鎌倉、まぼろしの風景。236 

鎌倉、まぼろしの風景。


          
     

イメージの翼に乗って「星月夜の鎌倉」を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。


北鎌倉の石仏

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亡備録 私的用語集
大淀三千風の日本行脚文集


+++キリシタンと江戸文化

110.東渓院菊姫
北鎌倉と豊後竹田

111.キリシタンの二十三夜

112.東慶寺の姫

113.徳川直轄地の
キリシタン

114.キリシタン受難像

115.江戸の幽霊
お岩とお菊

116.江戸の狂歌師
酔亀亭天広丸

117.江戸の蕎麦とお菓子

118.禁止された教え

119.葛飾北斎の1834年
旅する江戸人1

120.近松門左衛門の1719年
旅する江戸人2

121.大淀三千風の1686年
旅する江戸人3

122.大淀三千風の鴫立庵
123.柴又帝釈天の1779年
旅する江戸人4

124.飯島崎の六角の井

125.古狸塚

126.六地蔵・芭蕉の辻と
潮墳碑

127.キリシタン洞窟礼拝堂

128.十字架の菜の花

129.黙阿弥の白波五人男

130.大山の木食上人
旅する江戸人5

133.「忠直乱行」を読む
旅する江戸人6

135.駿河大納言忠長の遺業
旅する江戸人7

136.松平忠長の侍達
旅する江戸人8

137.許六と芭蕉

138.忠直とサンチャゴの鐘
豊後竹田と北鎌倉

139.沖の花(大分 瓜生島伝説)

140.鎌倉の庚申塔1・キリスト磔刑図
141.鎌倉の庚申塔2・嘆きの猿
142.鎌倉の庚申塔3・猿の面

143.曾根崎心中の道行き

144.義経千本桜の幻惑

145.建長寺のジョアン

147.椿地蔵と手まり歌

148.鎌倉という名の火祭り

149.玉藻ノ前と殺生石

151.不屈の第六天社(藤沢)
152.第六天の女神(戸塚)
153.玉縄城の第六天(鎌倉)

154.お花畑と後北条氏

155.落柿舎と鎌倉地蔵

157.平塚の4手の庚申塔

162.十文字鳥居と手水鉢
(藤沢市江ノ島)

163.八橋検校の秘曲と「千鳥」

164.半僧坊と明治憲法

165.夜空にかかる十字架
(明月院の谷)

169.馬頭観音の天衣(1)
170.マリアの石碑(2)
171.マリアの影を石に刻む(3)

172.六地蔵、葎塚(むぐらづか)と芭蕉(山梨県)

173.化粧するお地蔵様

180.大淀三千風のすみれと芭蕉

181.謡坂と善智鳥
(うとうざかとウトウ)

182.善知鳥と江戸大殉教

183.芭蕉の見た闇
(名古屋市・星崎)

186.キリシタンの古今伝授

187.鎌倉仏教とマニ教

188.謎の桜紋

189.西行と九尾の狐

190.○と□ (丸と四角、マリアとイエス)

191.踊場の猫供養塔(横浜市泉区)

193.貞宗院様の遺言(貞宗寺:鎌倉市植木)

194.崇高院様の山門(成福寺:鎌倉市小袋谷)

195.鎌倉光明寺54世松誉上人(書かれた文字1)

196.涌井藤四郎の新潟湊騒動(書かれた文字2)

197.鎌倉大仏縁起・(書かれた文字3)

199.扁額にある記号(書かれた文字4)

200.こゆるぎの松
(1鎌倉の小動)

201.城山公園の石碑
(2大磯の小動)

202.小ゆるぎの里
(3寒川の小動)

203.謡曲「隅田川」と田代城主

204.イボとり地蔵の小石

205.港町の杯状穴

206.庚申様はすばる星(すばる星1)

207.六所神社のすばる星(すばる星2)

208.キリシタンと庚申様(すばる星3)

209.鎌倉キリシタンの伝承 1

210.東渓院の領地

211.大坂城の遺児
鎌倉キリシタンの伝承 2

212.手広村の大岡様
鎌倉キリシタンの伝承 3

213.田代寺安養院
鎌倉キリシタンの伝承 4

214.水戸光圀の鎌倉案内
鎌倉キリシタンの伝承 5

220.徳蔵山東渓院と梅田川の北斗
鎌倉キリシタンの伝承 6

236.山崎の女領主相高院
鎌倉キリシタンの伝承 7


江戸文化に
キリシタンの影響を見る。

見ず 聞かず
言はざる までは
つなげども
思はざる こそ
つながれもせず

(心に思う事を
罰する事はできない)

諸国里人談 巻三一「三猿堂」
菊岡沾凉(米山)著1743年刊



写真集
私説:キリシタン遺物と
その影響下に作られたと思われる
石碑と石仏


亀の蔵

「鎌倉、まぼろしの風景」
の要約。

書かなかったことや
後から書き足す事ども。


知る者は言わず
言う者は知らず《老子》

資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子

Twitter:@ninayzorro

ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)
*** ***

   

キリシタンと江戸文化

「織姫星と鎌倉」が7月25日2014年に出版されました。

一昨年の「星月夜の鎌倉と塔の辻」の続きです。星に関する事を順序立てて再構成しました。新しい話題もあります。読んでいただけたら幸いです。

鎌倉の銀の鈴社ギャラリーと邦栄堂でご覧下さい。

         


236.山崎の女領主相高院



 鎌倉市山崎には、魅力的な謎がある。

 天神山というトンガリ山についての謎。
 あれこそが万葉集に書かれた「見越しの崎」だと思う。通り越してから振り返ると、素晴らしいトンガリ山が現れている。なぜ「見越しの崎は長谷の山だ」などと言うのだろう?

 宝積寺や深禅寺という廃寺の謎。
 なぜこれらの寺は残ることができなかったのだろう?

 奥平の女と伝わる山崎の領主の謎。
 新編相模国風土記稿には何度も彼女の伝承が載っている。なのに「系図に載ってないので調べられない」などと、突き放す様な書き方をするのだろう。気を引きながら、教えてくれない。

 古代から近代まで、その時代ごとの語られなかった何かがここにある、と思う。
 資料が少ないと言われ続けたこの地域は、徳川幕府によって隠された場所だった、と思う。
 
 山崎の女領主について、2007年に書いた文を読み直した。
 
  鎌倉、まぼろしの風景「46.おとうさまの谷戸(4)」

 山崎に住んでいたという奥平の女について、ずっと考えている。
「194.崇高院様の山門(鎌倉市小袋谷)」
では、徳川家康の長女の亀姫に注目した。
 (亀姫って、あんまり語られていないと思う。)
 ここでは彼女の娘、奥平の千姫が、山崎の女だと結論づけた。
 でも、奥平千姫が鎌倉に住んだという資料は無い。
 
 それが今月になって新たな展開があった。
 友人の夢草さんが教えてくれた。
 ネットにある「赤穂事件関連年譜(2)」に、
 相高院という人が鎌倉の山崎に住んでいて1651年慶安4年に亡くなったと書いてある、と。
 
 相高院とは加藤清正の息子の肥後熊本藩主加藤忠広の妻。
 徳川秀忠の養女。琴姫または依姫。
 蒲生秀行の娘。
 加藤光広の母。
 それは一般には崇法院と呼ばれる人だった。
 相高院。崇法院。そして山崎の謎の崇高院。
 
 崇法院は相高院と呼ばれていた。同じく、
 加藤光広は、加藤光正と呼ばれていた。
 
 吾妻鏡に出てくる源義経を思い出す。
 源頼朝に謀反人と呼ばれて、奥州平泉に逃げ落ちる時、
頼朝側では彼を義顕と呼んでいた。
 頼朝は弟の義経ではなく、謀反人の義顕を殺したのだ。
 
 名前が変わると、それ以前のキャリアが隠れてしまう。
 彼女は身を隠したのか。
 「女領主の隠宅の門」が、今も鎌倉の成福寺にある。
 隠宅だから、隠れ住んだ人か。
 
 しかし相高院は奥平の女ではない。
 蒲生家の娘だ。謎はまだ続いている。
 
 先月、大分県竹田市のキリシタンに詳しい友人が別の情報を教えてくれた。
 豊後岡藩の2代目、中川久盛の妻が鎌倉に来ている、
 という。
 彼女、まん姫の父は松平定勝。徳川家康の異父弟だ。
 母はたつ姫。奥平の娘。家康の養女になって結婚する。
 婚姻は家康の采配によるという。
 
 たつ姫の姉のおふうは1573年天正元年に処刑された。
 夫の奥平信昌が徳川家康に寝返ったので、
人質だった17才のおふうは殺される。
 それを家康は気の毒に思って、おふうの妹のたつを、
自分の異父弟と結婚させた。
 
 裏切った奥平信昌は家康の長女の亀姫と結婚する。
 彼の名誉回復のために、たつの結婚が必要だったのだろうか。
 たつ(二の丸殿、松源院)が、家康から山崎をもらって結婚した、と想像した。
 
 76才まで生きたたつ姫が、晩年を山崎で暮らしたとしたら、
娘まん姫が、母たつ姫に会いにくるのはすごく自然だ。
 彼女が山崎の女だろうか。
 それから34年後に、山崎の隣の台に、
豊後岡藩3代目の中川久清が東渓院を建立する。
 そのきっかけは、妻の母、奥平たつ姫にあったのだろうか。
 
 謎の山崎の女に、じわじわ、近づいている。
 あるいは、山崎の女は、二人、であったかもしれない。

 相高院は崇法院という名で、岐阜県高山市で研究されていた。
 加藤光正顕彰会がここにあって、その母として記録されている。
 加藤光正は偽の謀反の連名書を作った罪で、1632年寛永9年、飛騨高山藩に配流になった。翌年に病死19才。自刃とも言われる。
 父の加藤忠広は改易。出羽庄内藩(山形県鶴岡市)に蟄居した。
 加藤光正の罪については悪ふざけとされていて、いくつかの異なる話が伝わっている。
 母の相高院が息子の光正に謀反の偽書を書かせて、側室を愛した加藤忠広に復讐したのだという噂もあるそうだ。
 しかし重要と思われるのは、父の忠広が、かつての豊臣と、謀反ありとされた徳川忠長に極めて親しかったと言われている事だ。
 
 鎌倉の山崎に隠棲した相高院は、息子の飛騨高山にも夫の出羽庄内にも行かなかった。改易から19年後、1651年に亡くなるまで山崎で暮らした。
 
 その同じ時期に、すでに夫を亡くして久しい奥平たつ姫が、山崎に居たとしたら?
 相高院30才、松源院たつ姫62才。
 加藤光正と同年に亡くなった徳川忠長の死が、「想古録」に書かれたように、偽装の死であったのなら。そして彼も山崎に居たとしたら、28才。
 鎌倉の山崎は誰にも語ることができない里になる。
 佐助稲荷の北にあると書かれた隠里、INRI、そのものになっていただろうと思う。
 
 200年後に井関隆子が「神代のいましめ」を書いた時、まだ山崎は秘密を守っていたのだ。
参照:47.将軍のいましめ(5)井関隆子
 
 

 リーフレット「星月夜の鎌倉と塔の辻」地湧社  60ページで600円です。メールしていただければ郵送いたします。

      


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  ***亀子***
( 5 Oct. 2014)

     

   
十字形手水鉢(神奈川県藤沢市)

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・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::
:::206.庚申様はすばる星(すばる星1):::
:::207.六所神社のすばる星(すばる星2):::
215.権五郎神社と彦星
216.扇湖山荘と星
217.その八重垣をギャラクシーという
218.逗子市沼間の地上の北斗
219.星宿橋と梅田川の北斗
220.徳蔵山東渓院と梅田川の北斗
221.東慶寺の景観とすばる星
222.大船の南斗六星と星ガ谷
223.長岡京の彦星線

224.二宮町の出雲八重垣
225.六人の勇士 池子の蛇退治1

226.石楯尾神社の星

227.阿蘇内牧温泉の星
228.阿蘇神社と鶴岡八幡宮
229.カガセオの星
230.摩多羅神の居る鎌倉
231.深沢の星景色
232.鎌倉の熊野神社
233.猪鹿狼寺の秘密
234.泣塔が見ていた星
235.霜月祭のヘンバイと星
......池子王の戦い 池子の蛇退治2


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