鎌倉、まぼろしの風景。229

　朝日新聞の販売店が配布している鎌倉市の地図は、バス停の名前まで入っている詳細なものだ。細い川筋も、しっかり描かれている。市の北端の東正院から東端の十二所果樹園まで、西の鎌倉市の飛び地まで、一枚で見ることができる。すばらしい。
この地図を眺めていて、気づくことがある。小袋谷川の流れる向きについて、だ。
JR横須賀線に沿って、まっすぐに柏尾川に向かい、戸部橋で合流する。その川筋の傾きは320度である。北西に向かって流れている。
昭和の高度成長期以前は、夜は暗いものだった。街灯はすくなく、家の灯火も少なくて、それも早々と消して寝てしまうのが当たり前だった。そんな夜に、小袋谷川の水面に映って輝く星の姿はどんなだっただろうと思う。ギラギラと銀に光るヘビの様に、蛟(みずち)の様に伸びる川の先には、岡本の山が黒々とあって、その背後の垂直に立ち上がる天の川の滝壺を隠している。その光景が水堰橋から見えただろう。
水堰橋、正しくはせいしく橋。わずか5週間と5日で、数万の軍勢を得て鎌倉入りをする陽の昇る勢いの源頼朝を、立ち止まらせた橋だ。勢蹙（せいしゅく）とは「勢いをそぐ」という意味だ。その昔は星宿橋であっただろうと想像される。星宿とは星座のことで、特に北斗七星を指すだろう。ここからすぐ北に、古墳の様な亀の子山が見えた。玄武である。その周りを北斗七星が日周運動をしていただろう。まことに星に恵まれた場所なのだ。

星宿橋から342度の直線道がJR横須賀線を越えて地蔵山に向かって伸びている。十三塚があったという地蔵山の麓に富士見地蔵があって、鎌倉道はここを通ることが石碑に彫られている。その隣に、暗渠から出た梅田川が流れていて、その形が北斗七星の姿をしている。その川の向きを測ると、これも小袋谷川に平行な320度だった。川の先に目を上げれば、大船観音がある。山の山頂を川は指し示している。

面白くなってきた。320度の川の先には上空を指し示すトンガリ山があるのだ。星がその上に降りてくるだろう。もっと探してみる。

　鎌倉市の北の今泉にある砂押川は、バス停「福泉」の先から「下関」まで、約1kmに渡って320度の線に沿う。その先は笠間公園と山王神社の台地だ。
笠間公園は弥生時代の住居跡で、手広の青蓮寺まで、見晴るかすことができただろう。柏尾川の低地の先に飯盛山があって、この青蓮寺の山頂に弘法大師が護摩壇を設けたと伝承がある。飯盛山を越えた視線の先は江ノ島だ。江ノ島山頂に登れば、神奈川県のほぼ全域を俯瞰することができる。
話が逸れてしまった。320度の川に戻ろう。

鎌倉中央公園の北の入口、山崎口から北へ向かって山崎の旧道にであう辻に、中央公園を源流とする川が道に沿って流れている。地図に書かれていないこの川も320度である。川の先に線を伸ばせば、北野天神、天神山の北端になる。今ではその展望は無い。地図上で想像するだけだ。

バス停「梶原口」から深沢小学校に向けて、県道32号藤沢鎌倉線に並行に旧道があって、そこに新川が流れている。この川の傾きも320度である。視線の先は御霊神社の山裾を通り、村岡城址公園に着く。もちろん現在では見ることのできない景観だ。
村岡城は平将門のおじさんの平良文の居城として名高い。939年に鎮守府将軍になり、岩手県の胆沢(いさわ)の城柵に出向いて、翌年に関東に戻っている。940年の春に、将門が死んでから、戻った、らしい。

梶原口からバス停「深沢小前」にかけて、県道32号線の南側を大塚川が流れている。新川に並行に、この川も320度の向きにある。その先には藤沢市村岡の皇大神宮の山頂がある。ここも村岡城趾の一部で、隣接した長福寺が斜面を整備して、展望台になった。ここから見れば、藤沢市宮前の御霊神社の岬と鎌倉市上町屋の天満宮の岡が柏尾川を狭めて、関所になっていることがよく見えただろう。平良文の門前を通らなければ、何人と言えども鎌倉に入ることは出来なかったのだ。

手広4丁目の五叉路に流れる川は320度だ。道は彦星線で、153度になっている。五叉路に立てば、道は青蓮寺鎖大師と熊野神社を指し示している。この熊野神社の真東に横浜市金沢区の熊野神社がある。朝比奈切通の熊野神社と言った方が分かりやすい。二つの熊野神社を結ぶ線上には数々の観光名所が並ぶ。護良親王墓、鎌倉宮、荏柄天神社、源頼朝墓、鶴岡八幡宮本殿、浄光明寺、伝阿仏尼墓、仮粧坂切通、野村研究所跡地、梶原口、戦道峰。
また話題がそれてしまった。

滑川の一部も320度で、その先は頼朝の墓を指し示す。
扇ヶ谷から流れ出る扇川はJR横須賀線を横断して、観光客で賑わう小町通にやってくる。鮨屋さんの前の橋から暗渠に入って姿を消すけれど、その橋のあたりの川は320度になっている。その向こうは山を越えて葛原ガ岡に届く。
320度の川はいくらでも見つかりそうな気がする。

さて、愛用の「iPhoneあいぽん」にはPeaksというアプリが入っている。カメラを起動させて風景を見ると、その方向に富士山がある、とか、大山がある、とか画面に山の名前が現れる。
大船高校のある高野の自治会館前に立って北西に見える遠くの山にiPhoneをかざすと、小仏城山、高尾山と出てくるのだ。
鎌倉市から東京都八王子市の高尾山薬王寺まで線を引くと、320度になる。だから高野の高架橋をすぎたあたりの道は320度になっていて、高尾山を遥かに正面に見ているのだ。

高尾山薬王寺は真言宗智山派の関東三大本山の一つだそうだ。川崎大師と成田山と並ぶ。744年に聖武天皇の勅願で行基が開いたお寺だそうだ。だからと言って鎌倉の川が薬王寺を見ているわけではないだろう。320度の先に、どんな星が降りてくるのか、744年に設定して星空をiPadで見た。白鳥座が静かに降りて来て地平線に沈んで行った。

真鍋大覚先生の「儺の国の星」を読んでみる。「十八、御中星」をここに引用する。

「夏の土用を過ぎた七月二十三日の深夜に、白鳥座Cygnusチグナスは天頂に達する。
昔はこの白鳥の心臓にあたるところに朱銅色の巨大な星が座っていた。
これを祖先は酸漿星(ほおずきぼし)、別名あかかがちと呼んでいた。
あまつみか星がこれである。
伽香知(かかち)は星の総称であった。
日本書紀巻ニ神代紀第二に曰く
天に悪き神有り。名を天津甕星(あまつみかほし)と曰ふ。
亦の名は天香香背男(あまのかかせお)。」

天皇の軍隊に最後まで降伏しなかった悪神をカガセオと言う。恐らく数多くの先住民が抵抗し、各地で戦争になり、その指導者をすべて一人に集約するとカガセオになるのだと思う。
その星があったのだ。赤い星の御中星(みなかほし)だ。

真鍋大覚先生の話は続いて、人功皇后が背振山の山頂で天に祈ったと語る。福岡県と佐賀県の県境にある背振山、その背布利神は870年に、正六位上から従五位下に位が上がった。

「これは "あまつみかほし" がついに大爆発を起こして、人間の目から姿を消した頃にあたる。」と、先生は続ける。
「背振山頂には無数の里人が参集して、有史以来の天変を案じ、天下の泰平を祈ること連日連夜に及んで尽きることをしらなかったと語られていた。」

800年代以前の伝承を今に伝えていたのだ。驚くべきことだ。でも背振山の神がなぜ「あまつみかほし」であると分かるのだろう。今の背振神社の祭神は宗像三女神だ。江ノ島の女神である。カガセオではない。
背振山の地形図を開いて見た。背振山山頂から南東に自衛隊の基地があって、馬ノ背のような山頂に道がうねうねとある。その山の尾根が320度の方向に伸びていた。真っ直ぐに。
自衛隊の基地から、長い尾根の先の山頂の社を見ると、そこにカガセオの赤い星が沈んで行く。壮大な景観だった。カガセオを祀る舞台に、これ以上の場所は無いだろう。その赤い星は今はない。

「昭和四十一(1966)年、米国の人工衛星が宇宙空間のX線照射密度分布を観測して、白鳥座の中にかすかに青く光る天体の存在を発見した。、、、このCYG-Xなる存在は "あまつみかほし" の末路と推定される。」

アメリカが発見した見えない星は、語り継がれたカガセオの星だったのだ。なんて事！我々は発見されたとコロンブスに語ったような話だ。

真鍋大覚先生は更に「二十一、柑子星(かうじぼし)」でも書いている。

　「天津御火星(あまつみかほし)を "みなかたぼし" と称した。水方(みなかた)とは淡水の河川の渡守のことであり、これが水方星(みなかたぼし)、略してみかのほしの語源でもあったらしい。、、、
みかのほしの又の名を柑子星と言う。白鳥の腰にありてその色と形、赤卵のごとしと誌された所以であった。平安の頃すでに姿を消したあとは神代星(こうしろぼし)或は璋珠星(くしろぼし)と昔の面影を恋ひ慕はれていたときく。」

ああ。
鎌倉中央公園から流れ出る川は神代星の沈む方位を示していたのだ。その先にある天神山の一帯を「みよしろ」と字名で呼ぶ。漢字で書けば「神代」である。天神山は神代星の沈む山だったのだ。ここでカガセオを祀っていたのだろうか。更に。天神山に登って山頂から320度の彼方を眺める。玉縄城跡にカガセオの星が沈んでいく。清泉女学院の諏訪壇の上に、平安時代に失われた星が、その残骸が沈んで行くのだ。

鎌倉は星尽夜の町。川の向きに、旧道の指し示す先に、星が輝いていたのだ。
鎌倉にプラネタリウムがあったら、どんなにいいだろうと思った。

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　リーフレット「星月夜の鎌倉と塔の辻」地湧社が出版されました。鎌倉市内の書店、ギャラリーやカフェでご覧ください。
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