鎌倉、まぼろしの風景。251

　遠江掛川城主久松松平定勝の娘、萬*1でございます。徳川家康公と我が父は、於だいの方様を母君として兄弟にございます。静岡県の掛川で生まれ育った私は豊後竹田の岡城主２代目の中川久盛様に嫁ぎました。その殿も亡くなって今は尼となり光顕院と申します。
　21世紀にお暮らしの皆様に江戸時代の鎌倉をご案内いたします。なので私はすでに亡者でございましょう。今の私の姿は61才くらいに見えるでしょうか。息子の中川久清殿と一緒に鎌倉を見物した、ちょうどその頃の姿でございます。

山崎にまつわる家康公の姫君たち　

　前回の続きでございます。
　相模国鎌倉の内、山崎村に住まわれた崇法院*2様が、ご嫡男の浅野光広*3様を亡くされたのは寛永10年(1633)のことでございます。崇法院琴姫様は31才になられるところでした。
　その山崎からわずかに1.5km先に東慶寺がございます。戦火の大坂城から千姫様と脱出して、天秀尼となられた豊臣秀頼様のご息女がこの寺で命を繋いでおりました。あれから18年、天秀尼様は24才になられます。
　崇法院様のお母様は徳川2代将軍秀忠様とご兄弟。天秀尼様も秀忠様のご息女である千姫様の養女。どちらも德川家ゆかりの姫君です。お近くに住まわれて心強いこともあったでしょう。
　ところが、そうは思わない方々もいらっしゃいました。

　崇法院様は加藤家の奥方。豊臣家に親しかったという理由で改易されたと噂された加藤家の奥方が、豊臣秀頼様のご息女と山を隔ててお住まいになっていらっしゃる。もちろん沢山のお供をつれての蟄居でございます。ご家来衆の行き来も当然ございましょう。徳川家康公の攻撃で大坂城が陥ち、豊臣家が滅亡したおかげで禄を失った人々の恨みは、18年経って消えたでしょうか。加藤家の改易のために失業した多くの武家のうちのわずか数十名は、崇法院様に付き従うことができたでしょう。彼等のその思いを徳川将軍家は見逃しませんでした。

　徳川家康公の側室の英勝院様が３代将軍家光様から鎌倉の扇ヶ谷の地を賜って、寛永10年に英勝寺を開きます。開山は水戸の徳川頼房様のお嬢様。小良(さら)姫。当時8才の清因尼様でした。伽藍が完成しますのは翌年、清因尼様が実際に英勝寺にお入りになったのは、更に８年後の寛永19年であったそうですから、寺院の形を整えるよりもまず寛永10年に、早々と英勝院様がこの地にいらっしゃる事が大切であったのでしょう。前年に加藤家の奥方が山崎にお住まいになられたからです。豊臣秀頼様と大坂城の夢を紡ぐ人々が北鎌倉の狭い地域に集まっているのですから。この扇ヶ谷に、聡明で名高い英勝院様が住まわれたことに、大きな意味があったのでしょう。

　英勝院様は愛娘の市姫様を４才で亡くされました。徳川家康様の最後のお子様でした。その悲しみを癒すためなのか、英勝院様は鶴千代様の養母になられました。後の徳川頼房様、水戸徳川家初代でございます。池田輝政様と督姫様の娘子の振姫様*4もご養女になさいました。結城秀康様の虎松様も養子になさっています。つまり徳川家康公のお孫様という地位から英勝院様の養子という地位に引き上げられたのでした。英勝院様のご権勢の大きさがわかろうと言うものです。
　英勝寺ができる頃に水戸の徳川頼房様は3０才になられています。３代将軍家光様からの信頼も厚く、副将軍とまで喧伝されました。膨大な寺領を贈りましたので、英勝寺は水戸御殿と呼ばれます。水戸徳川家の姫君が代々の英勝寺住持になられています。徳川頼房様のお子が水戸黄門として後世に有名な水戸光圀様。英勝寺の開山の清因尼様とは同い年生まれのご兄弟でございます。

　さて、お話を崇法院様の山崎に戻します。崇法院琴姫様はなぜ鎌倉の山崎村に住まわれたのでしょうか。山崎の地について、もう少しお話し致しましょう。
　山崎の北には柏尾川を隔てて貞宗寺*5がございます。徳川家康公が駿河にいらした頃の、最も愛されたというお愛の方、西郷の御局様の菩提寺でございます。2代将軍秀忠様と清洲城の徳川忠吉様*6のお母様です。そして山崎と貞宗寺までの間に広がる川原は、鎌倉幕府が滅亡した時の激戦地、洲崎古戦場跡でございます。そこはたくさんの水鳥が住む葦原で、家康公のお狩場になりました。家康公が立ち寄った寺は岩瀬の大長寺や植木の久成寺が有名です。豊臣秀吉公と家康公によって滅ぼされた北条氏の玉縄城のお膝元ですが、家康公が足繁く通ったお狩り場でもございました。
　徳川家ゆかりの柏尾川周辺、山崎について、また別のお話がございます。
　戦国の武将、池田輝政様の奥方のお話から始めましょう。

　石田三成殿が徳川家康公に反旗を翻した関ヶ原の戦いの頃の事でございます。武将の奥方は人質として大坂城に入るよう三成殿からの知らせがございました。1600年のことでした。細川ガラシャとして後世に名高い細川忠興様の奥方が、人質になることを拒んで亡くなられました。この事は遠くローマやパリの宮廷にまで届いて、あちらの歌舞伎演目になったそうです。
　池田輝政様の奥方の督姫様も、その命令に従いませんでした。
　輝政様は遠征中でご不在です。督姫様は輝政様の妹の天球院様に援助を求めました。そこで天球院様の夫君、山崎家盛様が督姫様を匿ったのです。山崎家盛様は石田三成殿の西軍にいらしたのですが、「姫はご病気で大坂城に移る事ができない」と釈明なされました。
　督姫様を護り通した為に、関ヶ原の戦いの後に家康公から信頼されて、因幡若桜に3万石を賜わったそうです。池田輝政公の奥方の督姫様は徳川家康公の次女でございます。

　そして山崎家盛様の姉姫様は加藤清正公の奥方でございました。虎熊*7というご嫡男と共に、ほとんど語られていない奥方でございます。
　虎熊様は清正公の軍勢を率いて戦えるだけの力量がお有りになった。なのに突然亡くなられて、清正公はご養子を迎えました。それが奥方の弟君であったのは、虎熊様を亡くされて悲しみに暮れた奥方へのご配慮であったのでしょう。
　この加藤清正公の奥方の消息はわかっておりません。若くして亡くなった虎熊様の菩提を弔って、終生尼として隠棲なさったと思われます。その尼寺がどこにあったのかも、分かっておりません。

　さて、山崎という名から分かるように、山崎家盛様は相州鎌倉の山崎村が父祖の地になります。
　鎌倉幕府の源頼朝公に仕えた佐々木家の中に、山崎六郎憲家*8がいました。「相模国山崎」に領地を得ます。
　この「相模国山崎」は神奈川県足柄下郡箱根町湯本の山崎であるとも言われています。箱根湯本の東にある字山崎は、古戦場であり温泉に近い場所でございますが。奇遇にも鎌倉の山崎にも「頼朝の隠し湯」があり、熱海という字名がございます。古戦場でもあって川の側で、どちらの山崎も語れば語るほど特徴が似ていて紛らわしくなってしまいます。「相州山崎」とは何処なのでしょう。まことに「山崎」とは、隠れ里に相応しい影武者を備えた場所なのですね。

　加藤清正公のご嫡男に嫁がれた崇法院琴姫様。加藤家改易の後は、相州鎌倉の内の山崎村に住まわれました。おば様の督姫様が山崎家盛様に救われたように、山崎の縁を求めて、この地にあった古い尼寺を改装して、住まわれたのかもしれません。
　その尼寺とは加藤清正公の正室であった山崎家の姫が、若くして亡くなった息子の虎熊殿を弔い隠棲した場所であったかもしれない、とご想像くださいませ。
　それが、、、。家光様暗殺のすべての咎を背負ってわずか14才で亡くなられたご嫡男、加藤光正様を弔った、崇法院様の尼寺でございました。

　水戸の徳川光圀公は、ご幼少の頃、英勝院様に手を引かれて、初めて徳川家康公にお目見えされました。
　おばあ様に当たる英勝院様の没後３１年目、延宝元年(1673)に、光圀公は鎌倉を訪問されました。鎌倉の各地の伝承や地理を調べて、「甲寅紀行」(1674年)と「鎌倉日記」(同年)が上梓されました。
　その後の貞享2年(1685年)に「新編鎌倉志」が編纂されます。以後続々と鎌倉の紀行文や観光案内が現れて、鎌倉見物は江戸に住まいする者達の楽しみになりました。
　観光絵図もたくさん売られましたが、そのすべてに山崎は描かれておりません。雲が棚引いていたり、江ノ島や大仏の絵が、山崎の場所を隠すように描かれています。
　徳川の姫君達の山崎は隠里として語られなかったのです。今私が語ったことも、そのほんの一部でございます。
　なぜなら。肥後熊本城主加藤忠広様の改易の折、その実務のすべてを取り仕切ったのは、我が殿の豊後竹田岡城主中川久盛でありました。
　お城の受け渡しから蟄居先の手配まで、帰農される方々、新たな主君を探される方々、手を尽くし心を尽くして、殿は熊本城明け渡しを遂行なさったのでございます。
　その中に崇法院琴姫様ご一行の手配もありましたでしょうか。さて。
　亡者となった私は、少し語りすぎたようでございます。今日はここまでで。

*1　光顕院松平萬　1602年(慶長７)ー1689年(元禄２)　「伊香保記」1639年(寛永16年)の著者。1663年(寛文３)61才の時に鎌倉見物。
*2　崇法院(相高院)蒲生琴　1602年(慶長７)ー1651年(慶安４)　２代将軍徳川秀忠の養女じつは蒲生秀行の娘。肥後熊本城主加藤忠広室、浅野光晟の異父姉。依姫とも言う。加藤家断絶後鎌倉在住。相高院とは別人だという説もある。
参照：「加藤清正「妻子」の研究」水野勝之　福田正秀　2007年　ブイツーソリューション刊
「続　加藤清正「妻子」の研究」水野勝之　福田正秀　2012年　ブイツーソリューション刊
*3　浅野光広(光正)　1614年(慶長19）ー1633年(寛永10）３代将軍徳川家光を亡き者にする計画の偽書を作ったとして改易になり飛騨高山に蟄居。翌年19才で病死。
　この生年が正しいなら崇法院は12才で出産したことになる。生年を1618年とする説もあるそうだ。この場合は享年15。崇法院の16才の時の子供になる。
　家光暗殺の偽書を作ったという噂のある少年が、事件当時18才だったのか14才だったのか。そこで事件の印象がかなり異なってくる。幕府としては加藤家お取潰しを謀っていたので、責任能力のある18才にしたいところだと思う。
*5　振姫　崇法院琴姫の母とは別人。
*6　貞宗寺　
参照： 鎌倉、まぼろしの風景193.貞宗院様の遺言(貞宗寺:鎌倉市植木)
*7　徳川忠吉　
参照：鎌倉、まぼろしの風景183.芭蕉の見た闇
(名古屋市・星崎)
*8　虎熊　参照：「加藤清正「妻子」の研究」水野勝之　福田正秀　2007年　ブイツーソリューション刊
「続　加藤清正「妻子」の研究」水野勝之　福田正秀　2012年　ブイツーソリューション刊
*9　山崎六郎憲家　富士川の戦いに加わった源頼朝の武将。山崎に屋敷があったと伝わる。

アプリ「なぞる距離」にSkitchで作図

出立：JR北鎌倉駅下車、南東へ県道に沿って東慶寺へ。
　　　東慶寺の茶房「吉野」で休憩しながら山歩きの準備をする。
　　　県道へ出て南東へ、浄智寺を拝観する。
　　　浄智寺から南へ、葛原ガ岡ハイキングコースを歩く。
　　　山道なので雨上がりの翌日などは歩くのに不向き。
　　　化粧坂(けわいざか)から扇ガ谷へ下りる。
　　　JR横須賀線を渡って薬王寺を拝観。
　　　JR横須賀線に沿って南下、英勝寺を拝観。
帰着：南に下るとJR鎌倉駅に着く。

　　　JR北鎌倉駅からハイキングコースを通り薬王寺に立ち寄ってJR鎌倉駅まで約４km。ハイキングコースの最高峰は８０m程度。

　　　国土地理院１万分の１地形図「鎌倉」を使用。