鎌倉、まぼろしの風景。162 

鎌倉、まぼろしの風景。


          
     

イメージの翼に乗って「星月夜の鎌倉」を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


北鎌倉の石仏

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亡備録 私的用語集
大淀三千風の日本行脚文集


+++キリシタンと江戸文化

110.東渓院菊姫
北鎌倉と豊後竹田

111.キリシタンの二十三夜

112.東慶寺の姫

113.徳川直轄地の
キリシタン

114.キリシタン受難像

115.江戸の幽霊
お岩とお菊

116.江戸の狂歌師
酔亀亭天広丸

117.江戸の蕎麦とお菓子

118.禁止された教え

119.葛飾北斎の1834年
旅する江戸人1

120.近松門左衛門の1719年
旅する江戸人2

121.大淀三千風の1686年
旅する江戸人3

122.大淀三千風の鴫立庵
123.柴又帝釈天の1779年
旅する江戸人4

124.飯島崎の六角の井

125.古狸塚

126.六地蔵・芭蕉の辻と
潮墳碑

127.キリシタン洞窟礼拝堂

128.十字架の菜の花

129.黙阿弥の白波五人男

130.大山の木食上人
旅する江戸人5

133.「忠直乱行」を読む
旅する江戸人6

135.駿河大納言忠長の遺業
旅する江戸人7

136.松平忠長の侍達
旅する江戸人8

137.許六と芭蕉

138.忠直とサンチャゴの鐘
豊後竹田と北鎌倉

139.沖の花(大分 瓜生島伝説)

140.鎌倉の庚申塔1・キリスト磔刑図
141.鎌倉の庚申塔2・嘆きの猿
142.鎌倉の庚申塔3・猿の面

143.曾根崎心中の道行き

144.義経千本桜の幻惑

145.建長寺のジョアン

147.椿地蔵と手まり歌

148.鎌倉という名の火祭り

149.玉藻ノ前と殺生石

151.不屈の第六天社(藤沢)
152.第六天の女神(戸塚)
153.玉縄城の第六天(鎌倉)

154.お花畑と後北条氏

155.落柿舎と鎌倉地蔵

157.平塚の4手の庚申塔

162.十文字鳥居と手水鉢
(藤沢市江ノ島)

163.八橋検校の秘曲と「千鳥」

164.半僧坊と明治憲法

165.夜空にかかる十字架
(明月院の谷)

169.馬頭観音の天衣(1)
170.マリアの石碑(2)
171.マリアの影を石に刻む(3)

172.六地蔵、葎塚(むぐらづか)と芭蕉(山梨県)

173.化粧するお地蔵様

180.大淀三千風のすみれと芭蕉

181.謡坂と善智鳥
(うとうざかとウトウ)

182.善知鳥と江戸大殉教

183.芭蕉の見た闇
(名古屋市・星崎)

186.キリシタンの古今伝授

187.鎌倉仏教とマニ教

188.謎の桜紋

189.西行と九尾の狐

190.○と□ (丸と四角、マリアとイエス)

191.踊場の猫供養塔(横浜市泉区)

193.貞宗院様の遺言(貞宗寺:鎌倉市植木)

194.崇高院様の山門(成福寺:鎌倉市小袋谷)

195.鎌倉光明寺54世松誉上人(書かれた文字1)

196.涌井藤四郎の新潟湊騒動(書かれた文字2)

197.鎌倉大仏縁起・(書かれた文字3)

199.扁額にある記号(書かれた文字4)

200.こゆるぎの松
(1鎌倉の小動)

201.城山公園の石碑
(2大磯の小動)

202.小ゆるぎの里
(3寒川の小動)

203.謡曲「隅田川」と田代城主

204.イボとり地蔵の小石

205.港町の杯状穴


江戸文化に
キリシタンの影響を見る。

見ず 聞かず
言はざる までは
つなげども
思はざる こそ
つながれもせず

(心に思う事を
罰する事はできない)

諸国里人談 巻三一「三猿堂」
菊岡沾凉(米山)著1743年刊



写真集
私説:キリシタン遺物と
その影響下に作られたと思われる
石碑と石仏


亀の蔵

「鎌倉、まぼろしの風景」
の要約。

書かなかったことや
後から書き足す事ども。


知る者は言わず
言う者は知らず《老子》

資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子

Twitter:@ninayzorro

ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)

   
キリシタンと江戸文化

162.十文字鳥居と手水鉢(江ノ島)

 今まで鳥居の形について、注目した事が無かった。神社の写真を撮る時にも、鳥居をくぐってからカメラを出していたのだ。片手落ちだったと思う。
 改めて見直すと、興味深い。山川出版社の歴史散歩便利帳に「鳥居」というページがある。鳥居の図があって各部の名前が書いてある。「台石」の上に「柱」が立って、その柱の根本を「藁座」が巻いている。そういう鳥居は鎌倉にも確かにある。でも鎌倉近辺でよく見る鳥居は、この図説には出ていないタイプだ。
 これは古い鳥居の柱を割って解体したもので、台石の上にのる藁座の部分にあたる。古い柱と一緒に境内の隅に片付けられていた。古いものを捨てないで保存してある。歴史を大切にしている氏子さん達の心遣いだ。
 これはもしかして十字形なのではないか。そう思って鎌倉の鳥居を見直すと、このタイプの鳥居が沢山あることがわかった。

台石の上の藁座の部分が十字形になっている。
  下の写真は明治にできた鳥居だ。解体されて土止めに使われている。十字の形はごくさりげない。
 新しい鳥居ほど角の切り込みが大きくて、わかりやすい十字型をしている、様な気がした。

 神社にある石像物の台座には、十字形がデザインされている、ことがある、として。そこに注目してみると、狛犬の台にもこの形が使われていた。鳥居のデザインに合わせたのだろうか。
 この狛犬は大正14年(1925年)にできたものだ。

 この十字形を細長く縦に引き延ばすと、藤沢市にあった堅牢地神や弁財天の石像の形になる。
参照:151.不屈の第六天社(藤沢)
堅牢地神1830(文政13)/弁才天1786(天明6)

 逆に、十字を横に伸ばしてみると、灯籠などに彫られる模様になる。下の写真の石灯籠では、火屋の下の六角形の側面に、そのデザインを見ることができる。
 この模様は石灯籠にはよくある図柄で、現代の作の灯籠にも繰り返し使われている。そこにはキリシタンという意匠は全く無い。むしろすべての石灯籠に採用される事が、必要だったのだろう。 この模様でつくられた手水鉢が、藤沢市江ノ島にある。 手水鉢の水が入る内側が十字の形に彫られている。文化6己巳歳三月吉日、1809年だ。この年に画家北斎は39才。イギリス戦艦は長崎に勝手に入って来るし、ロシア戦艦は襲撃して来るし、の時代だ。十字架形の文字が彫られている「江島辯才天女上宮之碑」が画家酒井抱一の甥の姫路城主によって建てられたのは5年前。明治まであと60年。
参照:129.黙阿弥の白波五人男
参照:161.ゴエモンの木

 これはキリシタンの文化を継承している手水鉢なのではないか。そういう目で見ると、正面の紋は七宝紋に花クルスだ。

 下の写真の手水鉢も内側が十字形に彫り込まれている。元禄三庚午天十一月六日、1690年だ。 前年には 中津宮が再建され、弁財天総開帳が行なわれている。それ以後、総開帳がある時には江戸からたくさんの人が江ノ島を訪れた。歌川広重の「相州江之嶋弁才天開帳参詣群衆之図」という大パノラマ図が3枚組の絵はがきになっていて、島内で買い求めることができる。俳人の大淀三千風や許六と芭蕉の時代でもある。
 この数年前には「吉利支丹類属戸籍帳」が作られている。キリシタンではない人達も弾圧される時代になったのだ。
参照:148.鎌倉という名の火祭り

 手水鉢の正面には江嶋上之宮と彫られている。 この正面の文字を見ていると、その中央に十文字が見えてくる。ここに立つと、そう見えてくるのだけれど、写真でも十文字に見えるだろうか。
「江嶋(クロス)の宮」そう見える様にこの文字はデザインされている、と思う。

 この手水鉢の在る場所に立って、まわりを見回してみる。江島神社中津宮の参道で、神社の正面は鎌倉市の海岸だ。小動崎(こゆるぎざき)の断崖が見える。その崖にはかつて何が彫られていたのか。
 手水鉢のすぐ下にある展望台にはベンチもあって、そこでゆっくり崖を眺めることができる。その上の階段の踊り場には、望遠鏡が設置されている。
 小学生だった頃、江ノ島で望遠鏡をのぞいた記憶が、私にはある。コインを入れて1分間だけ楽しむ、観光地によくある展望台の望遠鏡だ。だけどその望遠鏡は、本当は何を眺めるための物だったのだろうか。崖には磨崖仏が、あるいは十字架が、またはマリア観音の洞窟が、あったのではないか。それは私の妄想だ。
参照:161.ゴエモンの木

 江ノ電沿線新聞社が2001年に出版した「江の島と歌舞伎」中山成彬著 に、江ノ島の参道の入り口に立つ青銅の鳥居について、書いてあった。
 江戸随一の超高級料亭であった八百善の主人が世話人になって、1821年(文政4)に再建したものだそうだ。江戸の町人が大きな財力を持ち力を持って、江ノ島詣でを楽しむ時代が来たのだ。その頃、中津宮の参道には「不老門」が建っていて、そこに「妙音弁財天像」が安置されていたのだそうだ。
 今は辺津宮境内の奉安殿に鎮座する弁財天は白い肌に紅を置いた女身である。もし、この弁財天が、小袖を頭からかついでベールにして、琵琶を持つ代わりに童子像を抱いていたら。例えば聖徳太子二才像の様な、合掌した幼児像であったら、と、思わないではいられない。

 キリシタンは一夫一婦制を守り、遊郭を否定した人達だ。裸にはならず、いつも肌襦袢を着ていたのだそうだ。彼らには男色は罪であった。
 江ノ島には弁天小僧のセリフの「岩本楼の稚児上がり」で有名な僧坊があった。衆道はあたりまえの文化だった。
 江ノ島詣でと言うと、実は参道に並んでいた遊郭の遊女たちが「弁天様」だったのだそうだ。江ノ島にあった文化はキリシタンから遠いものであった。

 江ノ島に鳥居を建て、神社を復興し、灯籠や手水鉢を置いた町人達は、江戸で成功した文化人達だ。彼らは中津の宮に何を作ったのだろう。
 まるで今にもキリシタン達が集まって来て、手水鉢で洗礼をする、そんな風景が再現されるような、場所。それが中津の宮の境内だったのではないか。
 禁じられた存在しない庭、を造ったのではないか。それは水の無い枯山水の滝や小川の様に、存在しない人達(キリシタン)が集う庭だ。ちょうどテーマパークの人工庭園を見る様に、彼らはここに立ち、見えない人達と見えない十字架をともに見ていたのではないか。キリシタンではない人達が、弾圧されて消え去ってしまった人達に、心を寄せていたのではないか。それこそが、武家の暴力に打ち勝つ町人の文化という力であると、信じていたのではないか。そう思う。

追記:初鰹(はつがつお)とは鎌倉名物の初物のカツオのことだ。初松魚と書けば、鎌倉(松)の初穂、初めての犠牲である。魚はキリストを表す。ここから見える浜からキリシタン殉教者を出した、江戸大殉教を思わせる言葉である、と思う。

 鎌倉を 生きて出けむ はつ松魚 

 中津の宮に、古帳庵と古帳女という夫婦が仲良く建てた句碑がある。1841年(天保12)建立だ。

 いざここに 止まりて聞かん ホトトギス
以左こゝ耳 登満里亭幾可ん寶止ゝ支須 古帳庵

 ふた親に 見せたし かつお 生きている
婦多親耳 み勢太しかつ遠生きてい類 古帳女

引用:江の島と歌舞伎 中山成彬著

 ホトトギスとは夜中に「帰れない」と叫ぶ鳥だ。死者の声を伝える鳥とも言われる。
 亡くなった親や先祖に(キリシタン夫妻を想像しよう)、ここでは、もう存在しないはずのキリシタン達が、まるで生活しているかの様に、その姿が生きたままあると伝えたい。
 そういう句を読みにくい漢字を使って彫ったのだ。

 それは弾圧を越えて生き残った市井の人達が、生きている喜びを表したものだ。
 キリストもマリアも居なくなった日本に、キリシタンが残した文化だけが継承されて、それは厳然としてあったのだ。美しい弁財天に詣でる事で、人々はそれを確認することができたのだろう。
「江ノ島に行ったかい?」「行ったさ」「見て来たか?」「見て来たとも」そんな囁きが江戸の町にはあったのだろうと思った。
参照:126.六地蔵・芭蕉の辻と潮墳碑
参照:49.万葉集の大船幻影
参照:94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ


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  ***亀子***( 27 Jan. 2010-8 Mar.2012)

     

   
柏原 一心坊

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・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


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