鎌倉、まぼろしの風景。141

　庚申という行事は平安時代からあるのだそうだ。庚申と書いた石塔の最古のものは1471年（文明3)の埼玉県川口市の実相寺板碑だそうだ。
参照：板碑探訪記栃木県の図像板碑（６）
　「庚申供養人口」と刻字されたこの板碑は阿弥陀三尊が描かれた来迎図だそうだ。
　先端が三角になっている板碑で、二本の線が上部に引かれている。板碑の様式を持つ石塔だ。
参照：板碑探訪記栃木県の図像板碑（５）
　この釈迦三尊の形を残して、最も古いという三猿がある。京都の三条大橋の近くの東海道に面したお猿堂にある庚申塔だ。中尊が「言わ猿」、「見猿」と「聞か猿」が脇侍になっているのだそうだ。猿の阿弥陀三尊みたいだ。
参照：青面金剛進化論三猿庚申塔
　このお猿堂は1630年（寛永七）の三月に再建されたという記録があるそうだ。「再建」とは、全く同じお堂が出来たという意味ではない、と思う。たとえば地蔵堂が三猿堂になっても再建と言うのだと思う。そして三代徳川家光のキリシタン弾圧時代である。京都四条河原で火刑があり(1619)長崎西坂や中江ノ島で多数の殉教者が出て(1622)江戸の大殉教もあった(1623)。米沢(1629)、雲仙地獄(1631)や長崎(1632)、大阪(1636)。岩手県藤沢町大籠(1639)。江戸だけでも連年、殉教者を出し続けた。

　そして相模の三猿庚申塔がこの頃に出現するらしい。最も古い三猿庚申塔は茅ヶ崎市の輪光寺の三猿塔。1638年（寛永17)のもの。猿が三尊になっているスタイルだ。
　横須賀で見た庚申塔は1661年（寛永元）からのもので、中尊の位置に帝釈天という文字が書かれている。猿は脇侍ではなく三匹並んで下に彫られている。十字架の影が見える３種類の三猿像を見ることが出来る。このページの右上に、その一つの写真を載せてある。
参照：123.柴又帝釈天の1779年
　鎌倉のXのある４手の庚申塔は1680年だ。庚申の年である。目を押さえ、片手を地面に付いている見猿と言わ猿は、泣き崩れている人に見える。
参照：140.鎌倉の庚申塔１・キリスト磔刑図
　同じく鎌倉にある1680年の庚申塔はきれいな十字と釘抜きが描かれた庚申塔だ。その写真をこのページの左側にいつも載せてある。自分の認識を変えるきっかけになった庚申塔だ。そして鎌倉にある1695年（元禄8)の庚申塔は中央が消されたまま三猿だけが強烈に今も何かを訴え続けている。その声を私は聞き取ることが出来ない。

　この傑作をどう見たらいいのだろう。「嘆きの三猿」というよりは恐怖の、あるいは絶望の表情に見える。恐ろしい。そしてこれは猿ではない。三猿だと思うから猿に見えるのだ。これは人の顔だ。人の目をして人の鼻をしている。消された中央にはどんな像が彫られてあったのだろうか。

（下の猿の顔と比べて下さい。）　

　京都の粟田口に庚申堂が作られてからずっと、三猿と庚申塔はキリシタンのための塔だったのではないか。棄教したキリシタン達の作ったものか、あるいは仏教徒がつくったものか、どちらにしても殉教者の霊を弔うという意味でキリシタンの塔なのではないか。
　そして、なぜ猿なのか、富士信仰と山王信仰の神猿に見立てたのかというと。私には、徳川忠長が農民の為に猿を狩って死罪になったからだ、と思えるのだ。猿を殺したのは1631年ごろと言われているが、母の江与が没した1626年以降の事とも言われている。乱心とされたのが1631年、改易になったのが1632年、翌年高崎で自害。
　キリシタン達の希望の一つであっただろう忠長。将軍家光の弟、家光ではなく彼が力を持てば、あるいは禁教令も緩和したかもしれない。
　猿を奉る、その行為は忠長を思い出す事につながるのだと、私は思っている。
参照：135.駿河大納言忠長の遺業
参照：私説：キリシタン遺物と思われる石碑と石仏

追記：京都の粟田口庚申堂と大阪四天王寺の庚申堂にはくくり猿という奉納が飾られている。四天王寺の庚申堂には以前行ったことがあって、香り袋になっているくくり猿が我が家にもある。大人びたお土産として、お勧めの一品だ。
　四角に切った赤い絹を座布団の様に縫って、その四隅を一つにくくった物だ。てるてる坊主の首の様な白い頭が付いていて、猿が四肢を縛られて吊るされている姿に見立てる。民芸おもちゃとしても有名なくくり猿は子供が健やかに育つ様にという願いを込めて、身代わり猿ともいうのだそうだ。似た様な民芸品に「飛騨のさるぼぼ」がある。岐阜県郷土工芸品に指定されていて、こちらは四肢がくくられていない姿だ。
　あまりに見慣れた物は、別の視点で見直すという事を拒む。このくくり猿の姿が、江戸時代の拷問の姿であると気づいたのはつい最近の事だ。「さるぼぼ」と我が家では呼んで毎日眺めていたかわいいくくり猿が、キリシタン殉教者の姿であったとしたら。棄教した人達への戒めと慰めの、そのくくり猿であったとしたら。
　114.キリシタン受難像に写真を載せた「お春おばあさん」の石像は、手足を一つに縛られている様にも見える。この拷問の姿だとしたら、と思うと、恐ろしくて、あの呑気な文章を撤回したくなる。私には当時の人達の生活の恐怖が伝わっていない。そう思った。

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　＊＊＊亀子＊＊＊（ 24 Jun. 2009-10 Mar.2012)