鎌倉、まぼろしの風景。211 

鎌倉、まぼろしの風景。


          
     

イメージの翼に乗って「星月夜の鎌倉」を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


北鎌倉の石仏

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亡備録 私的用語集
大淀三千風の日本行脚文集


+++キリシタンと江戸文化

110.東渓院菊姫
北鎌倉と豊後竹田

111.キリシタンの二十三夜

112.東慶寺の姫

113.徳川直轄地の
キリシタン

114.キリシタン受難像

115.江戸の幽霊
お岩とお菊

116.江戸の狂歌師
酔亀亭天広丸

117.江戸の蕎麦とお菓子

118.禁止された教え

119.葛飾北斎の1834年
旅する江戸人1

120.近松門左衛門の1719年
旅する江戸人2

121.大淀三千風の1686年
旅する江戸人3

122.大淀三千風の鴫立庵
123.柴又帝釈天の1779年
旅する江戸人4

124.飯島崎の六角の井

125.古狸塚

126.六地蔵・芭蕉の辻と
潮墳碑

127.キリシタン洞窟礼拝堂

128.十字架の菜の花

129.黙阿弥の白波五人男

130.大山の木食上人
旅する江戸人5

133.「忠直乱行」を読む
旅する江戸人6

135.駿河大納言忠長の遺業
旅する江戸人7

136.松平忠長の侍達
旅する江戸人8

137.許六と芭蕉

138.忠直とサンチャゴの鐘
豊後竹田と北鎌倉

139.沖の花(大分 瓜生島伝説)

140.鎌倉の庚申塔1・キリスト磔刑図
141.鎌倉の庚申塔2・嘆きの猿
142.鎌倉の庚申塔3・猿の面

143.曾根崎心中の道行き

144.義経千本桜の幻惑

145.建長寺のジョアン

147.椿地蔵と手まり歌

148.鎌倉という名の火祭り

149.玉藻ノ前と殺生石

151.不屈の第六天社(藤沢)
152.第六天の女神(戸塚)
153.玉縄城の第六天(鎌倉)

154.お花畑と後北条氏

155.落柿舎と鎌倉地蔵

157.平塚の4手の庚申塔

162.十文字鳥居と手水鉢
(藤沢市江ノ島)

163.八橋検校の秘曲と「千鳥」

164.半僧坊と明治憲法

165.夜空にかかる十字架
(明月院の谷)

169.馬頭観音の天衣(1)
170.マリアの石碑(2)
171.マリアの影を石に刻む(3)

172.六地蔵、葎塚(むぐらづか)と芭蕉(山梨県)

173.化粧するお地蔵様

180.大淀三千風のすみれと芭蕉

181.謡坂と善智鳥
(うとうざかとウトウ)

182.善知鳥と江戸大殉教

183.芭蕉の見た闇
(名古屋市・星崎)

186.キリシタンの古今伝授

187.鎌倉仏教とマニ教

188.謎の桜紋

189.西行と九尾の狐

190.○と□ (丸と四角、マリアとイエス)

191.踊場の猫供養塔(横浜市泉区)

193.貞宗院様の遺言(貞宗寺:鎌倉市植木)

194.崇高院様の山門(成福寺:鎌倉市小袋谷)

195.鎌倉光明寺54世松誉上人(書かれた文字1)

196.涌井藤四郎の新潟湊騒動(書かれた文字2)

197.鎌倉大仏縁起・(書かれた文字3)

199.扁額にある記号(書かれた文字4)

200.こゆるぎの松
(1鎌倉の小動)

201.城山公園の石碑
(2大磯の小動)

202.小ゆるぎの里
(3寒川の小動)

203.謡曲「隅田川」と田代城主

204.イボとり地蔵の小石

205.港町の杯状穴

206.庚申様はすばる星(すばる星1)

207.六所神社のすばる星(すばる星2)

208.キリシタンと庚申様(すばる星3)

209.鎌倉キリシタンの伝承 1

210.東渓院の領地

211.大坂城の遺児
鎌倉キリシタンの伝承 2

212.田代寺安養院
鎌倉キリシタンの伝承 3

213.水戸光圀の鎌倉案内
鎌倉キリシタンの伝承 4


江戸文化に
キリシタンの影響を見る。

見ず 聞かず
言はざる までは
つなげども
思はざる こそ
つながれもせず

(心に思う事を
罰する事はできない)

諸国里人談 巻三一「三猿堂」
菊岡沾凉(米山)著1743年刊



写真集
私説:キリシタン遺物と
その影響下に作られたと思われる
石碑と石仏


亀の蔵

「鎌倉、まぼろしの風景」
の要約。

書かなかったことや
後から書き足す事ども。


知る者は言わず
言う者は知らず《老子》

資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子

Twitter:@ninayzorro

ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)

   

キリシタンと江戸文化


 「鎌倉、まぼろしの風景」から、小さなリーフレットができた。「星月夜の鎌倉と塔の辻」という題名で地湧社から。鎌倉市内の書店、ギャラリーやカフェで販売中です。
ブックスモブロ(大町)*ミルクホール( 小町)*北鎌倉ギャラリーNEST(台)*ミドルス(長谷)*てぬぐいカフェ 一花屋(坂の下)*ソンベカフェ(御成)*北鎌倉ベルタイム(山ノ内)*紅茶専門店ミミロータス(御成)*亀時間(材木座)*ギャラリー伊砂(小町)*MOWAもわ(由比ケ浜)*コーヒーと音楽 笛(山ノ内)*邦栄堂書店(雪ノ下)*島森書店(小町)*松林堂書店(小町)*たらば書房(御成)

211.大坂城の遺児 鎌倉キリシタンの伝承 2

 神奈川県の中央を北から南へ、相模湾へと相模川が流れている。
 相模川の東岸が茅ヶ崎市。その岸辺に平太夫新田という地名がある。とても江戸時代的な地名だと思った。
 ここに新田八幡宮があって、境内に松下平太夫を祀る石碑がある。この地域を開発した功労者だそうだ。人々は彼の名を地名に残したのだ。

 松下平太夫は豊臣氏の家臣だったそうだ。1615年(慶長20)に大坂城が落城して、たくさんの侍が全国に散って行った。松下平太夫も仲間を引き連れて、ここまでやって来たらしい。
 主君が殺されてしまえば仕える所が無くなったばかりか、見つかれば敵兵として殺されるだろう。
 生き延びるために侍の身分を捨てて農民になる。しかし新しく入植する土地など、どこにも無い。でも川岸だったら、広く土地が空いていたのだ。
 川岸は耕作できない場所だ。河原はいつか浸水して、すべてを押し流し川底に沈めてしまう場所である。苦労して開墾しても一夜の洪水で失ってしまう。それも台風のたびに、年に何度も水が来るだろう。それでもここを開墾するしか無い。治水の技術が彼らにはあったのかも知れない。

 ここに来た平太夫らは何人くらい居ただろうか。十五人くらいか。その家族も入れて40人くらいの集落になったのかも知れない。この新しい場所で、新しい暮らしを始めたのだ。開墾は川の護岸工事から始まっただろう。しかし一級河川の相模川は大人しくはない。古くからの村人達はそれをじっと見つめていただろう。
 作物が実るようになると、この平太夫新田を強盗が襲ったのだそうだ。それを皆で追い散らした、という伝承が残っている。戦いなれた人達が新田には多数居たのだろうと思った。
参照:湘南でスローなライフスタイルを..茅ヶ崎の民話

 伝承によれば、松下平太夫は、1621年(元和7)に夫婦ともども亡くなってしまう。入植からわずかに6年だ。その妻も同時に死んだというのは病気か、事故か。事件か。恐ろしい事だと思う。
 あるいは強盗に襲われた時に、新田の何人かは死んでしまったのだろうか。開墾をして6年後といえば、ちょうど田畑も整って作物も順調に採れ始めた頃だろう。平太夫夫妻は強盗に殺されたのだろうか。
 新田の開墾の指導者であった松下平太夫を讃えて、今も彼は新田八幡宮の境内に祀られている。

 ところで、インターネットの検索はすごい力を持っていて、「松下平太夫」が茅ヶ崎以外でも見つかったのだ。「大溝藩士の一覧表」のなかに中級藩士の中小姓・徒士格として、「松下家 1.松下 平太夫 御城使 100石 (享保13年(1728)給人帳より)」と載っている。平太夫が亡くなって107年後のことだ。
参照:大溝藩分部家について

 同じ名前を使っているのだから、跡取り息子の末裔だと思う。あるいは平太夫の赤ん坊が畿内に残されて、成長して松下平太夫を名乗ったのだろうか。その末裔なのだろうか。

 大溝藩とはどんな所か、それを調べて行くと、平太夫の妄想が一繋がりになって物語りになる。その根拠の無い物語りを続けてみる。

  大溝城は滋賀県高島市にある。琵琶湖の西側だ。天正6年(1578年)、織田信長の甥の津田信澄が城主だった。正室は明智光秀の娘、と言えば、細川ガラシャの姉妹だ。その後次々と城主が変わって、キリシタンの京極高次(正室は浅井初)が天正14年(1586年)に城主になる。それから大溝藩の初代藩主の分部光信(わけべみつのぶ)に続く。1619年(元和5)である。伊勢上野藩の二代目藩主だった彼は大坂夏の陣で功績を上げ、28才で大溝藩に入った。それはちょうど平太夫が相模川の東岸を開墾している頃だ。
 大溝城は琵琶湖に臨む水城だそうだ。一級河川の安曇川(あどがわ)が北にある。
「寛文9年(1669年)には1万石、延宝4年(1676年)には1万3,000石が大洪水によって徴収できず」とWikipediaにあった。それは4代目藩主信政の時代だ。
 善政を敷いたと言われる初代の分部光信は、二条城や駿府城の普請で定評があったそうだ。まず安曇川の治水に尽力しただろう。そんな時に一方では相模川河口を開墾していた松下平太夫がいた。
 彼の噂が大溝藩まで届いたとする。あるいは武士だった頃からの彼を良く知る人が居た、として。それで、彼を農地開発の指導者として招いた、と妄想しよう。
 茅ヶ崎から夫婦で招聘された平太夫は、農民として大溝藩の護岸工事に勤しむ。そして末裔が武士に取り立てられる。百年後は 100石の中級藩士だ。
 妄想はこんな風にハッピーエンドに働くのだ。夫婦で強盗に殺されるよりずっといい。

 一介の流れ者だった農夫が大溝藩に迎えられる、としたら。彼の人脈がどうして近江にまで繋がるのか、それを説明すると、語りたくない事ばかり出てくるのだろう。豊臣方とは知られたくないだろう。新田の人達は、夫妻ともに死んでしまったことにした。あるいは黙って居なくなったという事にした、そう想像してみる。それで彼はここに祀られている。農地開発の功労者として祀られた彼の碑は、大坂城の縁を示す碑でもあった。

 茅ヶ崎市の隣が藤沢市、その東隣が鎌倉市だ。ここにも大坂城から脱出して、平和に暮らすことが出来た人々が居た。東慶寺の天秀尼に仕えた人々である。
 大坂夏の陣で、大坂城に居た豊臣秀頼の妻、千姫は、徳川家康の孫娘だった。彼女は秀頼の娘、奈阿姫をつれて城を脱出する。幼い姫が殺されない様に、千姫は自分の養女だと言って彼女の助命活動をする。
 鎌倉東慶寺に入って生涯尼として暮らす事を条件に。
 忍城の成田甲斐姫も東慶寺に入った。そのお付きの人々も入れれば、十人ではきかない数になるだろうと思う。
 奈阿姫を護ってここまで来た人達や、陰ながら後をしたって付いて来た人達も居ただろうと思う。男であれば東慶寺には入れない。そんな武士達は、やはり鎌倉で農民になったと想像する。
「大坂城から来たお坊さんが私のご先祖です」と先日古老から聞いたばかりだ。

 大坂城は無くなっても、その豊臣の遺児は鎌倉で暮らすことが出来た。この事はものすごく大きい事ではなかったか。東慶寺は豊臣秀頼の大坂の夢を、ずっと繋いでいたのだ。キリシタンであれば、それは自由にミサをあげることができる弾圧されない暮らしだ。実現しなかった大坂の夢を、北鎌倉は深く懐に秘めて温存していく。
 ちなみにこの辺りは小坂郡と呼ばれる。今も小坂小学校や小坂郵便局という名を見ることができる。小坂は「こさか」ではなく「おさか」と読む。小坂とは大坂の古名でもあるのだそうだ。

 埼玉県にも豊臣の家臣が来て住んだという伝承がある。伊奈半十郎忠次(1592-1653)の伝承だ。関東代官頭として治水と新田開発に力を入れた人だそうだ。新しい入植者のために必要な新田開発であっただろう、と思う。
 利根川の治水工事をする時に、彼は豊臣家の侍を人夫として使ったのだそうだ。その宗旨については、大目にみていたという。キリシタンでも生きて行くことができる場所だったのだ。
 だから、利根川の川筋に点々とキリシタン遺物が見つかる。子供を抱いたマリア地蔵と呼ばれる石仏があるのだそうだ。それは横浜市泉区の中田寺で見た地蔵の様なものだろうか。それとも横浜市金沢文庫称名寺にあった石仏の様なものだろうか。
参照:191.踊場の猫供養塔(横浜市泉区)
参照: 195.鎌倉光明寺54世松誉上人(書かれた文字1)

 伊奈家はその後、1692年(元禄5)から幕末まで、飛騨高山陣屋に居て、幕府直轄地を治めた。
 埼玉県の伊奈半十郎忠次を知ったのは、利根川の岸辺の幸手(さって)を調べていたからだ。幸手の領主は一色氏。室町幕府の足利将軍家の家臣である。
 一色氏と足利将軍の物語は、「明石」という別項を必要とするほど風雅な物語りになる。明石とはもちろん鎌倉市にある「明石」である。

参照:伊奈家の真実

      


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  ***亀子***
( 5 Sep. 2012)

     

   
十字形手水鉢(神奈川県藤沢市)

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・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::
:::206.庚申様はすばる星(すばる星1):::
:::207.六所神社のすばる星(すばる星2):::


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