鎌倉、まぼろしの風景。248 

鎌倉、まぼろしの風景。


Kamakura,a land of illusions
          
     

イメージの翼に乗って「星月夜の鎌倉」を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。

Kamakura,a land of illusions    sorry,Japanese only

北鎌倉の石仏

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亡備録 私的用語集
大淀三千風の日本行脚文集


+++キリシタンと江戸文化

110.東渓院菊姫
北鎌倉と豊後竹田

111.キリシタンの二十三夜

112.東慶寺の姫

113.徳川直轄地の
キリシタン

114.キリシタン受難像

115.江戸の幽霊
お岩とお菊

116.江戸の狂歌師
酔亀亭天広丸

117.江戸の蕎麦とお菓子

118.禁止された教え

119.葛飾北斎の1834年
旅する江戸人1

120.近松門左衛門の1719年
旅する江戸人2

121.大淀三千風の1686年
旅する江戸人3

122.大淀三千風の鴫立庵
123.柴又帝釈天の1779年
旅する江戸人4

124.飯島崎の六角の井

125.古狸塚

126.六地蔵・芭蕉の辻と
潮墳碑

127.キリシタン洞窟礼拝堂

128.十字架の菜の花

129.黙阿弥の白波五人男

130.大山の木食上人
旅する江戸人5

133.「忠直乱行」を読む
旅する江戸人6

135.駿河大納言忠長の遺業
旅する江戸人7

136.松平忠長の侍達
旅する江戸人8

137.許六と芭蕉

138.忠直とサンチャゴの鐘
豊後竹田と北鎌倉

139.沖の花(大分 瓜生島伝説)

140.鎌倉の庚申塔1・キリスト磔刑図
141.鎌倉の庚申塔2・嘆きの猿
142.鎌倉の庚申塔3・猿の面

143.曾根崎心中の道行き

144.義経千本桜の幻惑

145.建長寺のジョアン

147.椿地蔵と手まり歌

148.鎌倉という名の火祭り

149.玉藻ノ前と殺生石

151.不屈の第六天社(藤沢)
152.第六天の女神(戸塚)
153.玉縄城の第六天(鎌倉)

154.お花畑と後北条氏

155.落柿舎と鎌倉地蔵

157.平塚の4手の庚申塔

162.十文字鳥居と手水鉢
(藤沢市江ノ島)

163.八橋検校の秘曲と「千鳥」

164.半僧坊と明治憲法

165.夜空にかかる十字架
(明月院の谷)

169.馬頭観音の天衣(1)
170.マリアの石碑(2)
171.マリアの影を石に刻む(3)

172.六地蔵、葎塚(むぐらづか)と芭蕉(山梨県)

173.化粧するお地蔵様

180.大淀三千風のすみれと芭蕉

181.謡坂と善智鳥
(うとうざかとウトウ)

182.善知鳥と江戸大殉教

183.芭蕉の見た闇
(名古屋市・星崎)

186.キリシタンの古今伝授

187.鎌倉仏教とマニ教

188.謎の桜紋

189.西行と九尾の狐

190.○と□ (丸と四角、マリアとイエス)

191.踊場の猫供養塔(横浜市泉区)

193.貞宗院様の遺言(貞宗寺:鎌倉市植木)

194.崇高院様の山門(成福寺:鎌倉市小袋谷)

195.鎌倉光明寺54世松誉上人(書かれた文字1)

196.涌井藤四郎の新潟湊騒動(書かれた文字2)

197.鎌倉大仏縁起・(書かれた文字3)

199.扁額にある記号(書かれた文字4)

200.こゆるぎの松
(1鎌倉の小動)

201.城山公園の石碑
(2大磯の小動)

202.小ゆるぎの里
(3寒川の小動)

203.謡曲「隅田川」と田代城主

204.イボとり地蔵の小石

205.港町の杯状穴

206.庚申様はすばる星(すばる星1)

207.六所神社のすばる星(すばる星2)

208.キリシタンと庚申様(すばる星3)

209.鎌倉キリシタンの伝承 1

210.東渓院の領地

211.大坂城の遺児
鎌倉キリシタンの伝承 2

212.手広村の大岡様
鎌倉キリシタンの伝承 3

213.田代寺安養院
鎌倉キリシタンの伝承 4

214.水戸光圀の鎌倉案内
鎌倉キリシタンの伝承 5

220.徳蔵山東渓院と梅田川の北斗
鎌倉キリシタンの伝承 6

236.山崎の女領主相高院
鎌倉キリシタンの伝承 7

238.豊後国岡城主中川久盛室、久松萬姫の「伊香保記」


江戸文化に
キリシタンの影響を見る。

見ず 聞かず
言はざる までは
つなげども
思はざる こそ
つながれもせず

(心に思う事を
罰する事はできない)

諸国里人談 巻三一「三猿堂」
菊岡沾凉(米山)著1743年刊



写真集
私説:キリシタン遺物と
その影響下に作られたと思われる
石碑と石仏


亀の蔵

「鎌倉、まぼろしの風景」
の要約。

書かなかったことや
後から書き足す事ども。


知る者は言わず
言う者は知らず《老子》

資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子

Twitter:@ninayzorro

ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)
*** ***

   

「織姫星と鎌倉」銀の鈴社で通信販売中です。
Kindle版「織姫星と鎌倉」ができました。
「今すぐ無料サンプルを送信」を押すと、冒頭部分が試し読みできます。
リーフレット「星月夜の鎌倉と塔の辻」の続きです。読んでいただけたら幸いです。

銀の鈴社ギャラリーで「織姫星と鎌倉 原画展」を開きました。
2月5日(木)〜10日(火)2015年。たくさんのご来場をありがとうございました。

248.天武天皇とすばる星 藤原宮御井歌4

 日本書紀に「天文・遁甲(とんこう:星占いや呪術)に能(よ)し。」と書かれている天武天皇は、自分で星占いをする人でした。日本に星を観察する為の占星台を初めて作った人です。
天武天皇の歌が万葉集にあります。

 27
 よき人のよしとよく見てよしと言ひし
 吉野よく見よよき人よく見つ
 紀に曰く、八年己卯五月庚辰朔甲申(五日)、吉野宮に幸しきといへり。


この5月5日に天武天皇は吉野離宮に着いたと日本書紀に書かれています。
翌日が有名な「吉野の盟約」の日です。
天武天皇が6人の皇子を前にして、兄弟が喧嘩をせず、(草壁皇子を立てて)仲良くしなさいと言い、皇子達がそれを誓った日でした。

参加したメンバーは、
草壁皇子17才、大津皇子16才、高市皇子25才。忍壁皇子。
あとは天智天皇の皇子の河嶋皇子22才と芝基皇子の6人です。
それに天武天皇と皇后。彼女は後の持統天皇で、草壁皇子の母でありました。
すなわち次期天皇は草壁皇子であると、この状況が語っていたのです。

日本書紀(五)岩波文庫 152ページ の、その情景を要約します。

天武天皇の言葉の後に、草壁皇子がまず進み出て、誓って言いました。
「天の神、地の神と天皇に誓います。私と兄弟、年長と幼い兄弟合せて十人あまりの王がおりますが、それぞれ母が違います。けれども母が同じであろうと違っていようと、ともに天皇の言葉に従って助け合い、逆らいません。もし今後、この誓いの様にならなかったら、命は滅び子孫は絶えるでしょう。忘れじ、失(あやま)たじ。」5人の皇子は次々に、この様に誓い合った。
この後に天皇が言った。
私の皇子達よ、母親の地位は違っても、今は同じ母から生まれた兄弟のように、慈しもう。
そう言って襟の紐を解き、上着を開いて6人の皇子を抱いた。
「もしこの盟(ちかひ)に違(たが)はば、たちまちに朕(わ)が身を亡ぼさむ」とのたまふ。
皇后の盟ひたまふこと、また天皇のごとし。


6人の皇子を胸に抱く天皇の姿はとてもドラマチックで感動的です。
ところで、6つと言ったら六連星、すばる星を思い出します。それは「地上の王」であった星です。
ヤマトの大王がやって来る前は、各地に6人の地域代表が集まって、国を為していたのだろうと想像します。
天武天皇は6人の皇子を吉野に集め、草壁皇子を補佐する様に誓わせます。
6人をまとめて抱きしめる天皇は、もちろん太陽を体現していました。

すばる星に太陽が近づいて、重なったように見えるのは、冬至から133日目に起こる天文現象です。現在のカレンダーでは5月5日の昼間の見えない星空なのでした。
更にこの天武8年(679)5月6日は、五惑星が北東から西にかけて並んでいたのです。そこに月もありました。

おそらく古くから、すばる星と高木星を東に見る祭りがあったのでしょう。拙著「織姫星と鎌倉」で、星図2として語ったことです。織姫星が北西297度に廻って来て、彦星が255度にある時、真東にすばる星と高木星が来ているのです。この時に祭りを始めれば、1時間後には高木星が天頂に上がっています。高木の星とはアンドロメダ銀河のことです。古事記では二番目に登場する、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)です。その祭りを、天武天皇はもっと派手にやったのでしょう。
太陽と五惑星と月が空に並んで、太陽の光がすばる星を覆い隠してしまう、そんな日に皇子達を集めたのです。
そして6人を抱いた。太陽がすばる星に重なるように見える日の、星祭りです。
すばる星の六星ではなく、五惑星と月と太陽で行ったのです。
遠い空に変わらずにある恒星よりも、人々の一生に寄り添うように黄道上を動く、惑星と太陽に価値を見いだしているのでしょうか。

「吉野の盟約」の昼間の空に、すばる星を想像して眺めるのは難しいことです。でも半年前の夜に、同じ場所、吉野で、星空を見ていたのなら、どうでしょう。東の山の谷間の上空に、すばる星が渡って来ます。北東から南西へと黄道が高く上がって、土星と木星が見えています。後に「吉野の盟約」を企画した天武天皇は、秋の夜の星空を記憶していたのでした。5月6日の昼間の見えない星を、あらかじめ夜に吉野離宮で、見ていたのです。
それが671年の吉野入りです。
あまりにも有名な場面を、またここに再現してみます。

病床に臥せった天智天皇が弟の大海人皇子(天武天皇)を枕元に呼びます。
671年の10月17日の事でした。
天皇の位を譲りたいが、受けてくれるかと聞きます。
これが危険な罠だと、側近に忠告されていた大海人皇子は、自分には天皇になる野心は無いと断ります。皇后が天皇になるのが良いと勧め、その皇子の大友皇子に忠誠を誓うと言います。そして天皇の病を治す為に、吉野に行って仏門に入ると告げます。


2日後の10月19日に、後の天武天皇は吉野に居たのです。半年後に起きる、すばる星と太陽が接近する時の昼の星空を、夜空に眺めていたのでした。

この吉野で兵を挙げた大海人皇子(天武天皇)は壬申の乱を戦って、大友皇子に勝利します。
その天武天皇が、草壁皇子の将来を心配して、兄弟が争わぬように、「吉野の盟約」を行ったのでした。
皇子6人を胸に抱いている天武天皇の姿は感動的ですが、それはその時のすばる星と太陽の姿でもあったわけです。まさに「天文と遁甲によし。」であって、呪術的な場面でもあったわけです。

天武天皇が吉野に入る・・・・天智10(671)年10月19日
 (夕方暗くなって、真東にすばる星と高木星がある)
天武天皇の吉野の盟約・・・・天武8(679) 年 5月 6日
 (朝明るい空の東に、見えないすばる星がある)

高市皇子が藤原宮地を観す・・持統4(690) 年10月29日
高市皇子へ御井歌を奏上・・・持統9(695)年推定5月5日

そしてこの時、後の持統天皇もこの盟約に加わっていたのでした。
持統天皇は「吉野の盟約」の呪術的な星空を知っていたでしょう。
後に、同じ星空の下に高市皇子が立ったことを、その意味をすぐに彼女は理解したでしょう。
東の香具山を背に、藤原宮御井歌を柿本人麻呂に歌わせた高市皇子は、天武天皇を継ごうとしたのでしょうか。

天武天皇の死後すぐに大津皇子が謀反の罪で亡くなり、さらに愛息の草壁皇子が亡くなって、持統天皇は即位します。
彼女の藤原宮が建設されます。
高市皇子は(野心を隠して)東の香具山を背に立ち、星を戴いて藤原京御井歌を聞いています。 持統天皇は、隠された野心を知ります。長い間最も近いところで、天皇を補佐して来た高市皇子の姿です。ずっと受け入れる事ができなかった息子の死さえ、高市皇子の謀だと思ったでしょうか。

ここに来て、やはり高市皇子は殺されたのではないか、という思いが強くなります。持統天皇によって粛正されたのではないか、と。

万葉集に載る持統天皇の歌。

春過ぎて夏来たるらし(5月5日の立夏に)
白妙のころも干したり(喪服を干しているよ)
天の香具山(香具山の上に太陽とすばる星が出ているよ)

喪服を干したのは、御井歌の翌年に高市皇子が死ぬ予兆でしょうか。
彼の死を彼女は準備したでしょうか。あるいは。
草壁皇子の葬儀の時に着た白い喪服を、やっと片付けることができる、涙を乾かすことができる。首謀者がわかったよ、お母さんは仕返しをしたよ。と、歌ったのでしょうか。

追記:
高市皇子は天武天皇の第一皇子でした。最年長という意味で、皇位継承の順位は低かったそうです。
高市皇子の息子が、長屋王です。左道(呪詛)を使ったと密告され、糾弾されて、翌日に妻子とともに亡くなった人です。長屋王の罪は冤罪だったと「続日本紀」に書かれています。
長屋王の「左道」と言われた事は、星を祭ることであっただろうと想像しています。
星祭りの系譜は祖父の天武天皇から、しっかりと受け継いでいたのでしょう。
参照1:84.長屋王 天平の大船幻想3

参照2:
244.藤原の宮の御井の歌 東の縦と西の横 藤井原の井戸と御井
246.高市皇子の星空 藤原宮御井歌2 すばる星の下に立つ
247.天文現象の事実と記載された歴史の差 藤原宮御井歌3 5月5日はすばる星と太陽の日
248.天武天皇とすばる星 藤原宮御井歌4 吉野盟約とすばる星

 リーフレット「星月夜の鎌倉と塔の辻」地湧社  60頁 600円。
 私家版「織姫星と鎌倉」銀の鈴社 272頁 2000円。
 メールしていただければ郵送いたします。

      


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  ***亀子***
( 17 Feb. 2015)

     

   
十字形手水鉢(神奈川県藤沢市)

:::::目次:::::

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・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::
:::206.庚申様はすばる星(すばる星1):::
:::207.六所神社のすばる星(すばる星2):::
215.権五郎神社と彦星
216.扇湖山荘と星
217.その八重垣をギャラクシーという
218.逗子市沼間の地上の北斗
219.星宿橋と梅田川の北斗
220.徳蔵山東渓院と梅田川の北斗
221.東慶寺の景観とすばる星
222.大船の南斗六星と星ガ谷
223.長岡京の彦星線

224.二宮町の出雲八重垣
225.六人の勇士 池子の蛇退治1

226.石楯尾神社の星

227.阿蘇内牧温泉の星
228.阿蘇神社と鶴岡八幡宮
229.カガセオの星
230.摩多羅神の居る鎌倉
231.深沢の星景色
232.鎌倉の熊野神社
233.猪鹿狼寺の秘密
234.泣塔が見ていた星
235.霜月祭のヘンバイと星
237.京都下鴨神社の星
239.スカイ島の立石と銀河 The Storr&MilkyWay
Scotland&Cygnus/1

240.オークニー島の世界遺産と天の川 Heart of Neolithic Orkney&Cygnus
Scotland&Cygnus/2

241.緑の洞門(北鎌倉駅のトンネル)とその稜線について
242.緑の洞門と北鎌倉の星の景観
243.「道の先」と円覚寺、東慶寺、浄智寺の星景色

244.藤原の宮の御井の歌

245.見開かれた眼
246.高市皇子の星空 藤原宮御井歌2
247.天文現象の事実と記載された歴史の差 藤原宮御井歌3

248.天武天皇とすばる星 藤原宮御井歌4
......池子王の戦い 池子の蛇退治2


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