鎌倉、まぼろしの風景。126 

鎌倉、まぼろしの風景。


          
     

イメージの翼に乗って「星月夜の鎌倉」を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


北鎌倉の石仏

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亡備録 私的用語集
大淀三千風の日本行脚文集


+++キリシタンと江戸文化

110.東渓院菊姫
北鎌倉と豊後竹田

111.キリシタンの二十三夜

112.東慶寺の姫

113.徳川直轄地の
キリシタン

114.キリシタン受難像

115.江戸の幽霊
お岩とお菊

116.江戸の狂歌師
酔亀亭天広丸

117.江戸の蕎麦とお菓子

118.禁止された教え

119.葛飾北斎の1834年
旅する江戸人1

120.近松門左衛門の1719年
旅する江戸人2

121.大淀三千風の1686年
旅する江戸人3

122.大淀三千風の鴫立庵
123.柴又帝釈天の1779年
旅する江戸人4

124.飯島崎の六角の井

125.古狸塚

126.六地蔵・芭蕉の辻と
潮墳碑

127.キリシタン洞窟礼拝堂

128.十字架の菜の花

129.黙阿弥の白波五人男

130.大山の木食上人
旅する江戸人5

133.「忠直乱行」を読む
旅する江戸人6

135.駿河大納言忠長の遺業
旅する江戸人7

136.松平忠長の侍達
旅する江戸人8

137.許六と芭蕉

138.忠直とサンチャゴの鐘
豊後竹田と北鎌倉

139.沖の花(大分 瓜生島伝説)

140.鎌倉の庚申塔1・キリスト磔刑図
141.鎌倉の庚申塔2・嘆きの猿
142.鎌倉の庚申塔3・猿の面

143.曾根崎心中の道行き

144.義経千本桜の幻惑

145.建長寺のジョアン

147.椿地蔵と手まり歌

148.鎌倉という名の火祭り

149.玉藻ノ前と殺生石

151.不屈の第六天社(藤沢)
152.第六天の女神(戸塚)
153.玉縄城の第六天(鎌倉)

154.お花畑と後北条氏

155.落柿舎と鎌倉地蔵

157.平塚の4手の庚申塔

162.十文字鳥居と手水鉢
(藤沢市江ノ島)

163.八橋検校の秘曲と「千鳥」

164.半僧坊と明治憲法

165.夜空にかかる十字架
(明月院の谷)

169.馬頭観音の天衣(1)
170.マリアの石碑(2)
171.マリアの影を石に刻む(3)

172.六地蔵、葎塚(むぐらづか)と芭蕉(山梨県)

173.化粧するお地蔵様

180.大淀三千風のすみれと芭蕉

181.謡坂と善智鳥
(うとうざかとウトウ)

182.善知鳥と江戸大殉教

183.芭蕉の見た闇
(名古屋市・星崎)

186.キリシタンの古今伝授

187.鎌倉仏教とマニ教

188.謎の桜紋

189.西行と九尾の狐

190.○と□ (丸と四角、マリアとイエス)

191.踊場の猫供養塔(横浜市泉区)

193.貞宗院様の遺言(貞宗寺:鎌倉市植木)

194.崇高院様の山門(成福寺:鎌倉市小袋谷)

195.鎌倉光明寺54世松誉上人(書かれた文字1)

196.涌井藤四郎の新潟湊騒動(書かれた文字2)

197.鎌倉大仏縁起・(書かれた文字3)

199.扁額にある記号(書かれた文字4)

200.こゆるぎの松
(1鎌倉の小動)

201.城山公園の石碑
(2大磯の小動)

202.小ゆるぎの里
(3寒川の小動)

203.謡曲「隅田川」と田代城主

204.イボとり地蔵の小石

205.港町の杯状穴


江戸文化に
キリシタンの影響を見る。

見ず 聞かず
言はざる までは
つなげども
思はざる こそ
つながれもせず

(心に思う事を
罰する事はできない)

諸国里人談 巻三一「三猿堂」
菊岡沾凉(米山)著1743年刊




神奈川県藤沢市 江ノ島 稚児ガ渕 
白菊丸の伝説の地
波が高く「潮の花」の様に見えた日


写真集
私説:キリシタン遺物と
その影響下に作られたと思われる
石碑と石仏


亀の蔵

「鎌倉、まぼろしの風景」
の要約。

書かなかったことや
後から書き足す事ども。


知る者は言わず
言う者は知らず《老子》

資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子

Twitter:@ninayzorro

ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)

   
キリシタンと江戸文化

126.六地蔵・芭蕉の辻

 鎌倉市の名所旧跡のいくつかには立派な石碑があって、その故事が彫られている。大正六年(1917)から昭和三十一年(1956)にかけて建てられた碑は、鎌倉町青年会、鎌倉同人会、鎌倉町青年団、鎌倉友青会とそれぞれ年代により名前を違えているけれど、同じデザインで町並みに調和して、石碑自体が今では鎌倉の文化的財産になっている。
参照:鎌倉の石碑18 参照:鎌倉史跡碑

 そのうちの一つ、鎌倉市由比ガ浜通りにある「飢渇畠(けかちばたけ)」の碑には、読めない文字が彫られている。

此處は昔時の刑場なり  後里人
六地藏
祀り 又供養塔 芭蕉句
碑等
建つ  今石柵を繞らして
整理す
大正七年十二月    鎌倉同人會

この読めない文字■に「を」を入れて読むと文はつながるのだ。でも■は「を」ではない。
「を」に似ているこの記号は、十字架と釘抜きとはしごを組み合わせてあって、十字架からキリストの遺骸を降ろした時の釘抜きと梯子だ。キリシタン遺物の十字架の裏側には、3本の釘と釘抜き、梯子が描かれている。それを文字の様にデザインしてあるのだと思う。

 「此處は昔時の刑場なり」と書かれているから、誰でもここは鎌倉時代の刑場跡だと思ってしまう。戦乱の時代の戦場跡だと思ってしまう。鎌倉なのだからそう思う。でも江戸時代に書かれた新編鎌倉志(1685年刊行)を読めば、江戸時代に使われていた刑場なのだとわかる。
 此所昔より刑罰の所にて、今も罪人をさらし、斬*する地なり。
 故に耕作をせず。飢渇畠と名く。

 ここは長谷観音へ参る道と、奈良平安時代の役所(郡衙ぐんが)があった御成小学校への道が出会う。辻に当る。

 年貢が払えなかったら打ち首、と古文書には書いてあった。キリシタンだと言われたら晒し首になるのだ。
 ここがキリシタンの殉教地であったという伝承が、碑が建てられた大正七年までは、確かにあったのだと思う。だからあの記号が碑の中央に彫られてあるのだろう。
 それは大正時代が、自由に物が言えた時代だったことを現している。この後、昭和になって、「明治の偉業」が語られる様になると、再び「キリシタン」は隠れてしまう。

 この場所に六地蔵が祀られて、六地蔵という交差点の地名になった。碑には芭蕉句碑もあると書かれている。句碑は近くのお寺に移されたことがあったけれど、またここに戻されたと、説明書きにあった。
 実はこの場所が「芭蕉の辻」と呼ばれていたことを、最近になって私は知った。
参照:Area 鎌倉・六地蔵

 芭蕉の辻と呼ばれる場所が、金沢と仙台にあるそうだ。松尾芭蕉を讃えた芭蕉塚は全国に2441基あると芭蕉塚蒐に書いてある。
参照:芭蕉塚蒐 編著 田中昭三
 それなら芭蕉の辻も各地にもっとあったのかもしれない。個人宅や寺社の庭にある芭蕉碑を除いて、街道にある芭蕉碑の姿が気になった。

 まず仙台の芭蕉の辻。ここは松尾芭蕉に無関係なのだそうだ。芭蕉が植えられていた地だとか、芭蕉と言う隠密が住んでいた所だと言われているのだそうだ。札の辻である。
参照:蝦夷・陸奥・歌枕 芭蕉の辻
 そしてここから北に500mほどの所に、光明寺があった。そこに伊達政宗がエスパーニャ帝国(スペイン)へ外交使節を送った慶長遣欧使節団の遺跡がある。1613年(慶長18)宮城県石巻市月ノ浦から出航した正使の宣教師ルイス・ソテロと副使の支倉常長(ドン・フィリッポ・フランシスコ)の墓があるのだ。
 HP「蝦夷・陸奥・歌枕」から、写真を借用する許可を得たので掲載する。右が1624年(寛永元)に長崎大村で殉教したソテロの墓だそうだ。常長はその2年前に亡くなっていたのだそうだ。
引用:蝦夷・陸奥・歌枕 芭蕉の辻 其の4
 たぶん江戸時代にはひっそりと祀られていたのだろう。そして今も、やはり密かに在るという印象を受ける。
 伊達政宗はソテロの助命嘆願をしたそうだ。政宗の正室の愛姫も娘の五郎八姫(いろはひめ)もキリシタンだった。五郎八姫は家康の6男の松平忠輝の正室になっている。松平忠輝は24才の時から伊勢、飛騨、諏訪へと流罪になったまま92才で亡くなったのだそうだ。

 次に、金沢にある芭蕉の辻。「元禄2年初秋蕉翁奥の細道途次遺蹟」と記された「芭蕉の辻」の碑がある。こちらもHP「奥の細道漫遊紀行」から写真借用を許されたので掲載する。
参照:奥の細道漫遊紀行 金沢(2)

 芭蕉が金沢に来たのが1689年(元禄2)。それを記念して、宿泊した宮竹屋喜左衛門宅の近くに建てられた。金沢に入った芭蕉は弟子の一笑の訃報に会う。芭蕉の句。
 塚も動け 我泣声は 秋の風
参照:小杉一笑
 この日以後の芭蕉と同行者の曽良は不思議な行動をしていて、多くを語ってはいない。

 加賀藩金沢には高山右近(ドン・ジュスト)が26年間も住んでいた。36才から62才というと定年退職まで前田家で働いたという感じになる。彼を慕ってキリシタンの武士が集まり、「日本一のキリシタン王国」になっていたのだそうだ。今の兼六園の近くに南蛮寺が建てられたのだそうだ。
 キリシタン追放令が出されると彼は棄教することを拒んでマニラに行くことを選んだ。右近の時代を知る人から見ると、芭蕉の弟子の一笑はひ孫の世代になるだろうか。
 芭蕉の歩いたコースは、キリシタンの縁の地を巡る道だとしてみよう。それで芭蕉の行かなかった所にも、芭蕉碑を建ててキリシタンの記念を顕したとしてみよう。

 鎌倉市六地蔵の芭蕉の辻。
 夏草や つはものともか 夢の跡 
 天明六年(一七八六)五月
 雪下住松尾衞右衛門百遊建立

 藤沢市江ノ島の芭蕉碑。
 疑ふな 潮の花も 浦の春  はせを
 寛政九年(一七九七)三月
 京都独楽庵正山同祖庵中建立
 独楽庵とは千利休が宇治の田原に建てたお茶室だそうだ。京都、大阪、江戸と、転々とした独楽庵は大正時代に武藤山治によって北鎌倉に復元される。
参照:92.北鎌倉の悲劇

 江ノ島の句碑は「潮墳」の碑と呼ばれているのだそうだ。芭蕉が三重県の二見ヶ浦で詠んだ句が彫られている。私はこの句を中江ノ島に見立てて、芭蕉門下がここに彫った句であるとしたい。長崎の平戸島と生月島に挟まれた中江ノ島は、キリシタンの殉教地でありカクレキリシタンの聖地として今もあるのだそうだ。ヨットハーバーができる前の聖天島があった江ノ島に、中江ノ島はよく似ているのだ。

 句について。潮の花とは寒い北風にあおられて波が岩に砕け、白い泡が花吹雪の様に風に舞うことを言うのだそうだ。「潮を噴く」ではなく「海の墳墓」と書いた碑を、江ノ島の絶壁に建てた人達。その心に添ってみたい。禁教下にあって、「疑うな、春はもう来ている」と言う人達の強い思いを受け取りたい。そう思う。


追記:鎌倉市長谷にある鎌倉文学館は旧前田侯爵家(旧加賀藩主)の鎌倉別邸であった美しいお屋敷だ。ここにも芭蕉の句碑がある。由比ケ浜が見える洞窟のそばにある。
 鎌倉は 生きて出にけん 初松魚 
 5月の生きのいい初鰹を思い出す。でも江戸時代には生け簀用のトラックは無いから、すべての魚はしめて運ばれたのだ。ビチビチしてたら傷だらけになる。「まるで生きて届いた様な」という表現だ。当時の人にとって魚は死んで運ばれるもの。当たり前のことは語られない。その様にあたりまえに、江戸時代の人にとって「鎌倉」とは江戸の大殉教の発端の地、だったのではないか。
 水戸光圀が鎌倉日記で「源頼朝の鎌倉」を宣伝する50年前に、1623年(元和9)フランシスコ・ガルベス神父らが鎌倉の港で捕まって、88人の殉教者を出した江戸の大殉教。信者ではない江戸の人達にも、彼らの死は恐ろしい事件だ。生涯忘れられない惨事だと思う。
 だから「鎌倉を」と、声高く詠われたこの句は、キリシタンの句だと思われただろう。彼らは江戸へ送られて殺された。鎌倉を出た時には、まだ命があったのだ。
 鎌倉を 生きて出けむ はつ松魚 

 「魚」とはキリストの暗号だ。ローマに弾圧された古いキリスト教徒達が使った記号である。
 「鰹かつお」と書いたらだめなのだ。

 
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  ***亀子***
( 14 Feb. 2009-16Mar.2012)
 
     

   
キリシタン夫妻像と想像してみる

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・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::


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