鎌倉、まぼろしの風景。127 

鎌倉、まぼろしの風景。


          
     

イメージの翼に乗って「星月夜の鎌倉」を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


北鎌倉の石仏

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亡備録 私的用語集
大淀三千風の日本行脚文集


+++キリシタンと江戸文化

110.東渓院菊姫
北鎌倉と豊後竹田

111.キリシタンの二十三夜

112.東慶寺の姫

113.徳川直轄地の
キリシタン

114.キリシタン受難像

115.江戸の幽霊
お岩とお菊

116.江戸の狂歌師
酔亀亭天広丸

117.江戸の蕎麦とお菓子

118.禁止された教え

119.葛飾北斎の1834年
旅する江戸人1

120.近松門左衛門の1719年
旅する江戸人2

121.大淀三千風の1686年
旅する江戸人3

122.大淀三千風の鴫立庵
123.柴又帝釈天の1779年
旅する江戸人4

124.飯島崎の六角の井

125.古狸塚

126.六地蔵・芭蕉の辻と
潮墳碑

127.キリシタン洞窟礼拝堂

128.十字架の菜の花

129.黙阿弥の白波五人男

130.大山の木食上人
旅する江戸人5

133.「忠直乱行」を読む
旅する江戸人6

135.駿河大納言忠長の遺業
旅する江戸人7

136.松平忠長の侍達
旅する江戸人8

137.許六と芭蕉

138.忠直とサンチャゴの鐘
豊後竹田と北鎌倉

139.沖の花(大分 瓜生島伝説)

140.鎌倉の庚申塔1・キリスト磔刑図
141.鎌倉の庚申塔2・嘆きの猿
142.鎌倉の庚申塔3・猿の面

143.曾根崎心中の道行き

144.義経千本桜の幻惑

145.建長寺のジョアン

147.椿地蔵と手まり歌

148.鎌倉という名の火祭り

149.玉藻ノ前と殺生石

151.不屈の第六天社(藤沢)
152.第六天の女神(戸塚)
153.玉縄城の第六天(鎌倉)

154.お花畑と後北条氏

155.落柿舎と鎌倉地蔵

157.平塚の4手の庚申塔

162.十文字鳥居と手水鉢
(藤沢市江ノ島)

163.八橋検校の秘曲と「千鳥」

164.半僧坊と明治憲法

165.夜空にかかる十字架
(明月院の谷)

169.馬頭観音の天衣(1)
170.マリアの石碑(2)
171.マリアの影を石に刻む(3)

172.六地蔵、葎塚(むぐらづか)と芭蕉(山梨県)

173.化粧するお地蔵様

180.大淀三千風のすみれと芭蕉

181.謡坂と善智鳥
(うとうざかとウトウ)

182.善知鳥と江戸大殉教

183.芭蕉の見た闇
(名古屋市・星崎)

186.キリシタンの古今伝授

187.鎌倉仏教とマニ教

188.謎の桜紋

189.西行と九尾の狐

190.○と□ (丸と四角、マリアとイエス)

191.踊場の猫供養塔(横浜市泉区)

193.貞宗院様の遺言(貞宗寺:鎌倉市植木)

194.崇高院様の山門(成福寺:鎌倉市小袋谷)

195.鎌倉光明寺54世松誉上人(書かれた文字1)

196.涌井藤四郎の新潟湊騒動(書かれた文字2)

197.鎌倉大仏縁起・(書かれた文字3)

199.扁額にある記号(書かれた文字4)

200.こゆるぎの松
(1鎌倉の小動)

201.城山公園の石碑
(2大磯の小動)

202.小ゆるぎの里
(3寒川の小動)

203.謡曲「隅田川」と田代城主

204.イボとり地蔵の小石

205.港町の杯状穴


江戸文化に
キリシタンの影響を見る。

見ず 聞かず
言はざる までは
つなげども
思はざる こそ
つながれもせず

(心に思う事を
罰する事はできない)

諸国里人談 巻三一「三猿堂」
菊岡沾凉(米山)著1743年刊




今は壊されて無くなった北鎌倉の亀井砦跡
撮影:野口 稔

中世から近世の石切り場?亀井砦跡
撮影:野口 稔

江戸時代の文字?亀井砦跡
撮影:野口 稔
写真掲載許可を感謝します。

資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子

Twitter:@ninayzorro

ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)

   
キリシタンと江戸文化

127.キリシタン洞窟礼拝堂

 横須賀線はJR大船駅から大きくカーブして、緑深いJR北鎌倉駅に向かう。その右側の台山の中腹に、東渓院というお寺があった。明治時代に解体されたお寺の、クルス門やご本尊の阿弥陀仏は、西台山英月院光照寺に引き継がれて、今も雄弁に歴史を語っている。
参照:110.東渓院菊姫

 東渓院は大分県竹田市にある岡城の殿様が建てたお寺だ。その竹田市にキリシタン洞窟礼拝堂があった。そこはお城に近い武家屋敷の敷地内だったのだそうだ。崖を彫って祭壇を持つ礼拝堂にしてあるらしい。
 その右手には別の洞窟があって、こちらはローマから来た宣教師が隠れ住んでいた洞窟だという。そしてそれらの洞窟は整備されて、クリスマスにはお祭りもあるのだそうだ。
 大分市はキリシタンの遺跡を大切にしているのだ。
 参照:ぴのごんフォトアルバム&旅行記

 キリスト教は洞窟に縁がある。そもそもキリストは岩を掘ってできた墓所に葬られた。鎌倉市に数千個あると言われる「やぐら」と似た様なお墓だったのだろう。
 洞窟教会という鍾乳洞の教会もある。洞窟を掘って祭壇にするのはキリスト教の伝統なのだろうか。

 インターネットではイタリアのマテラ市の世界遺産サッシ(洞窟住居)を見ることが出来る。
 そこに岩窟教会マドンナ・デッレ・トレ・ポルテなどなど、洞窟教会があるそうだ。16世紀の半ばに日本にやって来たローマの宣教師達は、南イタリアの洞窟教会を知っていただろう。鎌倉の崖にたくさんのやぐらを見つけて、彼らはイタリアを思い出したかもしれない。
参照:地球の歩き方/こちら側と向こう側
参照:Matera, Madonna delle Tre Porte
参照:Matera, San Nicola dei Greci

 鎌倉のやぐらは四角く掘られている。でもその中に、マテラの様なアーチを持つやぐらもある。たとえば北鎌倉の浄智寺や亀井の観音堂跡のやぐらだ。


 さらに、内部の天井が丸く掘られているドーム型の洞窟も鎌倉にはある。それらは江戸時代に広く改造されたやぐらなのではないかと、思ってしまう。


 まず鎌倉時代からあった小さなやぐらがあって、それを江戸時代に拡大して、人が入れるドームにした、そう思ってしまう。ここには「竹筒に納めた十字架」を隠しておける深い穴もあって、それは私の根拠の無い想像なのだけれど、写真の右隅に写っている。
 洞窟を掘る時には、既に掘ってある所を掘り進める方が安全だ。数百年間やぐらとして壊れなかった岩盤だからだ。
 それなら、鎌倉にある防空壕だって、やぐらの改造でできたのかもしれない。
 防空壕とは第二次世界大戦の時に旧日本軍が作った洞窟だ。空襲を避けて百人単位の人が入ることができる地下トンネルで、入り口からすぐに左右に曲がっている。爆風を防ぐ為だ。それらはすべて戦後になって埋め戻された。鎌倉には防空壕の入り口がたくさんある。たとえば北鎌倉の好々亭のトンネルの、中央を貫通する様にある埋められた穴は、そういう防空壕なのだろうか。それとももっと古いものなのだろうか。

 埋められた巨大な防空壕と言うと、極楽寺の防空壕、同じ規模で逗子の旧池子弾薬庫を思い出すだろう。それらは江戸時代に、すでに大きな洞窟であったかもしれない。
 極楽寺の防空壕は、上に掲載した大きなドーム型洞窟のある街道から梶原を過ぎた先にある。その先は坂ノ下の港に抜ける道筋だ。フランシスコ・ガルベス神父らが捕まったという港だ。

 旧池子弾薬庫はあの英勝寺領だったという場所だ。新編相模国風土記稿には池子という項目があっても本文は無い。そういう水戸御殿に関わる場所だ。そこに江戸時代から大きな洞窟があったとしたら?それがキリシタンの礼拝堂であったとしたら!?。妄想ははてしもない。
参照:46.おとうさまの谷戸(4)

 やぐらは洞窟礼拝堂に作り替えられた、としてみよう。それはさらに防空壕として掘り進められた、としよう。そんなこともあったのではないか。妄想だろうか。

 鎌倉は鎌倉幕府の歴史を大切にしている。それは当然だ。でも、江戸時代の無名の人達が作ったものにも、注目して良いはずだ。
 「かまくら子供風土記」を読んでみると、今は無いやぐらの記述に出会う。
 山崎の庚申塔の先に「半七やぐら」があった。それは「観音らしい絵の描いてある横穴古墳」だった。今は無い。その庚申塔にはくっきりと十字が彫られている。
 上町屋と富士塚の間に「三日月やぐら」という横穴古墳があるという。「はいると中は広く、かまぼこ型で、、壁に『石工源』と彫ってありますが、どうも後世の字のようです。」後世とは江戸時代のことだろうか。かまぼこ型とはドームを言うのだろうか。三日月と言っているけれど、それは二十六日の月ではないのか。聖杯型の、聖母マリアが足を乗せている月ではないだろうか。
 亀井砦跡は、室町時代から江戸時代まで使われた石切り場なのだそうだ。今は無い。下へ下へと掘られたと思われる石切り場の高い位置に、つまり古い時代の位置に、やぐらの様な穴が作られている。街道からはずれて灯明の光も漏れないこの場所に隠れた祭壇があったと想像してみる。岩に彫られた文字に十字架を見てしまうのは想像過多というものだろうか。鎌倉にはキリシタンの痕跡があったはずなのだ。それは保護されないのだろうか。江戸時代の無名の人達の歴史も鎌倉史の一部だとおもうけれど。
 明月院の谷戸の奥に、石切り場だと言う洞窟がある。出口が沢山に分かれている。石切り場なら深い穴にする必要は無い。亀井砦跡の様に断崖になるはずだ。ここは神奈川県が緑地保存をしているのだそうだ。この石切り場が大切にされることを私は願っている。この洞窟の存在を大事にしたいのだ。明月院の谷の、線路に近い山の中腹にも、深いやぐらがある。それらが江戸時代と言う新しいものであったとしても、大事にしてほしい。切実にそう思う。

「石切り場」についてはこちらを参照してください。
参照:亡備録
 江戸時代初期に外国商館のある平戸ではイシキリバが人の名前だったという例です。


追記:「大柄沢キリシタン洞窟」について知る事が出来た。
 岩手県東磐井郡藤沢町大籠(おおかご)には300人を越えるキリシタン殉教者の遺跡がある。町営の大籠キリシタン資料館があるのだそうだ。
 その大籠と街道で結ばれている宮城県登米市東和町米川の、大柄沢にある大柄沢キリシタン洞窟は1973(昭和48)年に町文化財に指定されたのだそうだ。

 鎌倉市にある亀井の観音堂跡の洞窟には、その上に木の柱を取り付けたと思われる穴がたくさんある。崖の洞窟を覆い隠す様にお堂が建っていたと想像する。洞窟は左に曲がっていて、大柄沢の洞窟と同じ様な壇がつくられてある。途中で掘るのを止めた防空壕ではない。そう思う。

 鎌倉のキリシタンの伝道所の跡地はもう無いのだろうか。
 まだ個人の信教の自由も人権も知らない時代に、自分の信じるままに生きようとした人達がここに居たのだと思うと、胸が震える。
郷土の歴史は誇らしい人達によってつくられ、観音堂跡洞窟として今も守られていると、私は勝手に思っている。根拠が無ければ妄想だ。でも。
 キリシタンは明治まで弾圧された。昭和になって、さらに戦時下で弾圧されたと想像する。戦後になって、郷土史研究が盛んになって、思わぬ方向から不本意な語り方をされる。江戸時代から数えて3度も災難があったのだ。
 いっそう隠れてしまった歴史は、壊されて消される道しか残されていないのだろうか。私はそうは思わない。
 キリシタンの歴史は過小評価されている。それは長崎、九州の歴史だと思われている。自分たちとは違う人達の歴史だと思うことで、自分の身の回りから見えなくしているのだ。そこにあったのに、見ない。
 無関心と不寛容からは住み易い世界はつくられないということを、世界中の人が知っている。今は21世紀になったのだから。
 習慣や意見の違う人達も同じ村の人間として、丸抱えしてやりくりしてきた。そういう江戸時代の人達を想像することは、誇らしいことだと思う。
 鎌倉の各地の地蔵堂や毘沙門堂などは公会堂になっていて、地域の人達の集会所として今も活発に使われている。宗教部分は薄れても、今も昔も必要な場所なのだ。お地蔵様や観音様がいなくても、公会堂は住民の自治に必要な「大事な場所」であるとわかっている。そんな昔の人達の誇りや勇気を、知りたいと思う。

参照:いわての散歩道 大柄沢洞窟
参照:いわての散歩道 大籠
参照:カトリック中央協議会 岩手県・宮城県内の史跡(2)
参照:迫害をのがれたキリシタン  ッ 隠れキリシタンと製鉄 ッ平成17年3月をもって閉校になった旧上沼小学校の想い出のページより。自作教材。登米地域視聴覚教材センター。

 
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  ***亀子***
( 21 Feb. 2009-16 Mar.2012)
 
     

   
十文字の影がある庚申塔 横須賀市

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・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


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