのかもしれない。 追記2: 大伴家持が歌った歌は2つの解釈があるそうだ。宮中の階段に霜が降りた様子を見て夜が更けたと思う、そういう冬の歌。 それから。七夕の夕べに見る白鳥座(鵲の渡せる橋)は、天文薄明がまだ終わっていない明るい空の星座だ。その見慣れた星座ではなく、深夜の天の川にびっしりと星屑が光り白鳥座に重なる姿を見て、その違いに驚き、夜が更けたことを知る。真夏の歌。 白鳥座は7月から12月の夕べに見える夏の星座なのだ。そして七夕の夜の天の川が「霜が降りた様に光る」と讃えるのは漢詩を読む人達の教養だそうだ。真夏の霜、なのだ。 家持の歌が冬なのか夏なのか決まっていない。歴代の学者が集まっても冬か夏か決める事さえできないのだろうか、そうではないのだ。それはつまり、この歌が冬も夏も掛け軸として飾れる事を意味している。この歌を年中眺めていたい人達が居たのだ、と思う。 そのために謎は残しておくのだ。冬とも夏とも解釈できる、と、しておくのだ。 キリシタンというキーワードで、たとえば茶室にかけられたこの歌の意味を読んでみよう。もちろんそれは家持の歌った主旨ではなく、茶室にかけた主人の創造した、茶会の空間の中での意味だ。和歌を「読みなす」とは、こういう事だったのではないか、と思う。
かささぎの渡せる橋 に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける 中納言家持 キリストの十字架を飾る宝石の様に、露と消えた数千数万の殉教者の魂が日本国に輝いている。有名無名の無数の人達の人生の輝きを思えば、この暗黒の時代も、もう夜明けが近いと思うことができる。 (復活祭イースター前日に加筆。)
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***亀子***( 1-3-14 Apr. 2010-8 Mar.2012)
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柏原 一心坊
:::::目次:::::
:::Top最新のページ::: ▲・・・地図上の直線 地図に線を引くとわかる設計 (ランドデザイン) ★・・・地上の星座 天体の運行を取り入れた景観
:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::
▲3.霊仙山20Apr:::
:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::
▲6.道の意匠:::
:::7.修験道の現在形:::
:::8.鎌倉の白い岩:::
:::9.セキサンガヤツ:::
★10.若宮大路のカレンダー:::
▲11.神奈川県の鷹取山:::
▲12.鎌倉の正三角形:::
:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::
:::15.夜光る山:::
:::16.下りてくる旅人:::
:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::
:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::
▲21.熊野神社の謎:::
▲22.熊野神社+しし石:::
▲23.北鎌倉の地上の昴:::
★24.ふるさとの北斗七星:::
★25.労働条件と破軍星:::
★26.北条屋敷跡の南斗六星:::
:::27.星と鎌と騎馬民 :::
★28.江の島から見る北斗と昴 :::
★29.由比ケ浜から見る冬の星 :::
:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::
▲31.御嶽神社の謎:::
★32.塔の辻の伝説(1) :::
★33.昇竜の都市鎌倉(2):::
★34.改竄された星の地図(3):::
★35.すばる遠望(小休)(4):::
▲36.長谷観音レイライン:::
★37.星座早見盤と金沢文庫:::
▲38.鎌倉の墓所と鎮魂:::
▲39.ふるさとは出雲:::
▲40.義経の弔い:::
▲41.「塔の辻」の続き:::
▲42.子の神社:::
:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::
:::48.ふたつあることについて:::
:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::
:::50.たたり石:::
:::51.鎌倉の十三塚:::
★52.陰陽師のお仕事:::
▲53.坂東平氏の大三角形と星:::
▲54.大船でみつけた平将門:::
▲55.神津島と真鶴:::
▲56.鷹取山のタカ (八王子市と鎌倉市):::
▲57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
▲58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::
:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::
▲60.重なり合う四神:::
:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::
:::63.吾妻社:::
▲64.約束の地(小休):::
★65.若宮大路の傾き(星の都1):::
★66.國常立尊(星の都2):::
★67.台の天文台(星の都3):::
▲68.鎌倉の摩多羅神:::
★69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
★70.鎌倉と姫路(星の道2):::
★71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::
★72.環状列石のしくみ (五芒星1)::: ★73.環状列石の使い方 (五芒星2)::: ★74.関谷の縄文とスバル (五芒星3):::
▲75.十二所神社のウサギ:::
:::76.針摺橋:::
▲77.平安時代のジオラマ:::
▲78.獅子巌の四神 (藤原氏の鎌倉):::
▲79.亀石によせる:::
▲80.山頂の古墳:::
:::81.長尾道路の碑 (横浜市戸塚区):::
★82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
★83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
★84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
★85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
★86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::
:::87.実方塚の謎(1) 鎌倉郡小坂郷上倉田村:::
:::88.戸塚町の謎(2) 鎌倉郡小坂郷戸塚町:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4) 栃木県宇都宮市雀宮町:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5) 茨城県古河市:::
:::92.北鎌倉の悲劇:::
▲:::93.こぶた山と奈良東大寺:::
:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::
▲96.海軍さん通りの夕日:::
▲★97.今泉不動の謎:::
▲98.野七里:::
▲99.染谷時忠の屋敷跡:::
★100.三ツ星とは何か (またはアキラについて):::
:::48.ふたつあることについて:::
▲101.亀の子山と磐座、火山島:::
★102.秦河勝の鎌倉:::
▲103.由比若宮(元八幡):::
▲104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
▲105.北鎌倉 台の光通信:::
★106.鎌倉の占星台:::
★107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
▲150.鎌倉 五芒星都市::: ▲158.第六天社と安部清明碑::: ▲159.桜山の朱雀(逗子市)::: ★160.双子の二子山と寒川神社::: :::161.ゴエモンの木::: :::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉::: :::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発)::: ★167.地上の銀河と星の王1(平塚市)::: ★
168.地上に降りた星の王2 (鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)::: ★
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る)::: :::
175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説)::: ★
176.おんめさまとカガセオ::: ★
177.南西214度の縄文風景 2 (大湯環状列石とカナイライン):::
★
178.御霊神社と鎌倉 (南西214度の縄文風景3):::
★
179.源頼朝の段葛とカガセオ (南西214度の縄文風景4):::
:::
184.鎌倉の小倉百人一首:::
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185.鎌倉の小倉百人一首 2:::
:::156.せいしく橋の伝説:::
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