鎌倉、まぼろしの風景。225

　　神奈川県逗子市池子に大蛇伝説がある。それは池子の大上（おおかみ）に鎮座する六所の宮、六社大明神の創建に関わる伝説だ。昭和三年に発行された逗子町誌に詳しいので、ここに引用してみる。

○六社大明神
　浦郷庄にて浅間の山下の古池（台池とも言う）に毒蛇住み万人を取り喰う事、二十年あまりなり。このたび退治の事なり。
　天應元年（紀元1441年）五月八日に近郷の郷司の面々六十四人出で退治す。
　その中にも六人、今の世まで申し残す毒蛇のこと有り。
　七つの頭あり。長さ十五丈あまりなり。
　勇士六十四人の内
　　（ここに６人の名前が記載されている）
右の六騎にて毒蛇退治す。
　同年九月八日にその体、七つの頭顕して六人に見て
その日、七つ時に六人皆一同に死ぬ。ゆえにこの六人を六社大明神と崇奉これなり。

　実に見事な伝承だと思う。
　蛇退治の伝承は近隣にもある。比較すると池子の蛇退治の伝承が特異である事がわかる。
　その一つ「沼間の大蛇退治」を比べてみたい。
　池子の南隣が沼間で、沼間山法勝寺に大蛇伝説が伝わっている。「鎌倉のかくれ里　池子・沼間編　2008年」から抜粋してみる。

　昔沼間に大蛇（オロチ）が住み、西の海まで出て行って沖を通る舟を襲い、村人を悩ませていた。そのころ、奈良の大仏建立で有名な行基菩薩が逗子の岩殿寺、延命寺、神武寺を訪問していた。地頭であった長尾左京大夫善応は大蛇退治を頼んだ。行基は十一面観音尊像を彫り、それを小船に乗せて海へ向かった。すると七つの頭をもつ大蛇が火を吐き、小舟めがけて襲ってきた。行基はお経を一心に唱え、大蛇を退治した。長尾善応と村人は大蛇の七つの頭をそれぞれ祀った。それが今も残る七諏訪社である。行基の十一面観音は長尾山善応寺に安置されたが、その後善応寺は廃寺となり「善応」（ぜんのう）の地名が残った。観音像は今、沼間山法勝寺にある。

　長くなるがもう一つ、有名な悪龍退治を参考にしたい。深沢の五頭龍の伝説である。
　鎌倉市には深沢と言う町名が無くなったが、今も深沢行政センターや深沢公民館、モノレールの湘南深沢駅など「深沢」は地名として市民に親しまれている。
　かつて江ノ島の向いの境川河口から深沢まで、大きな入り江があって、そこに五頭龍が住んでいた。腰越の長者は子供をその悪龍に取られ、嘆き悲しんでいたところ、江ノ島の弁財天が現れて悪龍を諭し、龍は腰越の村の守護神になった。鎌倉市腰越にある龍口明神社はこの五頭龍を祭っている。

　３つの毒蛇、悪龍退治の伝説はとても良く似ている。長く村人を苦しめた蛇は、それぞれ海まで出て、浦郷の港（追浜湾）や逗子湾、腰越港の舟を襲う。その蛇を退治してハッピーエンドになる。退治したのは高名な僧侶の行基と十一面観音、あるいは弁財天だ。
　ところが池子の場合は住民64人が退治する。特に６人の勇士は今も神社に祭られているのだ。これは大きな違いだと思う。手の届かない神様や聖人のお話ではなく、住民の物語りなのだ。
　
　池子の蛇退治の伝承が強固に地域に根付いているので、それを快く思わない人達が居た。そんな伝承はあちらにもこちらにもある事だと、そう言いたいが為に、沼間や深沢のお話が有名になった。そんな風に考えてみる。全く根拠の無い想像だ。
　沼間や深沢にも毒蛇や悪龍に喩えられる無法者集団が存在したのだと思う。でもそれを蛇退治伝説に仕立てたのは、池子の伝承の影響を薄める為だと思う。池子の蛇退治伝承が有名になるのは、一部の人達から見ると困った事だった、と想像してみる。なぜなら池子の蛇退治は住民が英雄になっていて、強烈な印象を残すからだ。これはまるで、伝説ではなくてドキュメントだ。

　もう一度冒頭に挙げた池子町誌の引用を読んでみる。
　浦郷庄とあるが、京急本線の追浜駅周辺をかつては浦郷と呼んでいた。今は横須賀市浦郷町という狭い地域に地名が残る。この浦郷にも毒蛇退治の伝説がある。隣の池子に住む毒蛇が浦郷にやって来て退治され、浦郷の小池の畔に六社大明神を祀ったという伝説だそうだ。
　龍学　Dragonologyをネットで展開しているhunterさんに教えていただいた。
　逗子市池子から横須賀市浦郷町まで直線距離で３,５km。池子と浦郷は緊密な交流があったのだろう。山を越えて港まで、日常的に村人は足繁く通っただろうと想像する。
　その地域の人達を、毒蛇は20年間も苦しめ続けた。それで池子や浦郷から64人が蛇退治に立ち上がる。それが西暦781年の５月８日のことだった。その中でも大きな働きをした勇士６人はそれぞれ池子各地の字名を持つ。いわば地域の代表者６人だ。
　退治に成功して安堵したのもつかの間、９月８日になって死んだはずの蛇の体と頭が現れて６人を見据えた。蛇の祟りで午前４時あるいは午後の４時に６人全員が一緒に死んでしまう。それで６人を六社大明神に祀ったという。
　壮健な勇士が６人も同時に死ぬ、そんな事があるとしたら。それは刑死ではないだろうか。

　池子から浦郷に至る広範囲の住民が集まって、20年も苦しんだ元凶の、毒蛇と呼ばれたグループを討った、として。
　４ヶ月後にその報復が来る。この事態は誰の仕業かと糾される。逃げれば村の全部が焼き滅ぼされるだろうと判断して、６人の地域代表が名乗りを上げる。俺たちが６人で蛇を斬った、と申し出る。
　９月８日の午後４時に、６人は村を救う為に殺された。
　だから６人は六社大明神になった。人々は彼らの名を忘れないのだ。その勇気を２１世紀にまで伝えているのだと思う。

　伝承とはこういうものだと思う。これは歴史であると私は思う。荒唐無稽な火を吐く龍を語って、その実の伝えたい事は21世紀の今まで、伝わって来ているのだ。村を救った６人の勇気は、蛇を殺した事ではなく、不条理な死を引き受けた事にあると思う。これは私の想像だけれども。

　池子の蛇退治の伝説はほとんど知られていない。江戸時代に出来た新編相模国風土記稿にも載っていない。深沢の五頭龍は載っているのに池子の蛇退治は載っていないのだ。
　池子の記事がまるっきり載っていないのだから仕方がないのだけれど、浦郷の記載にも六社明神さえ載って無いのだ。知らなかったのだろうか。取材に来た侍に住民が語らなかったのだろうか。そんなはずは無い。

　新編相模国風土記稿を編纂していた江戸時代に、池子は鎌倉英勝寺の領地だった。水戸御殿と言われた徳川家水戸藩の領地であったのだ。そして新編相模国風土記稿を作らせたのは水戸黄門で有名になった徳川光圀だ。自分の領地の池子の物語を、彼が知らないはずは無い。
　あるいは、と考える。水戸藩が池子を領地にしたのは、この伝承を守る為だったかもしれない。伝承を伝える池子の住民達を守る為だったのかも知れない、と。
　それほどの何かがこの蛇退治の伝承にある、のだろうか。
　もちろん、あった。時代を揺るがす何かが、この物語りに語られているのだ。
　「日本の歴史」には出てこない何かが、この中にある。そう思った。

　池子の蛇退治の物語は、次の「池子王の戦い」に続きます。
　

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