鎌倉、まぼろしの風景。155 

鎌倉、まぼろしの風景。


          
     

イメージの翼に乗って「星月夜の鎌倉」を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


北鎌倉の石仏

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亡備録 私的用語集
大淀三千風の日本行脚文集


+++キリシタンと江戸文化

110.東渓院菊姫
北鎌倉と豊後竹田

111.キリシタンの二十三夜

112.東慶寺の姫

113.徳川直轄地の
キリシタン

114.キリシタン受難像

115.江戸の幽霊
お岩とお菊

116.江戸の狂歌師
酔亀亭天広丸

117.江戸の蕎麦とお菓子

118.禁止された教え

119.葛飾北斎の1834年
旅する江戸人1

120.近松門左衛門の1719年
旅する江戸人2

121.大淀三千風の1686年
旅する江戸人3

122.大淀三千風の鴫立庵
123.柴又帝釈天の1779年
旅する江戸人4

124.飯島崎の六角の井

125.古狸塚

126.六地蔵・芭蕉の辻と
潮墳碑

127.キリシタン洞窟礼拝堂

128.十字架の菜の花

129.黙阿弥の白波五人男

130.大山の木食上人
旅する江戸人5

133.「忠直乱行」を読む
旅する江戸人6

135.駿河大納言忠長の遺業
旅する江戸人7

136.松平忠長の侍達
旅する江戸人8

137.許六と芭蕉

138.忠直とサンチャゴの鐘
豊後竹田と北鎌倉

139.沖の花(大分 瓜生島伝説)

140.鎌倉の庚申塔1・キリスト磔刑図
141.鎌倉の庚申塔2・嘆きの猿
142.鎌倉の庚申塔3・猿の面

143.曾根崎心中の道行き

144.義経千本桜の幻惑

145.建長寺のジョアン

147.椿地蔵と手まり歌

148.鎌倉という名の火祭り

149.玉藻ノ前と殺生石

151.不屈の第六天社(藤沢)
152.第六天の女神(戸塚)
153.玉縄城の第六天(鎌倉)

154.お花畑と後北条氏

155.落柿舎と鎌倉地蔵

157.平塚の4手の庚申塔

162.十文字鳥居と手水鉢
(藤沢市江ノ島)

163.八橋検校の秘曲と「千鳥」

164.半僧坊と明治憲法

165.夜空にかかる十字架
(明月院の谷)

169.馬頭観音の天衣(1)
170.マリアの石碑(2)
171.マリアの影を石に刻む(3)

172.六地蔵、葎塚(むぐらづか)と芭蕉(山梨県)

173.化粧するお地蔵様

180.大淀三千風のすみれと芭蕉

181.謡坂と善智鳥
(うとうざかとウトウ)

182.善知鳥と江戸大殉教

183.芭蕉の見た闇
(名古屋市・星崎)

186.キリシタンの古今伝授

187.鎌倉仏教とマニ教

188.謎の桜紋

189.西行と九尾の狐

190.○と□ (丸と四角、マリアとイエス)

191.踊場の猫供養塔(横浜市泉区)

193.貞宗院様の遺言(貞宗寺:鎌倉市植木)

194.崇高院様の山門(成福寺:鎌倉市小袋谷)

195.鎌倉光明寺54世松誉上人(書かれた文字1)

196.涌井藤四郎の新潟湊騒動(書かれた文字2)

197.鎌倉大仏縁起・(書かれた文字3)

199.扁額にある記号(書かれた文字4)

200.こゆるぎの松
(1鎌倉の小動)

201.城山公園の石碑
(2大磯の小動)

202.小ゆるぎの里
(3寒川の小動)

203.謡曲「隅田川」と田代城主

204.イボとり地蔵の小石

205.港町の杯状穴


江戸文化に
キリシタンの影響を見る。

見ず 聞かず
言はざる までは
つなげども
思はざる こそ
つながれもせず

(心に思う事を
罰する事はできない)

諸国里人談 巻三一「三猿堂」
菊岡沾凉(米山)著1743年刊



写真集
私説:キリシタン遺物と
その影響下に作られたと思われる
石碑と石仏


亀の蔵

「鎌倉、まぼろしの風景」
の要約。

書かなかったことや
後から書き足す事ども。


知る者は言わず
言う者は知らず《老子》

資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子

Twitter:@ninayzorro

ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)

   
キリシタンと江戸文化

155.落柿舎と鎌倉地蔵

 「やま柿」というお菓子をもらった。柿の味の羊羹かなと思ったら、干し柿を四角に整形して個別包装した干し柿そのままのお菓子だった。
岐阜県高山市のお菓子だったり信州みやげだったり神奈川県の湯河原みやげでもある。
おいしかった。干し柿は苦手だったけれど、これは美味しかった。
 その個別包装が美しい柿のデザインなのだ。それで、初めて気づいた。柿のへたは4枚だ。花クルスになっている。

 柿は青い実のうちにとって醗酵させて、柿渋を作る。防腐剤や撥水塗料として笠や番傘、鰻屋のうちわなどに塗られた。
葉は柿ノ葉鮨などにも使われる。赤く実った柿は干し柿にされていっそう甘くなり、お茶うけのお菓子になった。
更に熟れた柿はカラスにつつかれて落ちる。里に住む人やカラスに重宝されて、柿は地に落ちた時に、樹上にその4枚のへたを見せるのだ。
木になっている時には見えない。落ちて初めて花クルスは見えるのだ。
「一粒の麦が地に落ちて死ねば、、」とは聖書の一節だ。

 松尾芭蕉の弟子の向井去来(1651年- 1704年)が京都嵯峨野に別荘を設けたのが1687年頃だそうだ。近くに西行法師の出家の井戸があった。その由来に寄り添って、ここに居たのかもしれない。
その後に、一夜にして柿の実が落ちた事を記念して、落柿舎と名付けた。以来、芭蕉も何度かやってきて、俳句のサロンになった。
落柿舎の命名の謂れは広く知られている。でも、落ちた柿に花クルスがあらわれることは語られていない。

 去来はお祖父さんの代に長崎にやってきた。お父さんの向井玄升(むかいげんしょう)は儒学者の医者で、聖堂の祭主だったそうだ。孔子廟の事だろうか。
去来は神道を学んだそうだ。親子ともに仏教からちょっと遠い。
 天神様のお告げでお父さんと京都に上り、浪人だった去来は基角に誘われて芭蕉の弟子になった。
向井玄升は「名医の誉(ほま)れを喧伝(けんでん)された」そうだ。落柿舎のHPに書いてあった。京都の人達は長崎から来た医者を歓迎したのだ。

 去来の髪を納めた墓が近くの弘源寺墓地内にあるそうだ。去来と彫られた墓の文字に十字が見えるのは気のせいだろうか。父の玄升という名は「くろます」とも読める。これも気になった。
参照:落柿舎 碑めぐり

 向井家の菩提寺は京都市左京区の哲学の道の近くにあるそうだ。
天台宗鈴聲山真正極楽寺、通称は真如堂だ。ここに去来の墓もある。
この真正極楽寺は檀家を持たないお寺だったそうだ。それが越後屋の三井高利(1622-1694 元和8-元禄7)によって三井家の菩提寺になったという。
 初めて檀家として一般人を受け入れたのだ。
その後に向井家が入ったのだろうか。
参照:去来抄

 三井家とは三越デパートにつながる越後屋だ。江戸日本橋に仮住まいした俳諧師の大淀三千風(1639-1707)こと三井友翰(ともふみ)とは親戚なのではないだろうか。
 三千風の墓は故郷の松坂市射和町にあるそうだ。
 芭蕉門下の去来と、芭蕉に会わない様に旅をしていた様な三千風が、真如堂でニアミスをしている。おもしろいと思う。
参照:松坂市 文化財 大淀三千風墓
参照:121.大淀三千風の1686年
参照:122.大淀三千風の鴫立庵
参照:132.鎌倉に来た三千風

 その真如堂には殺生石で作った鎌倉地蔵があると言う。
 あの、玉藻ノ前の九尾の狐の殺生石だ。それは大変だ。
参照:真如堂境内2 鎌倉地蔵
参照:149.玉藻ノ前と殺生石

 那須野が原で殺生石を割った玄翁和尚は、その石で地蔵菩薩像を作って鎌倉に地蔵堂を建てて祀ったのだそうだ。 いったいそれは鎌倉のどこの事を言うのだろう。やはり海蔵寺、なのだろうか。
参照:149.玉藻ノ前と殺生石
 その地蔵を甲良豊後守宗廣(1574-1646)が真如堂に移したのだそうだ。
 鎌倉から来たお地蔵様だから鎌倉地蔵なのだそうだ。

 まず、殺生石で作ったと言う鎌倉地蔵が真如堂に祀られる。
 次に、その地蔵を慕って三井家が檀家になる。
 それで向井家も檀家になる事が出来た。
 そういう順番なのだろうか。

 甲良豊後守宗廣は日光東照宮を作った人、だそうだ。
参照:甲良町公式サイト

 真如堂に行き当たって、深い謎に落ちたみたいだ。
 柿のお菓子の包装デザインが、美しい花クルスだと思った事から始まった堂々巡りだ。

 柿はキリシタン大名の高山右近が好んだ果物だという伝承もあるのだそうだ。
 能登の七尾市の揚柳山本行寺では「茶会」と伝承されてきた「隠れキリシタン料理」があって、柿の酢の物も出されるのだそうだ。
参照:隠れキリシタン料理

 里山に干し柿が並んだ農家が見える。それはかつての日本の、のどかな風景だった。でも、柿の実に別の意味もあったとしたら。
 風景を見る目が、すこし、変わるかもしれない。

 追記:
 坪内稔典 著 「柿喰ふ子規の俳句作法」岩波書店 を読んだ。
 そこにジューンドロップという季語が紹介されていた。柿の木が6月に実を落とす事だそうだ。
 6月から7月にかけて、柿はまだ青い実を落とす。木の下一面に小さな実がへたごと落ちるのだそうだ。それが年に3回ぐらいあって、残った実がやがてあかく熟す。樹が痩せない様に成り過ぎを防ぐのだそうだ。
 柿の自己管理能力はすごいと、著者は語る。

 柿渋を作る為に「収穫」するのだと私はずっと思っていた。それはしかたのない事で、でも残念な事だろうなと。それがいっぺんに明るくなった。もぎ取るのではなく拾い集めていたのだ。
 柿が捨てた青い実を、人間が惜しんで溜めておいたのだ。それが醗酵して柿渋になった。むしろ柿の木が奨励しているような柿渋なのだ。

 たっぷりと実を蓄えた柿の木が、初夏にどっさりと青い実を落とす。それは豊穣を絵に書いた様な光景だろうなと、思った。
 花クルスの形をしたへたを付けて、地に落ちたまだ青い柿の実、その豊かで誇らしい風景を見て、ヨーロッパから来たキリスト教の宣教師達は何を感じただろう。
 落柿舎とは、もしかして、殉教者を悼む場でもあった、かもしれない。少なくとも、そう解釈してその場を大切にした人々がいたのかもしれない。と、思った。
 イタリアでもスペインでも、柿はKaqui(カキ)と書かれて売られているそうだ。
 
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  ***亀子***( 9-12 Nov. 2009-9 Mar.2012)

     

   
十文字の影がある庚申塔 横須賀市

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29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

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38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

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:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

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(五芒星3)
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75.十二所神社のウサギ:::

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78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
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79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
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82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
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鎌倉郡小坂郷戸塚町
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:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
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:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
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:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
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:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
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105.北鎌倉 台の光通信:::
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107.六壬式盤と星座早見盤:::
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:::131.稲荷神社の句碑:::
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:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
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174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


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