218.逗子市沼間と地上の北斗
北鎌倉のベルタイムコーヒー店のご主人から、小袋谷川が北斗七星の形に流れていることを教えてもらった。
川が北斗七星の形をしている。それがどういう事なのか、ずっと考えている。
まだ語る言葉がない。ずっと保留になったままだ。
今日、神奈川県逗子市の地図を見ていて、逗子市沼間を流れる川が、直角に曲がっている事に気づいた。
沼間とは平安時代に沼濱郷と呼ばれた鎌倉である。
この川は田越川で、大きく湾曲して逗子海岸に出る。
この川も北斗七星の形、かもしれない。
ヒシャクの形の北斗七星が水を大地に濯ぐ形になっている。
この形になるのは北極星の真上にきた時だ。南中した時の形である。
だから川の南の小高い丘から見れば、天に北斗があり、その真下の地面に、同じ形に光る銀色の川があることになる。
天と地に二つの北斗。美しいだろうなあ。
その美しい風景をどこから見ただろう。
北斗の形の川の真南に、その景色が見られる山があるだろう。
その山を探すと、葉山町との境にある二子山の、上の山があった。真南だった。
「かみのやま」とは「神の山」であったかもしれない。
北斗七星の形をしている川と二子山山頂が南北にある。これは偶然ではない。
山頂から北へ線を引いて見る。
逗子市の神武寺に当たった。ビンゴ!
醫王山来迎院神武寺は724年(神亀1)聖武天皇により行基が創建したと伝えられる。
源頼朝の頃は神嵩(こうのたけ)と呼ばれていた。
磐座(いわくら)のある湘南鷹取山が聖地で、ここは拝殿だと思っていた。
でもなぜ、山頂から離れたここにあるのか、ずっと疑問だった。
二子山の北の位置、だったのだ。
だから、あそこの田越川は、本当に北斗の形に作られた川なのだ。
人為的なデザインが、この件には、あちこちにある、はずである。
この時、他の星はどこに見えるだろう。
ご贔屓の織姫星ベガが、どこに見えるのか、気になった。
iPadのアプリ「星座表」で、夜空を再現してみた。
こと座のベガーー方位51度9分ーー高度12度42分
北東に低く上がっていた。
はくちょう座のデネブーー方位30度22分ーー高度0度41分
水平線ギリギリだ。
さそり座のアンタレスーー方位122度6分ーー高度−1度9分
まだ南東の地平線の下にあって見えない。
おおいぬ座のシリウスーー方位247度47分ーー高度2度2分
これも南西の水平線近く。沈み行く星だ。
この星空は、夏の夕方に見える星の位置である。
そして天の川は水平線に並行にあって、ぐるりと四方を取り巻いていた。
全円の天の川が、地平線の上を一周している。これは。
ホームページの「鎌倉、まぼろしの風景 」の、「217.その八重垣をギャラクシー(銀河)と言う」で、織姫星をスサノオに例えてみた。(まだアップしていませんが)
スサノオの歌う「出雲八重垣」を、天の川銀河だと解釈してみた。
スサノオを追うわし座のアルタイルは天の川の左、東側。
スサノオは垣根の中、右の西側だ。
その星空を二分する垣根の天の川が、北斗七星が南中した時だけは、地平線を取り巻く様に水平に流れる。
まるで雲のようだ。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」
(山之内八雲神社の祭礼の額:スサノオの歌)
と、言うことは。
今見えている夜空は出雲八重垣で囲まれた内側、ということになる。
スサノオが閉じ篭った場所だ。
全天すべてスサノオの世界だ。
スサノオを追い落とすアルタイルは居ない。まだ地平線の下で、見えないのだ。
この目に見えている夜空全体が出雲大社、あるいは諏訪神社の境内になったようなものだ。
スサノオは出雲大社に篭った。大国主命は諏訪大社から一歩も出ないと言った。
それはもう殺されて土に埋められたということだろうか。
諏訪大社は大きな塚であったのだろうか。
葉山の二子山の、上の山山頂に立って、地平線を取り巻く円形の天の川を見る。
スサノオの根の国が全天に広がっているのを見る。
この山頂にあったのは天王社、だっただろうか。
特殊な星空を、特別な場所で見る。
その時、死を司る北斗七星は真北にあって、その水を大地にこぼす。
その姿そのままに、流れる川を北斗の形に作り変える。
誰がそんなことをやったのだろう。それはいつ、だったのだろう。
スサノオに例えた織姫星ベガは、この時51度の方角にあった。
北東のその方向に、地図上に、線を引いてみる。二子山の上の山から。
織姫星ベガを追って、星の向きに顔を向けて見る。
沼間5丁目。地図に引いた51度の直線の向きに、山頂を巡る遊歩道があった。
その先は逗子グリーンヒルの公園だ。山頂を仰ぎ見る公園だ。
さらに先は横須賀市。田浦観音堂の境内だ。もっと行こう。
横須賀市船越。船越神社は国道16号線のそば、小高い丘の上だった。
その先。東京湾を一気に横切って、何と千葉市に当たる。
JR千葉駅だ。
JR千葉駅から総武本線が都賀駅まで、51度の向きに延びる。
だから千葉の町には51度に並行な道が走る。驚きだ。
誰が信じるだろうか。千葉市の道が、ベガの向きに作られているなんて。
もちろんこれは偶然、かもしれない。私はそう思わないけれど。
だって、二子山の上の山は標高207.9m。
見晴台に登れば千葉の海岸線が見える。
田浦や船越、横須賀の街だって見えるのだ。
その先は四街道市めいわ。ドン・キホーテのある道が51度に重なってくる。
そして終着地だろうか。佐倉市大篠塚の麻賀多大明神に着く。
小高い丘の上だ。
51度の線は山を避けて平地を走り、この台地に突き当たった。
千葉に沢山ある麻賀多神社については、謎が多すぎる。
はたして佐倉市の神社の常夜灯が、葉山の二子山山頂から見えたのか、どうか。わからない。
でも、夜の真の闇があった時代に、神社と寺の灯火が、
空港の誘導灯のように連なって、
その先にベガが上がっている。
美しい景観だと思う。
それは二子山山頂に登らないと見えない風景だ。
51度に何の意味があるのか、知る人は居なかっただろう。
二子山に登る人だけが知る、ベガの角度なのだ。その一瞬を楽しむ。
あるいは。星の見えない昼間の、星の無い明るい空で、この時を祀ったのではないか、とも思う。
冬に、昼間に上がるベガを祭る祭りが、二子山であったのではないか、と夢想する。
三浦半島から房総半島へ。東国の星の祭りが、あったのではと思うのだ。
こんな風に一晩、地図に分度器で直線を引いて遊ぶ。
思いもつかない発見がある。
地図に引いた線を信じて、地図を拡大すれば、やっぱり、と思う拠点が見つかるのだ。
風景は変わっても、古道に残った道の角度は、未だに星の上がっている場所を指し示している。
今私たちが見ている日常の道や山は、古代の遺跡であるのかもしれない。
解読されない遺跡が、目の前にあるのではないか、と思う。
はたしてこれらの仮説が、平安時代の星空でも成り立つのか、わからないけれども。
これで、北鎌倉の川をどう読んだらいいかが分かった。
北鎌倉の小袋谷川の向きで見れば、
織姫星ベガは素晴らしい場所を指し示した。
北辰信仰とは、こういう方角と空間を理解することではなかったかと、思う。
知識理解を成し遂げた上で、その体系を大切に伝える。
それを信仰と言ったのではないか。そこに呪術が入っていたとしても。
これは大海を船で渡る技術だ。あるいは草原や砂漠を、馬やラクダで渡る技術だ。
遣唐使船で運び込まれた技術だったのかもしれないと、夢みてしまう。
これでベルタイムのご主人に、やっと説明することができる。
星座の形に作り変えられた川と、その景観についてを。
参照:215.権五郎神社と彦星
参照:216.扇湖山荘と星