+キリシタンと江戸文化+ +
182.善知鳥と江戸大殉教 前回の181.謡坂と善智鳥(うとうざかとウトウ)の続きです。 小学館の「日本古典文学全集 謡曲集二」を読んだ。ここに謡曲の「善知鳥(うとう)」が載っている。 作者は世阿弥と書かれているけれど、「世阿弥作という確証はない」のだそうだ。でも5冊の謡曲の解説本(?)を挙げて、どの本もすべて善知鳥は世阿弥の作とする、と書いてあるのだそうだ。 世阿弥ではないけれども、世阿弥作という事にした方が良いのだ、という風に聞こえた。 凄惨な場面のある能だと言うけれど、確かにイメージの中ではすさまじい風景が展開されていた。 猟師は「うとう」と呼んで、出て来た雛鳥を地面に放ち、杖で打つ。 天から血の雨が降って来て、ずぶ濡れになり、目の前が真っ赤になる。 能は武士も好んで謡い舞ったそうだ。彼らの戦の殺戮の経験が思い出された事だろう、と思う。 ここで思いがけない言葉に出会った。 なほ降りかかる、血の涙に、目も紅に、 染みわたるは、もみじの橋の鵲(かささぎ)か。 「秋の紅葉の枝を見上げると、枝が葉で赤く飾られて空に延びている。それはまるで天の川にかかるカササギの橋が、牽牛と織女の紅涙で赤く染まった様だ。」 古今集の和歌を引き合いに、ここで「鵲の渡せる橋」を出して来たのだ。驚いた。 参照:165.夜空にかかる十字架(明月院の谷) 鵲の渡せる橋 とは、天の川に架かる星座の北十字だ。白鳥座である。 かささぎの 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける (大伴家持) 家持の歌は真っ白に輝く十字架である。それに対して善知鳥の場面では、血を浴びて真っ赤に濡れた十字架だ。 「シテは地謡に合わせて舞い、常座で留める。」とト書きがあった。 「もみじの橋の鵲か。」で、ポーズをする。ここは見せ場であるのだ。 頭から血を浴びた猟師は、鮮血の十字架を幻視する。その後の最終場面は、いっそう凄惨になる。 猟師は怪鳥に眼をえぐり取られ、肉を裂かれ、猛火に焼かれるのだ。 助けて賜(た)べや御僧(おんそう)、助けて賜べや御僧と、言ふかと思へば失せにけり。 苦しむ猟師の霊は「助けてくれ」と繰り返し訴えながら消えていくのだ。 なんということだろう。 この本は若い頃から本棚にあって、何回か読んでいる。今読んでみれば、刑場跡に立って、惨劇の後を眺めている様な気になってくる。おそらく、能を見た人達も、同時代で進行していたキリシタン弾圧に想いを寄せただろうと、思う。
+ 謡曲「善知鳥」を語る時に、必ず出てくる和歌がある。 主人公である猟師の霊が登場する時に謡われる。テーマ曲だ。 陸奥(みちのく)の 外の浜なる呼子鳥、 鳴くなる声は、うとうやすかた。 藤原定家の歌だと伝わっている。ところが、それに異議を唱えた論文があるそうだ。江戸後期の国学者、小山田与清の「松屋筆記」に、鱸(すずき)重常の「春雨抄」(1639年寛永16)に、「夫木抄」に載った定家の歌だと出ている、というのだ。だけど「夫木抄」にはこの和歌は出て無いのだそうだ。 参照:佐倉の老狐 北国の鳥 善知鳥 ネット上で「夫木抄」の歌を読むことができる。1310年頃に成立した和歌集で、全部で17387首あった。検索をかけると、定家の歌は100首以上もあるという。でも「うとう」も「やすかた」も載ってはいなかった。春雨抄の記述は正しくなかった様だ。 では、それを書いた鱸重常とは誰か。 検索で鈴木重常さんは見つからなかったが、2つの鈴木氏について、読むことが出来た。どちらも名前に「重」をつける一族だ。キリシタンが禁教になる以前は「十」を付けたのではないかと妄想した。 まず、天草代官の鈴木重成。 彼は天草の年貢高を半減する様に訴え続けた。死後、天草代官2代目の重辰の時に年貢は半減された。 重成の兄が正三。「破切支丹」の著者。天草の人達に仏教への改宗を勧めた。3人とも「春雨抄」の時代の人だ。 島原の乱で荒れ果てた天草に住民を入植させ、農地を回復させた。熊本県本渡市の鈴木神社に3人は祀られている。 次に、鈴木重次。水戸徳川家の家臣。 父の重朝は伊達政宗に仕え、家康から水戸藩に仕える様になった。その息子が重次。彼が早世したため、徳川頼房の11男の重義を養子にした。重義は徳川光圀の弟だ。 この中に「春雨抄」の著者は居るのだろうか。 ところが、である。 国学院大学の資料の中に「『春雨抄』を著す。」と記された文人がいた。 石出吉深(よしみ)、国学者にして小伝馬町牢屋奉行、である。それは大変だ。 参照:石出吉深 石出吉深は現在の刑事収容施設法につながる法の創始者だそうだ。ウィキペディアには彼の感動的な善行が書かれていて、必読だ。有名人だそうだけれど、私には驚きだった。江戸時代の代官にはすごい人が居たんだと思った。 参照:石出帯刀(いしで たてわき) 彼の号を常軒という。鱸重常の常だ。江戸の四大連歌師の一人であり、紀行文「所歴日記」を書いているそうだ。あの歌を定家の歌だと喧伝して、大切にし後世に残したのは、小伝馬町牢屋奉行の石出吉深であると、私は思う。 陸奥(みちのく)の 外の浜なる呼子鳥、 鳴くなる声は、うとうやすかた。 呼子鳥、我が子よ、と呼びかける鳥。「子」とはキリストのことだ。 石出吉深が呼子鳥と善知鳥を結びつけたのだと、想像してみる。 参照:116.江戸の狂歌師 酔亀亭天広丸 1624年、善智鳥の13人が斬首された年に。出羽ではこの年だけで百九人の殉教者が数えられた。レオン・パジェスの「日本切支丹宗門史 中卷」に書いてあった。 その前年はあの、江戸大殉教である。デ・アンゼリス神父とガルベス神父、原主水。そしてその他に47人。二十五日後に37人の妻や子、協力者の処刑。 死を前にした彼らの側にいて、彼らの声を聞き記録する。訊問をし、処刑に立ち会う。管理責任者が牢屋奉行である。 江戸大殉教から15年後、石出吉深は養父から牢屋奉行を引き継ぐ。22才。6度目の江戸での処刑があった年だ。 江戸時代の生活の根底に、誰も語ることができなかったキリシタン弾圧の暗部がある。 紀行文、謡曲、連歌、俳諧。書かれた物にキリシタンという文字は出て来ない。だけど、江戸時代を通して数万人と言われる処刑者と、彼らとともに暮らす生活があった。 みんなで謡曲「善智鳥」を作り上げた。ある人は世阿弥の作だと言い、ある人は定家の歌だと言い、架空の鱸さんも出てくる。そうやってリスクを分散して、みんなでキリシタン弾圧の実情を残そうとした。 それが江戸の文学者の、作家の底力なのだと、思った。
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***亀子***(16 Oct. 2010-5 Mar.2012)
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十字形手水鉢(神奈川県藤沢市)
:::::目次:::::
:::Top最新のページ::: ▲・・・地図上の直線 地図に線を引くとわかる設計 (ランドデザイン) ★・・・地上の星座 天体の運行を取り入れた景観
:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::
▲3.霊仙山20Apr:::
:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::
▲6.道の意匠:::
:::7.修験道の現在形:::
:::8.鎌倉の白い岩:::
:::9.セキサンガヤツ:::
★10.若宮大路のカレンダー:::
▲11.神奈川県の鷹取山:::
▲12.鎌倉の正三角形:::
:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::
:::15.夜光る山:::
:::16.下りてくる旅人:::
:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::
:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::
▲21.熊野神社の謎:::
▲22.熊野神社+しし石:::
▲23.北鎌倉の地上の昴:::
★24.ふるさとの北斗七星:::
★25.労働条件と破軍星:::
★26.北条屋敷跡の南斗六星:::
:::27.星と鎌と騎馬民 :::
★28.江の島から見る北斗と昴 :::
★29.由比ケ浜から見る冬の星 :::
:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::
▲31.御嶽神社の謎:::
★32.塔の辻の伝説(1) :::
★33.昇竜の都市鎌倉(2):::
★34.改竄された星の地図(3):::
★35.すばる遠望(小休)(4):::
▲36.長谷観音レイライン:::
★37.星座早見盤と金沢文庫:::
▲38.鎌倉の墓所と鎮魂:::
▲39.ふるさとは出雲:::
▲40.義経の弔い:::
▲41.「塔の辻」の続き:::
▲42.子の神社:::
:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::
:::48.ふたつあることについて:::
:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::
:::50.たたり石:::
:::51.鎌倉の十三塚:::
★52.陰陽師のお仕事:::
▲53.坂東平氏の大三角形と星:::
▲54.大船でみつけた平将門:::
▲55.神津島と真鶴:::
▲56.鷹取山のタカ (八王子市と鎌倉市):::
▲57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
▲58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::
:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::
▲60.重なり合う四神:::
:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::
:::63.吾妻社:::
▲64.約束の地(小休):::
★65.若宮大路の傾き(星の都1):::
★66.國常立尊(星の都2):::
★67.台の天文台(星の都3):::
▲68.鎌倉の摩多羅神:::
★69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
★70.鎌倉と姫路(星の道2):::
★71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::
★72.環状列石のしくみ (五芒星1)::: ★73.環状列石の使い方 (五芒星2)::: ★74.関谷の縄文とスバル (五芒星3):::
▲75.十二所神社のウサギ:::
:::76.針摺橋:::
▲77.平安時代のジオラマ:::
▲78.獅子巌の四神 (藤原氏の鎌倉):::
▲79.亀石によせる:::
▲80.山頂の古墳:::
:::81.長尾道路の碑 (横浜市戸塚区):::
★82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
★83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
★84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
★85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
★86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::
:::87.実方塚の謎(1) 鎌倉郡小坂郷上倉田村:::
:::88.戸塚町の謎(2) 鎌倉郡小坂郷戸塚町:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4) 栃木県宇都宮市雀宮町:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5) 茨城県古河市:::
:::92.北鎌倉の悲劇:::
▲:::93.こぶた山と奈良東大寺:::
:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::
▲96.海軍さん通りの夕日:::
▲★97.今泉不動の謎:::
▲98.野七里:::
▲99.染谷時忠の屋敷跡:::
★100.三ツ星とは何か (またはアキラについて):::
:::48.ふたつあることについて:::
▲101.亀の子山と磐座、火山島:::
★102.秦河勝の鎌倉:::
▲103.由比若宮(元八幡):::
▲104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
▲105.北鎌倉 台の光通信:::
★106.鎌倉の占星台:::
★107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
▲150.鎌倉 五芒星都市::: ▲158.第六天社と安部清明碑::: ▲159.桜山の朱雀(逗子市)::: ★160.双子の二子山と寒川神社::: :::161.ゴエモンの木::: :::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉::: :::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発)::: ★167.地上の銀河と星の王1(平塚市)::: ★
168.地上に降りた星の王2 (鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)::: ★
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る)::: :::
175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説)::: ★
176.おんめさまとカガセオ::: ★
177.南西214度の縄文風景 2 (大湯環状列石とカナイライン):::
★
178.御霊神社と鎌倉 (南西214度の縄文風景3):::
★
179.源頼朝の段葛とカガセオ (南西214度の縄文風景4):::
:::
184.鎌倉の小倉百人一首:::
:::
185.鎌倉の小倉百人一首 2:::
:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::
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