私家版「織姫星と鎌倉」、リーフレット「星月夜の鎌倉と塔の辻」をぜひご覧下さい。鎌倉駅前蔵書室で読むことが出来ます。 8月28日(月)伝統的七夕の夕べに鎌倉のカジュ アートスペースでお話会「星月夜の鎌倉」をします。18:30-20:00
271.二上山の日没と白鳥座(双耳峰2) ★前回の「衣張山はどこから見るか(双耳峰 1)」の続きです。 白鳥座の南中と日没が同時である風景を探します。★
Googlemap ストリートビュー 奈良県葛城市長尾交差点
二上山(にじょうさん)には大津皇子(おおつのみこ 663年-686年)の墓がある。 大津皇子とは天武天皇の息子である。とても人望が厚かったが持統天皇の息子の草壁皇子(くさかべのみこ 662年-689年)が皇太子になった。 太陽とすばる星(六連星)が重なる日に、6人の皇子を胸に抱いた天武天皇の「吉野の盟約」が679年。6人の中に大津皇子、草壁皇子、高市皇子らがいた。草壁皇子が皇太子になったのは681年。そして天武天皇が崩御した年に、謀反を企てていると密告されて捕らえられ、朱鳥元年(686年)10月3日に自害した。そして二上山に葬られた。 参照:鎌倉、まぼろしの風景 248.天武天皇とすばる星 藤原宮御井歌4 万葉集巻第2 165 に、姉の大来皇女(おおくのひめみこ)の歌が載っている。 うつそみの 人なる我(われ)や 明日よりは 二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)と我(あ)が見む 弟は死んでしまったので、明日からは二上山を見て弟を思い出します。 この日から、二上山と言えば大津皇子の悲劇を思い出す。でも、大津皇子の墓ができる前は、二上山とは何だったのだろう。 Googlemapにskitchで作図
奈良県葛城市の二上山は盆地の西側にある双耳峰である。毎日この山に夕日が沈むのを、盆地を移動していけば見ることができる。 夏なら南側に移動して西北西に日の入りを眺めれば良いし、冬なら北側から西南西に太陽を見る。だから二上山とは夕日の山だ。 この範囲内にいったいどれだけの史跡があるだろう。地図を拡大して、古墳や神社や寺院を眺めてみた。 この図でも、雌岳の文字の隣に當麻寺(たいまでら)本堂という文字が見える。當麻寺は役行者の旧宅地にできた寺だそうだ。そこに立てば、夏至の日没は二上山の上になるのだ。 二上山に夕日が沈むのは、毎日観測点を変えれば見ることができる。でもその時に、白鳥座が天頂に来ている、という「時」は、限られた瞬間だ。夕日を眺めると同時に、白鳥座の中心である天之御中主を祀ることになる。 白鳥座の中心が祭祀の対象であったことは、日本各地のランドマークになる名橋を見るとわかる。その橋には同じ特色がある。それは白鳥座が天頂にある時の天の川の向きに、川が重なるということ。そこに橋が架かる。橋は白鳥座の翼の向きになる。カササギの渡せる橋である。
天の川に揃う川と神橋である。 プラネタリウムのアプリを動かして、日没と白鳥座の南中が同時になる時を探した。時代は大津皇子の亡くなった686年としてみた。 太陽が253度に沈む、その時に白鳥座の中央が天頂に来ていた。 白鳥座の南中は西北西253度の日没と同時なのだ。 686年 10月29日17:04 日没 253度 白鳥座の南中(天頂) 天の川に揃う川と神橋 百済寺(くだらじ)から二上山を見ると、そこに太陽が沈んでいった。百済寺とは奈良県北葛城郡広陵町にある古刹である。 三重塔が国の重要文化財に指定されている。源頼朝が建立させたという。 太陽が西に消える時に星神が天頂で最盛期を迎えているのだから、太陽神を祀る宮廷では歓迎されない祀りになるだろう。 Googlemapにskitchで作図
さて、10月から冬至に向って、日没の位置は左へと動いていく。 冬至を過ぎて日没の位置が再び右側に移動してくる。 687年2月13日17:31日没は253度。 白鳥座は北西に沈みつつある。 百済寺から見て、太陽はまた再び二上山に沈む。 この時白鳥座の中心は北西312度にあり、沈んでいく途中である。 北には北斗七星が立っていて、一番下の星のベネトナシュが北北東18度にある。 東にはおおいぬ座のシリウス(136度)とオリオン座のベテリギウス(136度)が上下に揃っている。 この星景色は何度も何度も書いて来た。またこの星景色に出会う。 信じられない気分になる。あるいは運命を受け入れるかのように、驚きを隠す。 これにいったい何の意味が有るのか、わからないのに。 これは、拙著「織姫星と鎌倉」の後半に書いた。黒川能の星景色である。 黒川能は国の重要無形民俗文化財に指定されている。山形県鶴岡市黒川の春日神社に伝わる。 鳥海山の上に(18度)北斗が立ち、月山の上に(135度)シリウスとベテルギウスが縦に揃う。 この時に白鳥座の中心は312度にあり、そこに禁忌の山、高舘山があった。 それを見る場所が、能を奉納する黒川の春日神社である。3つの山から引いた3本の線は、黒川で交差する。 高舘山にプロビデンスの眼、あるいは白鬚が降りてくる。爆発した赤色矮星の残骸である。 その白鬚は猿田彦であり、かつての赤い巨星であり、あかかがち、椿、白鳥座の中心である。と推察する。 参照:245.見開かれた眼 この風景を桓武天皇は交野(大阪府交野市)で祀り、源頼朝の命令によって梶原景季は久住連山の猪鹿狼寺(いからじ)で試みた。 源頼朝は富士の巻狩で祝い、豊臣秀吉は九州平定の後に北野天神で北野大茶会として祝った。 (北野天神から見ると、鞍馬山18度、醍醐山135度、沢山312度) 皆、地上の王となった覇者である。天に善政を誓ったのだろうか。 参照:233.猪鹿狼寺の秘密 参照:254.越木岩神社とイワクラ 参照:256.北西312度の白鳥座 参照:257.源頼朝の古式巻狩 そして妄想する。謀反の疑い有りと讒言されて刑死した大津皇子の、その謀反とは、この星景色を祀った事ではないか。あるいは祀る準備をしたと、偽りを報告されたのか。 これは即位した天皇が行う星祭である。 大津皇子は自分の屋敷で拘束され、自死する。それは磐余(いわれ)の訳語田(おさだ)の邸宅(桜井市戒重)だと言う。そこからも二上山は見えていただろう。二上山は日没の双耳峰。西方浄土への入口。人生の終わりを考える山である。 さて。 白鳥座の南中(天頂に来る)と、白鳥座の没の途中、が、253度の日没の瞬間と重なっていた。それを見るのは百済寺につながる赤い線の上からである。 では、東側にある白鳥座はどうか。白鳥座が北東の空から上がってくる時。その時に日没が重なるのは、どこから見る景色だろうか。 それにはまず、白鳥座の位置を決めなければならない。天頂にある時のように、ここぞという景観にしなければならない。そこで、地平線から上がってくる時ではなく、白鳥座と織姫星ベガと、彦星アルタイルが東北東の空に綺麗に揃う瞬間を選んで見た。 これは鳥羽三女神の星景色である。 参照:259.鳥羽三女神の星景色 熊野4 鳥羽にある三つの神社は三女神であると言われた。相差(おうさつ)町の石神さん、安楽島(あらしま)町の伊射波(いざわ)神社、河内町の彦滝大明神である。宗方大社の三女神であろう。宗方大社の方は、320度の向きに三社が一列に並ぶ。沖ノ島へ向かう視線が320度であった。この場所に白鳥座の中心が沈む。織姫星ベガも沈む。これは古代から現代までほとんど変わっていない。鎌倉市の大船地区の川は320度へと流れて、川の先に沈む星へと視線を誘う。 鳥羽三女神の星景色は八禰宜(はねぎ)山から見る。白鳥座のデネブが北東50度に来た時、その下に伊射波神社がある。この時彦星アルタイルが東88度にあって、その下に石神さんがある。手前にベガがあって、その下に彦滝大明神が揃う。星空の夏の大三角と同じ大きさで同じ向きに三つの神社が配置されている。その灯明は地上の星座になっていただろう。 しかし、真東の90度ではなく、なぜ88度に来た瞬間を選んで、そこに石神さんを建立したか?謎であった。今は答えることができる。この瞬間にケンタウルス座のアルファ星が、真南に来ているからだ。αケンタウリの南中を教える指標が、彦星アルタイルの88度である。 ケンタウルス座のアルファ星は宮沢賢治の銀河鉄道の夜にも出てくる。白い巨星である。シリウス、カノープスの次に大きく見える。地球に最も近い恒星(三連星)である。しかし、南十字星が水平線の下に沈んで全く見えなくなったように、ケンタウルス座のアルファ星も、今は見えない。 この様に南に低く上がる星は100年、千年単位で星景色が変わっていく指標になる。歳差運動が目に見えて良く現れるのが南の低い星である。 さて、鳥羽三女神の星景色が北東に現れた時に夕日が沈む時を調べた。彦星が88度に来た時に日没になるのは太陽が299度に沈む時であった。 686年6月22日19:05 日没 299度 夏至 彦星アルタイルが88度 白鳥座のデネブが50度 鳥羽三女神の星景色 ケンタウルス座のアルファ星が南中 鳥羽三女神の星景色は夏至の日没の風景であった。 空は明るいので星は見えていない。見えない星の星祭である。 二上山を299度に見る位置に長尾神社があった。ここから二上山の日没を見たのだ。299度の青い線の先に、天武天皇と持統天皇の陵墓があった。夏至の日没を二上山に見るデザインが陵墓に為されているのだ。天武天皇らしいと、思った。 大津皇子の大津とは那の大津で生まれたから名付けられたそうだ。 真鍋大覚が子供の頃に父親から学んだ「儺の國の星」の景色と同じ、ナの国の人であった。 真鍋大覚は語る。 今よりも大きく陸地に入り込んでいた博多湾に、外国から船がやってくる。そこに筑紫館(ちくしのむろつみ)があった。日本書紀に載る日本最古の迎賓館だった。外国の暦と日本の暦を付き合わせて、次の出航を確認し合う。太宰府の仕事であるそうだ。海上交通と気象と暦のプロフェッショナルが集う所である。暦を見れば、その国の科学技術が分かった。国力を探るのも仕事であった。 儺の国で育った大津皇子は、天武天皇に負けない星見のプロフェッショナルだったかもしれない。 次回は長屋王の二上山 です。
リーフレット「星月夜の鎌倉と塔の辻」地湧社 60頁 600円。 私家版「織姫星と鎌倉」 272頁 2000円。 メールしていただければ郵送いたします。
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***メールは亀子宛へ*** ( 15.Aug. 2017)
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十字形手水鉢(神奈川県藤沢市)
:::::目次:::::
:::Top最新のページ::: ▲・・・地図上の直線 地図に線を引くとわかる設計 (ランドデザイン) ★・・・地上の星座 天体の運行を取り入れた景観
:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::
▲3.霊仙山20Apr:::
:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::
▲6.道の意匠:::
:::7.修験道の現在形:::
:::8.鎌倉の白い岩:::
:::9.セキサンガヤツ:::
★10.若宮大路のカレンダー:::
▲11.神奈川県の鷹取山:::
▲12.鎌倉の正三角形:::
:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::
:::15.夜光る山:::
:::16.下りてくる旅人:::
:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::
:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::
▲21.熊野神社の謎:::
▲22.熊野神社+しし石:::
▲23.北鎌倉の地上の昴:::
★24.ふるさとの北斗七星:::
★25.労働条件と破軍星:::
★26.北条屋敷跡の南斗六星:::
:::27.星と鎌と騎馬民 :::
★28.江の島から見る北斗と昴 :::
★29.由比ケ浜から見る冬の星 :::
:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::
▲31.御嶽神社の謎:::
★32.塔の辻の伝説(1) :::
★33.昇竜の都市鎌倉(2):::
★34.改竄された星の地図(3):::
★35.すばる遠望(小休)(4):::
▲36.長谷観音レイライン:::
★37.星座早見盤と金沢文庫:::
▲38.鎌倉の墓所と鎮魂:::
▲39.ふるさとは出雲:::
▲40.義経の弔い:::
▲41.「塔の辻」の続き:::
▲42.子の神社:::
:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::
:::48.ふたつあることについて:::
:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::
:::50.たたり石:::
:::51.鎌倉の十三塚:::
★52.陰陽師のお仕事:::
▲53.坂東平氏の大三角形と星:::
▲54.大船でみつけた平将門:::
▲55.神津島と真鶴:::
▲56.鷹取山のタカ (八王子市と鎌倉市):::
▲57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
▲58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::
:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::
▲60.重なり合う四神:::
:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::
:::63.吾妻社:::
▲64.約束の地(小休):::
★65.若宮大路の傾き(星の都1):::
★66.國常立尊(星の都2):::
★67.台の天文台(星の都3):::
▲68.鎌倉の摩多羅神:::
★69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
★70.鎌倉と姫路(星の道2):::
★71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::
★72.環状列石のしくみ (五芒星1)::: ★73.環状列石の使い方 (五芒星2)::: ★74.関谷の縄文とスバル (五芒星3):::
▲75.十二所神社のウサギ:::
:::76.針摺橋:::
▲77.平安時代のジオラマ:::
▲78.獅子巌の四神 (藤原氏の鎌倉):::
▲79.亀石によせる:::
▲80.山頂の古墳:::
:::81.長尾道路の碑 (横浜市戸塚区):::
★82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
★83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
★84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
★85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
★86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::
:::87.実方塚の謎(1) 鎌倉郡小坂郷上倉田村:::
:::88.戸塚町の謎(2) 鎌倉郡小坂郷戸塚町:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4) 栃木県宇都宮市雀宮町:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5) 茨城県古河市:::
:::92.北鎌倉の悲劇:::
▲:::93.こぶた山と奈良東大寺:::
:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::
▲96.海軍さん通りの夕日:::
▲★97.今泉不動の謎:::
▲98.野七里:::
▲99.染谷時忠の屋敷跡:::
★100.三ツ星とは何か (またはアキラについて):::
:::48.ふたつあることについて:::
▲101.亀の子山と磐座、火山島:::
★102.秦河勝の鎌倉:::
▲103.由比若宮(元八幡):::
▲104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
▲105.北鎌倉 台の光通信:::
★106.鎌倉の占星台:::
★107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
▲150.鎌倉 五芒星都市::: ▲158.第六天社と安部清明碑::: ▲159.桜山の朱雀(逗子市)::: ★160.双子の二子山と寒川神社::: :::161.ゴエモンの木::: :::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉::: :::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発)::: ★167.地上の銀河と星の王1(平塚市)::: ★
168.地上に降りた星の王2 (鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)::: ★
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る)::: :::
175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説)::: ★
176.おんめさまとカガセオ::: ★
177.南西214度の縄文風景 2 (大湯環状列石とカナイライン):::
★
178.御霊神社と鎌倉 (南西214度の縄文風景3):::
★
179.源頼朝の段葛とカガセオ (南西214度の縄文風景4):::
:::
184.鎌倉の小倉百人一首:::
:::
185.鎌倉の小倉百人一首 2:::
:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::
:::206.庚申様はすばる星(すばる星1):::
:::207.六所神社のすばる星(すばる星2)::: +
215.権五郎神社と彦星+ +
216.扇湖山荘と星+ +
217.その八重垣をギャラクシーという+ +
218.逗子市沼間の地上の北斗+ +
219.星宿橋と梅田川の北斗+ +
220.徳蔵山東渓院と梅田川の北斗+ +
221.東慶寺の景観とすばる星+ +
222.大船の南斗六星と星ガ谷+ ++
223.長岡京の彦星線+
++
224.二宮町の出雲八重垣+
225.六人の勇士 池子の蛇退治1+ + 226.石楯尾神社の星+ +
227.阿蘇内牧温泉の星+ 228.阿蘇神社と鶴岡八幡宮+ 229.カガセオの星+ 230.摩多羅神の居る鎌倉+ 231.深沢の星景色+ 232.鎌倉の熊野神社+ 233.猪鹿狼寺の秘密+ 234.泣塔が見ていた星+ 235.霜月祭のヘンバイと星+ 237.京都下鴨神社の星+ 239.スカイ島の立石と銀河 The Storr&MilkyWay Scotland&Cygnus/1+ 240.オークニー島の世界遺産と天の川 Heart of Neolithic Orkney&Cygnus Scotland&Cygnus/2+ 241.緑の洞門(北鎌倉駅のトンネル)とその稜線について+ 242.緑の洞門と北鎌倉の星の景観+ 243.「道の先」と円覚寺、東慶寺、浄智寺の星景色+
244.藤原の宮の御井の歌+ + 245.見開かれた眼+ 246.高市皇子の星空 藤原宮御井歌2+ 247.天文現象の事実と記載された歴史の差 藤原宮御井歌3+
248.天武天皇とすばる星 藤原宮御井歌4+ 254.越木岩神社とイワクラ+
255.永福寺跡の星景色+
256.北西312度の白鳥座+ 257.源頼朝の古式巻狩+ 258.天の川が地平線を覆う星景色(かさね石)+
259.鳥羽三女神の星景色 熊野4+
262.北斗七星の滑川+
263.深沢の星景色から「鎌倉」を知る+
264.鎌倉の太子道 飛鳥と鎌倉+
265.米良神楽の星景色と鎌倉神楽+
266.遺跡としての風景 島根県安来市の十神山+
267.丸亀、斑鳩、橿原、鎌倉。 すばる星の下に+
270.衣張山をどこから見るか (神奈川県鎌倉市)+
271.二上山の日没と白鳥座 (双耳峰2)+
......池子王の戦い 池子の蛇退治2+
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