+キリシタンと江戸文化+ +
「鎌倉、まぼろしの風景」から、小さなリーフレットができた。表紙も入れて、わずかに32ページです。
「星月夜の鎌倉と塔の辻」という題名で、地湧社から出版。作者はきし亀子です。 北鎌倉のアーティスト、夢草さんが、美しい挿絵を描いてくださった。 ただいま鎌倉市内のギャラリーやカフェで販売中です。
*ブックスモブロ(大町)*ミルクホール(
小町)*北鎌倉ギャラリーNEST(台)*ミドルス(長谷)*てぬぐいカフェ 一花屋(坂の下)*ソンベカフェ(御成)*北鎌倉ベルタイム(山ノ内)*紅茶専門店ミミロータス(御成)*亀時間(材木座)*ギャラリー伊砂(小町)*MOWAもわ(由比ケ浜)*コーヒーと音楽 笛(山ノ内)
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+210.東渓院の領地 大分県竹田市の水害は、想像以上に大きな災害になってしまった。 TVに映った竹田市の風景を見て、まだ行ったことも無い竹田市を故郷の様に思う。 被災された方々、熊本県と大分県の方々にお見舞い申し上げます。
竹田市に行ってみたい。岡城から見た大船山はどんなに美しいか。あるいは山に隠れた理想郷が、今も在るのか。 季節が変わって竹田の方々が元気を取り戻して、観光が再開した頃に、大船山を見に行きたいと願っている。
+ 北鎌倉に時宗光照寺があって、その山門はクルス門と呼ばれている。豊後竹田の岡城三代目城主、中川久清が建立した臨済宗早雲寺末東渓院の門であった。 門の中央に中川家の紋が今も掲げてある。それは I H S というアルファベットを図案化したものだ。 ラテン語の Iesus Hominum Salvator「人類の救い 主イエス」の頭文字だ。 IHSに「太陽のコロナ」、「十字架につけられた三本の釘」と「十字架」が加わるとイエズス会の紋章になる。それは北鎌倉の東慶寺にある葡萄蒔絵聖餅箱の蓋の文様でもある。 あるいはギリシャ語のイエス=キリストのラテン語表記、 Ihsouz Xristoz の、最初の三文字 IHSであるとも言われている。
明治5年に廃寺になるまで、鎌倉市台の北向きの傾斜面に、確かに東渓院はあったのだ。幻の東渓院について、もう一度調べてみた。 「鎌倉廃寺辞典」と言う本はプレミアがついていて、手に入れにくい本なのだ。だから近くの図書館に行って、必要な所をコピーをしている。そこに東渓院も載っていて、詳しくは「鎌倉 ○号」に掲載された木村彦三郎の「廃寺『東渓院』」を参照せよと書いてあった。木村彦三郎氏は131.稲荷神社の句碑でお世話になった郷土史家だ。図書館には彼の作った手書きコピー版の俳句集があった。鎌倉の神社に掲げられた俳句を読み取って書起した労作である。 それでこの「鎌倉 ○号」を古書店で購入したのだけれど、肝心の記事は載っていなかったのだ。誤記だったのだ。 あれから数年経っていて、忘れ去っていた昨日、鎌倉中央図書館で鎌倉廃寺辞典を手に取り、東渓院のページを読んだ。そこには「鎌倉 ○号」の○を消して、△と訂正してあった。 わお。 「鎌倉 △号」に掲載された「廃寺『東渓院』」木村彦三郎 は、9ページに及ぶ記事で、知らなかった事が沢山書いてあった。 中川久清の娘は延宝7年に亡くなって、浅草の海禅寺に埋葬された事。 翌年鎌倉郡台村に位牌堂東渓院ができたこと。 施料として田畑一町歩あまりを寄進した事。 明和年間に住職が所有地を質入れした事。 慶応3年に金127両弐分で中川家が受け戻した事。 明治になって東渓院の土地は官没されたしまったこと。 その土地は明治9年(1876年)の「田畑山林改正調査簿」によると1町3反あまりあったこと。 中川家は男爵になり、後に伯爵になったこと。 そして明治9年の「田畑山林改正調査簿」に載っていた東渓院の土地リストがあった。東渓院の領地は台村のどこにあったのか、探してみた。 赤で塗った所が明治9年の時点での領地だ。 一番右下が東渓院のあった場所だと思われる。そこから岡本の字戸部まで、点々と領地がある。 岡本の戸部とは、大船駅から見える大船観音がある山のことだった。かつて戸部という字名は台、小袋谷、大船、岡本の四地区に広がっていた。 鎌倉市が出版した「としよりのはなし」の台のページでは、「戸部は線路の向こうの新富町だ」という。東渓院の領地は台から大船観音の裏山まで広がっていたのだ。 私事で恐縮だけれど、夫は歴史的な土地台帳を見るプロなのだ。それでこの図を見て、言った。 1680年に東渓院ができた時に、領地はもっとずっと広かったんじゃないかな。岡本の山まで、東渓院の領地だけ歩いて行けるような。この図みたいに点々とした領地じゃなくて、この一帯が東渓院の土地だったんじゃあないかな。200年の間に細かくされたのかも知れないね。 それは根拠の無い妄想だ。でも、土地台帳の変転を見て来た彼が言う、経験による直感である。 196年後。明治になって、豊後竹田の岡藩の城は壊されてしまった。東渓院の土地は国に没収になる。そんな時に、東渓院の領地はなるべく小さく申告されたかも知れないと、想像してみた。もちろんこれも根拠の無い妄想に過ぎない。台村の人達は今までの様に田畑を耕作できる様に願ったのだと想像したのだ。 東渓院の裏山は、今「ポラリス ジ・アートステージ」という現代アートの美しいギャラリーになっている。 そこに登ると北西に、岡本の大船観音が見える。それは豊後岡藩の城から望み見る大船山(だいせんざん)の向きと同じだ。 その大船山に、東渓院をつくった中川久清の墓がある。名君と呼ばれた久清公の東渓院は無くなってしまったけれど、ポラリスから大船観音を見る私の視線は、久清公がこの地に立って見た332年前の視線と同じなのだ。 緑の田畑は人家に置き換わり、高層建築が景観を遮るけれど、台の山と岡本の山は変わらずにあることを喜びたいと思った。 参照:グローバルマップル 世界&日本地図帳 昭文社 参照:110.東渓院菊姫 北鎌倉と豊後竹田 追記:今年大分県竹田市は藩政400年祭を祝っている。藩主中川家には、歴史の表に出て来ていない興味深い事が様々あるらしい。 今年、サンチャゴの鐘の音が入ったCDができたり、新しくキリシタン墓地が発掘されたりしている。 竹田では中川氏はキリシタン大名として有名なのだそうだ。 中川久清の墓は、正面から見ると日本風のお墓になっている。でも、横から見ると、石棺が地上に置かれていて、ベッドの様に長くて、石の蓋が乗せてある。ちょうどヨーロッパの教会堂に納められた墓と同じなのだ。 「廃寺『東渓院』」を書いた木村彦三郎氏は、章末に「今後正しい資料が出るのを待つより他には術が無い。」と書いた。 竹田市で新しく発掘される資料を天国の木村氏にも伝えたいと思う。
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***亀子*** ( 17 Jul. 2012)
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十字形手水鉢(神奈川県藤沢市)
:::::目次:::::
:::Top最新のページ::: ▲・・・地図上の直線 地図に線を引くとわかる設計 (ランドデザイン) ★・・・地上の星座 天体の運行を取り入れた景観
:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::
▲3.霊仙山20Apr:::
:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::
▲6.道の意匠:::
:::7.修験道の現在形:::
:::8.鎌倉の白い岩:::
:::9.セキサンガヤツ:::
★10.若宮大路のカレンダー:::
▲11.神奈川県の鷹取山:::
▲12.鎌倉の正三角形:::
:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::
:::15.夜光る山:::
:::16.下りてくる旅人:::
:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::
:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::
▲21.熊野神社の謎:::
▲22.熊野神社+しし石:::
▲23.北鎌倉の地上の昴:::
★24.ふるさとの北斗七星:::
★25.労働条件と破軍星:::
★26.北条屋敷跡の南斗六星:::
:::27.星と鎌と騎馬民 :::
★28.江の島から見る北斗と昴 :::
★29.由比ケ浜から見る冬の星 :::
:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::
▲31.御嶽神社の謎:::
★32.塔の辻の伝説(1) :::
★33.昇竜の都市鎌倉(2):::
★34.改竄された星の地図(3):::
★35.すばる遠望(小休)(4):::
▲36.長谷観音レイライン:::
★37.星座早見盤と金沢文庫:::
▲38.鎌倉の墓所と鎮魂:::
▲39.ふるさとは出雲:::
▲40.義経の弔い:::
▲41.「塔の辻」の続き:::
▲42.子の神社:::
:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::
:::48.ふたつあることについて:::
:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::
:::50.たたり石:::
:::51.鎌倉の十三塚:::
★52.陰陽師のお仕事:::
▲53.坂東平氏の大三角形と星:::
▲54.大船でみつけた平将門:::
▲55.神津島と真鶴:::
▲56.鷹取山のタカ (八王子市と鎌倉市):::
▲57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
▲58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::
:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::
▲60.重なり合う四神:::
:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::
:::63.吾妻社:::
▲64.約束の地(小休):::
★65.若宮大路の傾き(星の都1):::
★66.國常立尊(星の都2):::
★67.台の天文台(星の都3):::
▲68.鎌倉の摩多羅神:::
★69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
★70.鎌倉と姫路(星の道2):::
★71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::
★72.環状列石のしくみ (五芒星1)::: ★73.環状列石の使い方 (五芒星2)::: ★74.関谷の縄文とスバル (五芒星3):::
▲75.十二所神社のウサギ:::
:::76.針摺橋:::
▲77.平安時代のジオラマ:::
▲78.獅子巌の四神 (藤原氏の鎌倉):::
▲79.亀石によせる:::
▲80.山頂の古墳:::
:::81.長尾道路の碑 (横浜市戸塚区):::
★82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
★83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
★84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
★85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
★86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::
:::87.実方塚の謎(1) 鎌倉郡小坂郷上倉田村:::
:::88.戸塚町の謎(2) 鎌倉郡小坂郷戸塚町:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4) 栃木県宇都宮市雀宮町:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5) 茨城県古河市:::
:::92.北鎌倉の悲劇:::
▲:::93.こぶた山と奈良東大寺:::
:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::
▲96.海軍さん通りの夕日:::
▲★97.今泉不動の謎:::
▲98.野七里:::
▲99.染谷時忠の屋敷跡:::
★100.三ツ星とは何か (またはアキラについて):::
:::48.ふたつあることについて:::
▲101.亀の子山と磐座、火山島:::
★102.秦河勝の鎌倉:::
▲103.由比若宮(元八幡):::
▲104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
▲105.北鎌倉 台の光通信:::
★106.鎌倉の占星台:::
★107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
▲150.鎌倉 五芒星都市::: ▲158.第六天社と安部清明碑::: ▲159.桜山の朱雀(逗子市)::: ★160.双子の二子山と寒川神社::: :::161.ゴエモンの木::: :::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉::: :::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発)::: ★167.地上の銀河と星の王1(平塚市)::: ★
168.地上に降りた星の王2 (鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)::: ★
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る)::: :::
175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説)::: ★
176.おんめさまとカガセオ::: ★
177.南西214度の縄文風景 2 (大湯環状列石とカナイライン):::
★
178.御霊神社と鎌倉 (南西214度の縄文風景3):::
★
179.源頼朝の段葛とカガセオ (南西214度の縄文風景4):::
:::
184.鎌倉の小倉百人一首:::
:::
185.鎌倉の小倉百人一首 2:::
:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::
:::206.庚申様はすばる星(すばる星1):::
:::207.六所神社のすばる星(すばる星2):::
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