鎌倉、まぼろしの風景。215 

鎌倉、まぼろしの風景。


          
     

イメージの翼に乗って「星月夜の鎌倉」を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


北鎌倉の石仏

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亡備録 私的用語集
大淀三千風の日本行脚文集


+++キリシタンと江戸文化

110.東渓院菊姫
北鎌倉と豊後竹田

111.キリシタンの二十三夜

112.東慶寺の姫

113.徳川直轄地の
キリシタン

114.キリシタン受難像

115.江戸の幽霊
お岩とお菊

116.江戸の狂歌師
酔亀亭天広丸

117.江戸の蕎麦とお菓子

118.禁止された教え

119.葛飾北斎の1834年
旅する江戸人1

120.近松門左衛門の1719年
旅する江戸人2

121.大淀三千風の1686年
旅する江戸人3

122.大淀三千風の鴫立庵
123.柴又帝釈天の1779年
旅する江戸人4

124.飯島崎の六角の井

125.古狸塚

126.六地蔵・芭蕉の辻と
潮墳碑

127.キリシタン洞窟礼拝堂

128.十字架の菜の花

129.黙阿弥の白波五人男

130.大山の木食上人
旅する江戸人5

133.「忠直乱行」を読む
旅する江戸人6

135.駿河大納言忠長の遺業
旅する江戸人7

136.松平忠長の侍達
旅する江戸人8

137.許六と芭蕉

138.忠直とサンチャゴの鐘
豊後竹田と北鎌倉

139.沖の花(大分 瓜生島伝説)

140.鎌倉の庚申塔1・キリスト磔刑図
141.鎌倉の庚申塔2・嘆きの猿
142.鎌倉の庚申塔3・猿の面

143.曾根崎心中の道行き

144.義経千本桜の幻惑

145.建長寺のジョアン

147.椿地蔵と手まり歌

148.鎌倉という名の火祭り

149.玉藻ノ前と殺生石

151.不屈の第六天社(藤沢)
152.第六天の女神(戸塚)
153.玉縄城の第六天(鎌倉)

154.お花畑と後北条氏

155.落柿舎と鎌倉地蔵

157.平塚の4手の庚申塔

162.十文字鳥居と手水鉢
(藤沢市江ノ島)

163.八橋検校の秘曲と「千鳥」

164.半僧坊と明治憲法

165.夜空にかかる十字架
(明月院の谷)

169.馬頭観音の天衣(1)
170.マリアの石碑(2)
171.マリアの影を石に刻む(3)

172.六地蔵、葎塚(むぐらづか)と芭蕉(山梨県)

173.化粧するお地蔵様

180.大淀三千風のすみれと芭蕉

181.謡坂と善智鳥
(うとうざかとウトウ)

182.善知鳥と江戸大殉教

183.芭蕉の見た闇
(名古屋市・星崎)

186.キリシタンの古今伝授

187.鎌倉仏教とマニ教

188.謎の桜紋

189.西行と九尾の狐

190.○と□ (丸と四角、マリアとイエス)

191.踊場の猫供養塔(横浜市泉区)

193.貞宗院様の遺言(貞宗寺:鎌倉市植木)

194.崇高院様の山門(成福寺:鎌倉市小袋谷)

195.鎌倉光明寺54世松誉上人(書かれた文字1)

196.涌井藤四郎の新潟湊騒動(書かれた文字2)

197.鎌倉大仏縁起・(書かれた文字3)

199.扁額にある記号(書かれた文字4)

200.こゆるぎの松
(1鎌倉の小動)

201.城山公園の石碑
(2大磯の小動)

202.小ゆるぎの里
(3寒川の小動)

203.謡曲「隅田川」と田代城主

204.イボとり地蔵の小石

205.港町の杯状穴

206.庚申様はすばる星(すばる星1)

207.六所神社のすばる星(すばる星2)

208.キリシタンと庚申様(すばる星3)

209.鎌倉キリシタンの伝承 1

210.東渓院の領地

211.大坂城の遺児
鎌倉キリシタンの伝承 2

212.手広村の大岡様
鎌倉キリシタンの伝承 3

213.田代寺安養院
鎌倉キリシタンの伝承 4

214.水戸光圀の鎌倉案内
鎌倉キリシタンの伝承 5


江戸文化に
キリシタンの影響を見る。

見ず 聞かず
言はざる までは
つなげども
思はざる こそ
つながれもせず

(心に思う事を
罰する事はできない)

諸国里人談 巻三一「三猿堂」
菊岡沾凉(米山)著1743年刊



写真集
私説:キリシタン遺物と
その影響下に作られたと思われる
石碑と石仏


亀の蔵

「鎌倉、まぼろしの風景」
の要約。

書かなかったことや
後から書き足す事ども。


知る者は言わず
言う者は知らず《老子》

資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子

Twitter:@ninayzorro

ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)
*** ***

   

216.扇湖山荘と星

鎌倉山に扇湖山荘という邸宅がある。昭和の一時期に鎌倉園という料亭になって、海外からの賓客ももてなした贅沢な場所だった。
一昨年鎌倉市に寄贈され、今回市民に公開された。

元々は長尾欽弥の別荘として昭和九年に建設されたもので、あの保健薬「わかもと」の創設者である。
戦前に突然富豪になった人の豪華な家と茶室、庭園を巡って、素敵だなあと思う。
なかなか出来ない体験である。
でも、別の見方もある。
謎の多い鎌倉の場合、その場所が「かつて何であったか」を想像する、という楽しみだ。


鎌倉市には畑地が何箇所かある。分譲地になった山の山頂に、突然一区画、畑があったりする。
航空写真でみれば、山のあちこちに、畑がある。山の中にある畑。わざわざそこまで行って、農作業をするのだ。
これは不思議なことだ。
下を通る街道からは見えない畑地は、営々と耕し続けられた場所だ。手を入れなければ、あっという間に森になってしまうだろう。
21世紀まで耕し続けられたそれらの畑は、そこに何かの遺跡があったから、畑にして守られてきた場所だと思う。
放っておくと森に戻ってしまい、場所がわからなくなる。だから何かがあったその平坦な場所を、残すために耕していると思うのだ。
そこには初めから道が通っていて、見晴らしが良く、富士山が見える絶景のポイントだったり、相模湾と東京湾が両方見えたりする。
わざわざそこまで行ってでも、農作業をしたくなる素晴らしい景色の場所だ。
そんな観光コースに載らない個人の所有地の絶景ポイントは、中世の狼煙を上げる場所であったり、山城であったりするのだろう。
あるいはこういう所から土器や石器が出てくるのかもしれない。

そんな鎌倉に、富豪が土地を探しにくる。広い場所を一括で買いあげようとやって来る。
畑地が作物を産み出すように、別荘は雇用を産み出してくれる。
庭師や賄い婦は土地の者でなければ務まらないだろう。近隣の魚屋、菓子屋、雑貨屋は潤うだろう。
だから豪華な別荘のために、飛び切りのめでたい場所を提供するだろう、と思う。

例えば玉縄城は、分譲地の開発で破壊されてしまったけれど、清泉女学院になることで、その中心部は守られた、とも言えるのだ。
城は学校になって、今もある。
あそこだと言うことができる。
地図に残る場所になるのだ。
扇湖山荘も美しいめでたい場所であった。119.4mの山頂を持っている。
その西側の景色を除けば、ぐるりと素晴らしい展望が開けていた。
葉山の二子山が見えた。久里浜の発電所の煙突が見えた。今泉の焼却炉の煙突があんまり近くて驚いてしまった。
そして山荘の名前にもなった様に、由比ヶ浜が三浦半島に囲まれて、扇形の湖のように見えている。
建物は143度の南東の向きを正面に建設された。これは彦星を眺める向きだ。
北東から昇ってきた彦星が屋敷の正面に上がった時、織姫星が天頂に上がっている。
その時、井戸や池、甕の中の水に、あらゆる水面に、縄文時代の北極星である織姫星が映っているだろう。明るい星で、天頂近くにまで昇る星は少ないのだ。

扇湖山荘はこの事を理解して、星を見る家として建てられたのだろうか。そうだろうか。
この場所に立てば、誰もが由比ヶ浜の波のきらめきに見入るだろう。
この場所を知る人は、扇のような湖が見えると語るだろう。それは海なのだけれど。
海を盆栽のように扇型に切り取った景観だ。扇湖山荘。
鎌倉市極楽寺の月影地蔵さんのあたりの谷戸と三浦半島が、この扇形を作り出している。
地形が作り出した扇型は、数百年たっても変わることはないだろう。
極楽寺の谷戸に高層マンションが建たない限り。

扇形の海を見るために家を立てれば、自然と家は南東を向く。
彦星を正面に迎える家になる。
伝承の力である。
「扇のような海が見える。」その一言で、
皆が彦星の上がる向きに目を向けるのだ。

扇形の海はどの方角に見えるのか。
それを測るのがこの見学会に参加した目的の一つだった。
一万分の一地形図を拡大してみれば、屋敷が南東を向いているのはわかる。
でも扇湖がどう見えるのかは、行って見なければわからない。

一階のテラスから扇形の由比ヶ浜を眺めて、その方向にiPhoneの方位磁針を向けて見た。
方角は153度を指したのだ。
トリハダが立った。
星空は千年たつと少し様子が変わる。
少しづつ地軸がずれて、北極星が天の北極からずれてくるのだ。
紀元前2000年頃は、りゅう座のトゥバンが北極星をやっていた。
紀元前12000年頃は、こと座のベガ、織姫星が北極星だった。
今はこぐま座のポラリスが北極星だ。
江戸時代あたりから、動かない北の星の伝承がある。
その間の期間は、大きな明るい星が天の北極には無かった時代である。
安倍晴明の時代も万葉集の時代も、ポラリスは北極星ではなかったのだ。

紙でできた簡易な星座早見盤を書店で買ってきて、分解してみた。
星図の回転の中心をポラリスから紀元1年の位置に変更してみた。
星図は端っこに行くほど大きくゆがんでいる。
だから中心点が変わったら正しい図にはならないのだけれど。
それでも2000年前の星空が何となくわかる。
織姫星は相変わらず天頂近くまで昇ってくる。
その時彦星は、今より南に近づいていた。

織姫星が天頂に上がったことを知る彦星の方位143度。
彦星が現在の143度ではなくて、南(180度)に近い153度だった時代が、過去にはあった。
153度がいつの時代の値なのかはわからない。私は天文の計算ができない。
鎌倉市に過去の星空を再現できるプラネタリウムができればいいなあと、思っている。
過去の時代がいつかは分からないけれど、153度に向いて走る直線道は各地にある。
新潟県、神奈川県、静岡県、兵庫県、鹿児島県。どの道も153度で、共通の特徴がある。
古い古い道だと思われる伝承に満ちている直線道である。
ここ扇湖山荘も古代から星を見る場所だったのだろうか。
そして気づくのだ。
山荘本館を扇湖の向きではなく、現在の143度の向きに建設した理由を。
星祭りの本当の意味を知っていた人たちが、建築家に語った、のだろう。
織姫星を天頂に迎える祭り、七夕の祭りのことを。

かつて鎌倉に別荘を求めた富豪たちは、鎌倉の自然を開発で壊したかもしれない。
しかし、鎌倉に住む人たちは、したたかに、開発をも利用して、鎌倉に伝わる何かを残したのだと思う。
扇湖山荘は、鎌倉山の山頂を持つ絶景の地である。
そこを富豪に託して、別荘を後世に残る作品に仕上げたのだ。
そこに何があったかは分からないけれど、大切に守ってきた人たちは、山荘にすることでそこを保護したのだろう。
21世紀になって、2万平方メートル以上の山荘は鎌倉市に託された。
沢山の示唆に富む、鎌倉山山頂、という遺跡である。

参照:215.権五郎神社と彦星


 リーフレット「星月夜の鎌倉と塔の辻」地湧社 が出版されました。鎌倉市内の書店、ギャラリーやカフェでご覧ください。
ブックスモブロ(大町)*ミルクホール( 小町)*北鎌倉ギャラリーNEST(台)*ミドルス(長谷)*てぬぐいカフェ 一花屋(坂の下)*ソンベカフェ(御成)*北鎌倉ベルタイム(山ノ内)*紅茶専門店ミミロータス(御成)*亀時間(材木座)*ギャラリー伊砂(小町)*MOWAもわ(由比ケ浜)*コーヒーと音楽 笛(山ノ内)*邦栄堂書店(雪ノ下)*島森書店(小町)*松林堂書店(小町)*たらば書房(御成)
北鎌倉todoit(つどい)

      


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  ***亀子***
( 19 Nov. 2012)

     

   
十字形手水鉢(神奈川県藤沢市)

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・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::
:::206.庚申様はすばる星(すばる星1):::
:::207.六所神社のすばる星(すばる星2):::
215.権五郎神社と彦星
216.扇湖山荘と星


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