鎌倉、まぼろしの風景。254

　兵庫県西宮市の越木岩(こしきいわ)神社は境内に巨大なイワクラがあることで有名だ。甑岩(こしきいわ)と言う。北側にもいくつかの大岩があって、六甲山脈にある巨石群の一部であるそうだ。
　越木岩神社の北側は大学になって、そこにもイワクラがある。大学は神社と約束して、巨石を壊さずに大学内で保存していた。ところが大学は撤退し、建物は壊されて今は更地になった。マンションが建つらしい。そこで残されたイワクラは破壊されてしまうらしいのだ。
　この大岩にどんな信仰があったのかも分からないうちに、岩はなかったことになってしまう。
　惜しいことだと思う。神社では今、署名活動をやっている。イワクラを保存してもらいたい。
　おそらく太古の昔にはたくさんあった岩のうち、この岩だけがイワクラとして残されたのだろう。その意匠を知りたいと思った。
　昨年の夏に私家版で出版した「織姫星と鎌倉」に書いた事例を使って、壊されようとしているイワクラと越木岩神社の関連、その設計を考えてみた。

*** *** *** *** *** *** *** *** *** ***

　地図上の越木岩神社から18度の線を引く。北を0度として、東を90度とすると18度のその先に甲山(かぶとやま)がある。「神の山」コウノヤマ、カンノヤマと呼ばれたであろうこの山は、西宮市南部のいたるところから見えるのだそうだ。廣田神社の神奈備山である。

共有図　１
　ウィキペディアで廣田神社を学ぶ。
　「かつては『向か津峰(むかつみね)』と呼ばれた六甲山全山は、廣田神社の社領であったという。」
　鎌倉にも「武庫山(むこやま)」と呼ばれた山がある。今の源氏山だ。これは全国に見られる「向山(むこうやま)」のことであって、「神の山」の遥拝所であると思われる。山に対面して、ここでお祭りをやる広場があったと想像するのだ。もちろん「神の山」には、人は入ることができない。
　六甲山が「むこうやま」であり、甲山が「神の山」であったのだ。
　西宮市の名前になっている「京都の西に鎮座する宮」とは廣田神社のことであって、えべっさんで有名な西宮神社はここの摂社なのだそうだ。
　この廣田神社のご祭神が天照大神の荒御魂。瀬織津姫(せおりつひめ)。向津姫(むかつひめ)であって、向津姫から六甲という名ができた、ともいう。海や河の神の瀬織津姫は弁財天と習合されて、甲山の麓の神呪寺(かんのうじ)で祭られる。828年に淳和天皇妃の真名井御前(まないごぜん)は弘法大師空海の指導の元に如意尼になって神呪寺を創建した。

　その甲山の上に北斗七星が立つ。その星景色を見る。北から18度東に傾く線の先に北斗七星は直立し、そこに甲山の山頂があった。線上にある場所からでないと、この風景を見ることはできない。ピッタリ線上にある場所。それを見る場所が、越木岩神社の本殿である。

　この星景色の例は日本中に見られる。

１）山形県鶴岡市の黒川地区には国指定重要無形民俗文化財の黒川能が伝わっている。夜通し行われるお神楽である。ここから18度の先に鳥海山が聳える。その上に北斗が立つ。

２）1192年、源頼朝は征夷大将軍になり最高権力を得た。翌年５月に富士の巻狩(まきがり)を行った。古式に則った巻狩は静岡県富士市で行われた。ここから18度の先に富士山があり、その上に北斗七星が直立する。

３）その７年前の1185年、源頼朝は守護と地頭の任命権という強権力を得た。文治の勅令である。最近はこの年をもって鎌倉幕府の成立とする。「イイクニ作ろう」ではなく「イイハコ作ろう鎌倉幕府」なのだ。この翌年に頼朝は熊本県阿蘇市にある阿蘇神社に使者を遣わしている。阿蘇大宮司家に伝わる古式の巻狩を伝授してもらうために。梶原景季と新田忠常がこれを学んだ。彼等は久住連山の麓で狩を試行した。それが大分県竹田市にある猪鹿狼寺(いからじ)周辺である。寺にはその伝承が残っている。
参照：戦国戸次氏年表　「巻狩」
　現在の猪鹿狼寺は当時の寺の位置ではないそうだが、今でも寺の山門の前から18度の方向に遥かに由布岳の三角形が見える。グーグルのストリートビューで見ることができる。その上に北斗が立っていた。

４）熊本県阿蘇市の国造神社は阿蘇神社の本宮元宮であるそうだ。阿蘇一之宮である阿蘇神社の北に黒川が流れていて、その岸辺から18度を眺めると国造神社の燈明が見えたはずだ。今も神社に向かう古道が18度の方向に直線道として残っている。国造神社を道の先に正面に眺めると、その上に北斗七星が立っているのを見ることができた。

　このように、日本の各地で北北東18度の向きに、北斗七星が柄を下にして立つ星景色を見ていたのだ。その下に目印として、トンガリ山が来るようにする。そんな場所は大切な公用地、神社になっていったと想像する。

　北斗七星が立つ、その時の星空を見回してみよう。
　北北東に北斗が立ったその瞬間に、南東におおいぬ座のシリウスが来ている。その真上に、オリオン座のベテルギウスが輝いていた。上下に揃う赤いベテルギウスと蒼白いシリウス。美しいだろうなあ。
　二つの巨星が揃う時は特別の星景色になっただろうと思う。
　「儺の国の星」と「儺の国の星拾遺」を書いた真鍋大覚先生に学んで、ベテルギウスを神直毘星(かみなびぼし)と呼ぶ。シリウスを夜渡の星(よどのほし)と呼ぼう。

　日本の各地で、上下に揃った神直毘星と夜渡星を眺めてみよう。

１）山形県鶴岡市の黒川から見れば、北斗が鳥海山に立つ時、135度の向きに夜渡星があった。その下に月山の山頂がある。月山の上に赤い神直毘星と蒼い夜渡星が縦に揃う。見事な景観である。
　この二つの山は黒川能の「大地踏み」に謡われる。「北に鳥海まんまんとして東に月山高くさん」と。星が出ているとは謡われていないが、二つの山を見据えている祭りの真髄がこの歌にあると思う。

２）源頼朝が行った富士の巻狩では、137度の向きに伊豆半島の最高峰、天城山(あまぎさん)がある。富士山に北斗が立った時に、夜渡星が天城山の上にあった。それを見た場所は頼朝の巻狩の野営地である。そこに居た工藤祐経(くどうすけつね)は曽我兄弟に殺された。有名な曽我の仇討ちだ。即座に曽我十郎祐成(すけなり)は切られ、後に処刑された弟の曽我の五朗時致(ときむね)と共に曽我寺に葬られている。この頼朝の野営地（曽我寺周辺）から見た星景色が、古式と呼ばれる巻狩の星景色なのだと思う。

３）大分県竹田市の猪鹿狼寺では、140度の向きに傾山の山頂がある。

４）熊本県阿蘇市の黒川の岸辺から見れば、東を向くと黒川が140度の先に延びて、川の先に夜渡星が巡ってくる。国造神社に北斗が立った時に、黒川の流れの先に夜渡星があるのだ。

　では、兵庫県西宮市の越木岩神社から見る星景色はどうなるだろうか。
　甲山に北斗七星が立つ時、南東135度の向きに奈良県御所市の葛城山がある。
　そして140度の向きに金剛山がある。淀川の河口を超えたはるかな展望である。

　南東135度に夜渡星が渡って来て、葛城山の上に立つ。それから140度の方に星が動いて見えて、金剛山の上に至る。その間は時間にして20分ほどである。直立した北斗七星は、ほとんど動かないように見えるだろう。

　金剛山の最高地点は葛木神社の神域で立ち入ることができないそうだ。葛城山も金剛山も、役行者(えんのぎょうじゃ)が修行した山として有名だ。金剛山の東側に高天彦神社があり、高皇産霊神(たかみむすひのかみ)を祀る。葛城氏の祖神だそうだ。元々は高天彦を祀るという。その山を高天山といい、金剛山と名を変えたのは、この地で金剛砂(こんごうしゃ:ざくろ石)を産出するからだそうだ。金剛砂は赤い砂だ。硬い砂粒が研磨剤になり、銅鏡を磨くのに使われたという。水を加えて真っ赤な研磨剤が鏡面にのると、血を吸った鏡が命を得て輝き出したかのように生まれ変わるのだという。
　ちなみに「かがみ」の「かが」とは、星神であった「悪神」の天香香背男(あまのかがせお)の「かが」であって。天球儀に描かれた星図を鏡に写して反転させ、実際の星空と同じ星座にする為につかう「星見(かがみ)」の道具である。

結論：
　越木岩神社から見る葛城山の上に、赤い星と青い星が並んで立っている。甲山から引く北斗七星の線と葛城山から引くシリウスの線が越木岩神社本殿で重なっている。ここでなければならなかった神社の神域である。
　甲山の線の上に、今壊されようとしている越木岩神社の北のイワクラがある。
　葛城山の線の上に越木岩神社社務所の灯明が見える。それぞれ18度と135度の向きを示している。繰り返し地面に刻まれた星の向きが、この神社にはあるのだ。だからこの北のイワクラも「古式の岩」と呼ばれたのかもしれない。西宮の越木岩神社にも阿蘇に伝わったと同じ「古式の巻狩」の伝統があったのかもしれない。

　共有の図３

*** *** *** *** *** *** *** *** *** ***

追記：
　おおいぬ座のシリウス(夜渡星)とオリオン座のベテルギウス(神直毘星)について、もう少し語りたい。
　紀元２世紀ごろにプトレマイオス(英語でトレミー)が「トレミーの４８星座」を決めた。その中におおいぬ座とオリオン座も入っている。とても古い星座なのだ。中国語に訳されたトレミーの天文学は「とりいっし経」として865年に日本に運ばれ、星占いが広まっていった。
　オリオンは狩人である。隣におおいぬ座とこいぬ座があって、二匹の犬を引き連れているように見える。
　空海は山中で二匹の犬を連れた狩人に出会った。その人は狩場明神であったという。
　では、狩場明神とは星、ベテルギウスであった、かもしれない。シリウスを従えたオリオン座の美しさに、感動した出来事だったのかもしれない。
　同じように。
　役行者は修験道の始祖と呼ばれる。修験の本尊は蔵王権現(ざおうごんげん)である。インドに起源を持たない日本の仏で、役行者が修行の中で見た姿だ。奈良県吉野町の金峰山寺本堂にある三体の蔵王権現が有名なのだそうだ。右手を上げ右足を高く上げた姿はオリオン座に似ていないだろうか。右手をあげて左足をあげているオリオン座に。日本人はナンバ歩きをするから、右手が上がったら右足が上がるんだなあ、と。
　蔵王権現も星神、オリオン座のベテルギウスであった、かもしれない。
　さらに。犬養部という古い一族は、星神を祀ったのではないか。オリオン座のことを狩人の「犬飼」という名で表しているのではないか、と想像した。

　「北斗七星が18度に立った時に、南東に夜渡星がある。」日本中にあるこの風景には、もっと深い謎がある。それを各地の地形を見て、その景色から読み解くには、まだ時間が必要だ。
　岩は壊されて消え、神社は統合されて消え、高層建築で山を望む風景は再現できなくなる。
　川は暗渠になり橋の名は道路に消える。そんな中で、この国に広くあった星神の伝承を掘り起こしてみたいと思う。　