鎌倉、まぼろしの風景。212 

鎌倉、まぼろしの風景。


          
     

イメージの翼に乗って「星月夜の鎌倉」を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


北鎌倉の石仏

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亡備録 私的用語集
大淀三千風の日本行脚文集


+++キリシタンと江戸文化

110.東渓院菊姫
北鎌倉と豊後竹田

111.キリシタンの二十三夜

112.東慶寺の姫

113.徳川直轄地の
キリシタン

114.キリシタン受難像

115.江戸の幽霊
お岩とお菊

116.江戸の狂歌師
酔亀亭天広丸

117.江戸の蕎麦とお菓子

118.禁止された教え

119.葛飾北斎の1834年
旅する江戸人1

120.近松門左衛門の1719年
旅する江戸人2

121.大淀三千風の1686年
旅する江戸人3

122.大淀三千風の鴫立庵
123.柴又帝釈天の1779年
旅する江戸人4

124.飯島崎の六角の井

125.古狸塚

126.六地蔵・芭蕉の辻と
潮墳碑

127.キリシタン洞窟礼拝堂

128.十字架の菜の花

129.黙阿弥の白波五人男

130.大山の木食上人
旅する江戸人5

133.「忠直乱行」を読む
旅する江戸人6

135.駿河大納言忠長の遺業
旅する江戸人7

136.松平忠長の侍達
旅する江戸人8

137.許六と芭蕉

138.忠直とサンチャゴの鐘
豊後竹田と北鎌倉

139.沖の花(大分 瓜生島伝説)

140.鎌倉の庚申塔1・キリスト磔刑図
141.鎌倉の庚申塔2・嘆きの猿
142.鎌倉の庚申塔3・猿の面

143.曾根崎心中の道行き

144.義経千本桜の幻惑

145.建長寺のジョアン

147.椿地蔵と手まり歌

148.鎌倉という名の火祭り

149.玉藻ノ前と殺生石

151.不屈の第六天社(藤沢)
152.第六天の女神(戸塚)
153.玉縄城の第六天(鎌倉)

154.お花畑と後北条氏

155.落柿舎と鎌倉地蔵

157.平塚の4手の庚申塔

162.十文字鳥居と手水鉢
(藤沢市江ノ島)

163.八橋検校の秘曲と「千鳥」

164.半僧坊と明治憲法

165.夜空にかかる十字架
(明月院の谷)

169.馬頭観音の天衣(1)
170.マリアの石碑(2)
171.マリアの影を石に刻む(3)

172.六地蔵、葎塚(むぐらづか)と芭蕉(山梨県)

173.化粧するお地蔵様

180.大淀三千風のすみれと芭蕉

181.謡坂と善智鳥
(うとうざかとウトウ)

182.善知鳥と江戸大殉教

183.芭蕉の見た闇
(名古屋市・星崎)

186.キリシタンの古今伝授

187.鎌倉仏教とマニ教

188.謎の桜紋

189.西行と九尾の狐

190.○と□ (丸と四角、マリアとイエス)

191.踊場の猫供養塔(横浜市泉区)

193.貞宗院様の遺言(貞宗寺:鎌倉市植木)

194.崇高院様の山門(成福寺:鎌倉市小袋谷)

195.鎌倉光明寺54世松誉上人(書かれた文字1)

196.涌井藤四郎の新潟湊騒動(書かれた文字2)

197.鎌倉大仏縁起・(書かれた文字3)

199.扁額にある記号(書かれた文字4)

200.こゆるぎの松
(1鎌倉の小動)

201.城山公園の石碑
(2大磯の小動)

202.小ゆるぎの里
(3寒川の小動)

203.謡曲「隅田川」と田代城主

204.イボとり地蔵の小石

205.港町の杯状穴

206.庚申様はすばる星(すばる星1)

207.六所神社のすばる星(すばる星2)

208.キリシタンと庚申様(すばる星3)

209.鎌倉キリシタンの伝承 1

210.東渓院の領地

211.大坂城の遺児
鎌倉キリシタンの伝承 2

212.手広村の大岡様
鎌倉キリシタンの伝承 3

212.田代寺安養院
鎌倉キリシタンの伝承 4

214.水戸光圀の鎌倉案内
鎌倉キリシタンの伝承 5


江戸文化に
キリシタンの影響を見る。

見ず 聞かず
言はざる までは
つなげども
思はざる こそ
つながれもせず

(心に思う事を
罰する事はできない)

諸国里人談 巻三一「三猿堂」
菊岡沾凉(米山)著1743年刊



写真集
私説:キリシタン遺物と
その影響下に作られたと思われる
石碑と石仏


亀の蔵

「鎌倉、まぼろしの風景」
の要約。

書かなかったことや
後から書き足す事ども。


知る者は言わず
言う者は知らず《老子》

資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子

Twitter:@ninayzorro

ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)

   

キリシタンと江戸文化


 「鎌倉、まぼろしの風景」から、小さなリーフレット「星月夜の鎌倉と塔の辻」が地湧社から出版された。鎌倉市内の書店、ギャラリーやカフェで販売中です。
ブックスモブロ(大町)*ミルクホール( 小町)*北鎌倉ギャラリーNEST(台)*ミドルス(長谷)*てぬぐいカフェ 一花屋(坂の下)*ソンベカフェ(御成)*北鎌倉ベルタイム(山ノ内)*紅茶専門店ミミロータス(御成)*亀時間(材木座)*ギャラリー伊砂(小町)*MOWAもわ(由比ケ浜)*コーヒーと音楽 笛(山ノ内)*邦栄堂書店(雪ノ下)*島森書店(小町)*松林堂書店(小町)*たらば書房(御成)

212.手広村の大岡様
鎌倉キリシタンの伝承 3

 角川学芸出版から「手広考つれづれ」という本が出版された。著者は石井和行さん。
 あとがきに「 先人達の努力によって今の私たちの生活があるのだと、つくづく感謝の念を抱きます。」とあった。その通りだと思った。
 先人たちの努力を、私はもっと、知りたいと思う。

 手広(てびろ)とは神奈川県鎌倉市の西端にある。街道が交差するところだ。
 西は藤沢市の川名、片瀬に接している。
 手広には椿地蔵がある。戦道(たたかいどう)という地名がある。
 それに今は通行止めになっているけれど、美しい切通しもある。
 鎖大師と飯盛山がある。魅力的な場所だ。
 それでも、手広で一冊書いてしまうとは。すごいなあと思う。
 こんな風に、鎌倉市台で一冊とか、鎌倉市山崎で一冊とか、古老が語り始めたらどんなに面白いだろう。早速読んでみた。

「手広考つれづれ」に、興味深い古文書が紹介されていた。
 年貢を納めました、という証文だ。
 それも「前年度の年貢」を。
 「近世鎌倉市史近世史料編第一」にもある古文書を紹介しているのだ。

 前年度の年貢を、名主が全納しました、代官が受け取りました、という証文だ。
 寛永元年子ノ極月六日(1624)と書いてある。
 大岡兵蔵の花押がある。兵蔵とは大岡忠吉(ただよし)のことだそうだ。
 大岡裁判で有名な江戸町奉行の大岡越前守忠相(ただすけ)のひいおじいさんだ。
 江戸幕府が始まった時に徳川家康から高座郡高田村(茅ヶ崎市)をもらい、
 慶長18年に鎌倉郡手広村を手に入れる。

 茅ヶ崎市には大岡越前守の菩提寺もあって、興味深いのだ。
 茅ヶ崎の彼の領地は街道から隠れた深い谷戸だ。
 その最深部の東端は、藤沢市の有藤(うとう)から羽鳥に抜けられる。
 羽鳥は豊臣方の武家が大阪城落城の後に帰農して開墾した地域だそうだ。
 向かいの字名は隠里である。
 お化粧で白く塗るお地蔵様で親しまれている「おしゃれ地蔵」もある。
 茅ヶ崎から鎌倉までの地域に、このHPで話題にしてきたことが、ギュッと濃密にあるような気がする。
参照:181.謡坂と善智鳥(うとうざかとウトウ)
参照:182.善知鳥と江戸大殉教
参照:173.化粧するお地蔵様

 大岡忠吉が手広を手に入れた慶長18年は1613年。岡本大八事件の翌年だ。
 岡本パウロ大八と有馬プロタジオ晴信が断罪された翌年。
 彼らの領地、あるいは彼らに関連して領地を失った人の、その代わりに大岡さんが入ったのかもしれない。わからない。
 翌年1614年に大久保長安事件が起こり、小田原城主の大久保忠隣(ただちか)が改易になる
 徳川家康が本格的にキリシタンを弾圧し始めた時期だ。

 それから十年後の、年貢全納記録、である。
 前年の年貢を年末までに全納することが、できるだろうか。

 米は一年に一度しか収穫できない。
 今年の米は今年の年貢になる。
 二年分を納めることは不可能だ。

 村人は副業に勤しんで現金で収めたのだろうか。
 でも、それで一年分の全額を収めることなんて、できるのだろうか。
 それができるのなら、毎年副業で稼いでいるだろう。
 そもそも、なぜ、 年貢が払えなかったのだろう。
 米が不作だったのだろうか。手広村だけが米の不作だったのか。

 年貢が払えなかったのは元和9年(1623)。
 それは江戸大殉教の年だった。
 小袋谷のヒラリオとマリーナ夫妻が、12月、
 江戸の芝の札の辻で火あぶりになった。その年に
 手広村は年貢を収めることができなかった。
 小袋谷と手広は 3kmほど離れている。台山を越えれば、歩いて40分くらいか。

 元和9年に鎌倉の海で捕まったのは、鎌倉キリシタン顕彰会によると
 ヒラリオとマリーナ夫妻、ガルベス神父とジョアン長左衛門、ペトロ喜三郎である。
参照:鎌倉カトリック雪の下教会 鎌倉キリシタンの殉教

 捕まった村人は小袋谷のヒラリオ夫妻だけだったのだろうか。
 名前が残っていない人々も処刑されたのだ。
 江戸へ送られて伝馬町の牢屋に入れられた。
 9年間続いたという鎌倉のキリスト教伝道所の歴史はここで終わる。
 それは夏の事だっただろうか。
 稲の刈入れ時のことではなかったか。
 年貢を収める頃ではなかったか。
 牢屋では長い調査期間があって、記録が取られて、年の暮れに処刑になった。
 その記録は後に破棄されて、見ることはできない。

 手広の人々は、この事件にはまったく関係が無いように見える。
 伝承も記録もない。当たり前だ。
 関係を匂わせるものは、皆処分されただろう。
 以後、疑われるものは何もない。

 でも、この証文は残った。いや、残した。のだ。
 村の唯一の証人として。
 「年貢を払った。」というめでたい記録として。

 ここからは証拠の無い憶測だけで続けることになる。
 この状況を家族で考えて、あーでもないこーでもない、を繰り返して、 出て来た物語だ。
 でも、似たような例があったのだ。
 「るひいな救出事件」である。
 「竜派禅珠の るひいな 救出秘話」は、ネットの「橿原日記 平成19年6月1日 元和のキリシタン弾圧事件に隠された秘話」に詳しい。

 川口の長徳寺の竜派和尚が、ルシーナという若妻を救い出したのだ。
 江戸でキリシタンの探索があった元和9年(1623)に、ルシーナの家族も捕まっていた。
 姑夫妻はキリシタンであると言い、刑を受ける覚悟を決めた。
 赤ん坊と夫も助からなかった。
 でもルシーナは自力で脱出して、父母に庇護を求めたのだ。
 彼女の助命嘆願に 和尚は奔走する。
 婚家がキリシタンだったけれど、彼女は違う、と。
 その顛末を和尚は日記に書いていた。
 この事件を参考に、当時の情景を思い浮かべて、手広村のお話を作ってみた。

 手広村の働き頭の何人かが、伝道所で捕まってしまう。
 何か大事件が起きたというから、手助けがいるかもしれないと、
 やってきただけなのに。様子を見に来ただけだったのに。
 どうした、どうした、と言っているうちに、
 再び役人が来て、有無を言わさず江戸へ曳いて行ったのだ。

 俺たちはキリシタンではございません。
 そう言う彼らに付いて、家族や親類は江戸まで行った。
 牢屋の近辺に泊まり込んで、村人達は彼らを救出しようとする。
 まだ調査を始める前に、調書に名前が乗る前に手を打つのだ。
 この者達は関係がないんですと、お寺の御坊様にも口添えしてもらう。
 それには一体いくら位の資金が必要だっただろう。
 村の働き頭の数人を救い出すために、大岡様にも助けを求めただろう。
 まず彼らを牢から出すことが先決だ。
 キリシタンは神父と一緒にいたヒラリオだけで十分ではないか。
 手広の村人が捕まったと、記録に残したくない。
 大岡様の内諾で、その年の米は、牢から村人を引き出すために使われた。
 そして手広村の捕まった全員が救出された。

 素晴らしい成果を挙げたのだ。でも、それを語ることはできない。
 それでもこの事件は密かに有名になっただろう。

「キリシタンは小袋谷村から出たのだ。手広の名前は出ていない。
 ごく小さな地域の、小さな家族単位の捕縛だったのだ。
 近隣の村を巻き込む大騒動だったわけではない。」
 その結果に、就任したばかりの三代将軍家光も満足したと思う。

 家康のお狩場で有名な玉縄城下が、キリシタンで有名になると困ることも出てくる。
 例えば玉縄山珠光院貞宗寺だ。
 広い柏尾川の対岸にある貞宗寺は、手広村からわずかに2km先。
 山門や灯明が、手広村からよく見えたのだ。
 そこには家康と共にキリシタン全盛期を過ごしたお愛の方の思い出が残っている。
 家康はキリシタンを保護して浦賀にスペイン船を招聘したことがあったのだ。
 家康の駿府城にはたくさんのキリシタンがいた。
 後に江戸大殉教に加わる原ジョアン胤信(たねのぶ)。小笠原ディエゴ権之丞。
 伊豆大島に流されたおたあジュリアとその侍女たち。
 そんな駿府城の時代に急死した西郷昌子、すなわちお愛の方は、
 二代将軍徳川秀忠の母だった。貞宗寺は彼女とその母の菩提寺だ。

 そしてまさに江戸大殉教のこの年、
 後水尾天皇にお輿入れをした東福門院徳川和子は、将軍秀忠の娘である。
 お愛の方の孫娘は、この年の春に晴れて上洛して中宮となった。
 落飾せずに女院と呼ばれたのだ。
 そして女院係を仰せつかったのは大岡忠吉。手広村の領主である。
 事件はなるべく小さくしたかっただろう。

 キリシタンが居たのは、家康の駿府城の名残なのだ、などと、
 摘発が思わぬ方向に波及することがないように。
 大岡忠吉の裁量は適切であったと判断された。だろう。

 翌年、村人総動員で必死で集めたお金は、やはり年貢の全額には及ばなかった。
 来年も少しづつお返ししますから、という名主の申し出を、大岡忠吉は断った。
 この事件を長引かせたくなかったのだ。
 終わらせるために、証文を書いた。終わらせて、人々が早く忘れる為に。
 昨年の年貢は全て受け取った、と。

 年貢が払えなかったら打ち首になるのだ。
 でも、大岡様は、村人の命を優先してくださった。
 牢から出すために、年貢米は未納になった。
 でも誰も打ち首にはならなかった。
 利息を付る事も無く、年貢を受け取ったと書いて下さった。

 証文は村の宝になる。
 大岡忠吉は庶民の見方だという噂は、あっという間に広まった、と思う。
 事件は語る事はできない。お咎めが大岡様にあったら大変だ。
 でも、椿地蔵のある街道筋の手広村のことだ。噂は伝わって行ったのだ。
 後に、主人公を変えて、時代を変えて、物語ができる。
 「大岡越前守は弱き者を助ける。」
 江戸の伝説の始まりである。

      


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  ***亀子***
( 16 Sep. 2012)

     

   
十字形手水鉢(神奈川県藤沢市)

:::::目次:::::

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・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::
:::206.庚申様はすばる星(すばる星1):::
:::207.六所神社のすばる星(すばる星2):::


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