鎌倉、まぼろしの風景。268 

鎌倉、まぼろしの風景。


Kamakura,a land of illusions
          
     

イメージの翼に乗って「星月夜の鎌倉」を妄想するページ。

星座早見盤と地形図を持って、鎌倉の地上の星座を探検中です。

Kamakura,a land of illusions    

北鎌倉の石仏

:::::目次:::::
:::Top 最新の目次に戻る:::


亡備録 私的用語集
大淀三千風の日本行脚文集


+++キリシタンと江戸文化

110.東渓院菊姫
北鎌倉と豊後竹田

111.キリシタンの二十三夜

112.東慶寺の姫

113.徳川直轄地の
キリシタン

114.キリシタン受難像

115.江戸の幽霊
お岩とお菊

116.江戸の狂歌師
酔亀亭天広丸

117.江戸の蕎麦とお菓子

118.禁止された教え

119.葛飾北斎の1834年
旅する江戸人1

120.近松門左衛門の1719年
旅する江戸人2

121.大淀三千風の1686年
旅する江戸人3

122.大淀三千風の鴫立庵
123.柴又帝釈天の1779年
旅する江戸人4

124.飯島崎の六角の井

125.古狸塚

126.六地蔵・芭蕉の辻と
潮墳碑

127.キリシタン洞窟礼拝堂

128.十字架の菜の花

129.黙阿弥の白波五人男

130.大山の木食上人
旅する江戸人5

133.「忠直乱行」を読む
旅する江戸人6

135.駿河大納言忠長の遺業
旅する江戸人7

136.松平忠長の侍達
旅する江戸人8

137.許六と芭蕉

138.忠直とサンチャゴの鐘
豊後竹田と北鎌倉

139.沖の花(大分 瓜生島伝説)

140.鎌倉の庚申塔1・キリスト磔刑図
141.鎌倉の庚申塔2・嘆きの猿
142.鎌倉の庚申塔3・猿の面

143.曾根崎心中の道行き

144.義経千本桜の幻惑

145.建長寺のジョアン

147.椿地蔵と手まり歌

148.鎌倉という名の火祭り

149.玉藻ノ前と殺生石

151.不屈の第六天社(藤沢)
152.第六天の女神(戸塚)
153.玉縄城の第六天(鎌倉)

154.お花畑と後北条氏

155.落柿舎と鎌倉地蔵

157.平塚の4手の庚申塔

162.十文字鳥居と手水鉢
(藤沢市江ノ島)

163.八橋検校の秘曲と「千鳥」

164.半僧坊と明治憲法

165.夜空にかかる十字架
(明月院の谷)

169.馬頭観音の天衣(1)
170.マリアの石碑(2)
171.マリアの影を石に刻む(3)

172.六地蔵、葎塚(むぐらづか)と芭蕉(山梨県)

173.化粧するお地蔵様

180.大淀三千風のすみれと芭蕉

181.謡坂と善智鳥
(うとうざかとウトウ)

182.善知鳥と江戸大殉教

183.芭蕉の見た闇
(名古屋市・星崎)

186.キリシタンの古今伝授

187.鎌倉仏教とマニ教

188.謎の桜紋

189.西行と九尾の狐

190.○と□ (丸と四角、マリアとイエス)

191.踊場の猫供養塔(横浜市泉区)

193.貞宗院様の遺言(貞宗寺:鎌倉市植木)

194.崇高院様の山門(成福寺:鎌倉市小袋谷)

195.鎌倉光明寺54世松誉上人(書かれた文字1)

196.涌井藤四郎の新潟湊騒動(書かれた文字2)

197.鎌倉大仏縁起・(書かれた文字3)

199.扁額にある記号(書かれた文字4)

200.こゆるぎの松
(1鎌倉の小動)

201.城山公園の石碑
(2大磯の小動)

202.小ゆるぎの里
(3寒川の小動)

203.謡曲「隅田川」と田代城主

204.イボとり地蔵の小石

205.港町の杯状穴

206.庚申様はすばる星(すばる星1)

207.六所神社のすばる星(すばる星2)

208.キリシタンと庚申様(すばる星3)

209.鎌倉キリシタンの伝承 1

210.東渓院の領地

211.大坂城の遺児
鎌倉キリシタンの伝承 2

212.手広村の大岡様
鎌倉キリシタンの伝承 3

213.田代寺安養院
鎌倉キリシタンの伝承 4

214.水戸光圀の鎌倉案内
鎌倉キリシタンの伝承 5

220.徳蔵山東渓院と梅田川の北斗
鎌倉キリシタンの伝承 6

236.山崎の女領主相高院
鎌倉キリシタンの伝承 7

238.豊後国岡城主中川久盛室、久松萬姫の「伊香保記」

249.萬姫の北鎌倉お散歩漫歩1崇法院琴姫様と山崎の谷戸

250.北鎌倉明月院洞窟と竹田市の三日月岩

251.萬姫の北鎌倉お散歩漫歩2山崎にまつわる家康公の姫君たち

252.萬姫のお散歩漫歩3「消えた村」善行寺村の謎

253.萬姫のお散歩漫歩4 葡萄の蒔絵と北鎌倉の琴姫様

260.夏目漱石のキリシタン1

261.「吾輩は猫である」とキリシタン

268.豊後竹田岡城主、中川久清公の浄因寺 (静岡県沼津市三津)


江戸文化に
キリシタンの影響を見る。

見ず 聞かず
言はざる までは
つなげども
思はざる こそ
つながれもせず

(心に思う事を
罰する事はできない)

諸国里人談 巻三一「三猿堂」
菊岡沾凉(米山)著1743年刊



写真集
私説:キリシタン遺物と
その影響下に作られたと思われる
石碑と石仏


亀の蔵

「鎌倉、まぼろしの風景」
の要約。

書かなかったことや
後から書き足す事ども。


知る者は言わず
言う者は知らず《老子》

資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子

Twitter:@ninayzorro

ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)
*** ***

   

私家版「織姫星と鎌倉」、リーフレット「星月夜の鎌倉と塔の辻」をぜひご覧下さい。鎌倉駅前蔵書室で読むことが出来ます。


キリシタンと江戸文化

268.豊後竹田岡城主、中川久清公の浄因寺 (静岡県沼津市三津)


 明暦元年1655年。中川山城守久清は朝鮮通信使を伊豆の三島で接待する御馳走役になった。
 江戸へ行って帰ってくる一行を三島で待ち構えていて、行きも帰りも接待するのだ。
 江戸へ送り出して帰ってくるまで1ヶ月も待たなければならない。
 その間、温泉で湯治をしていようと久清公は決めた。すばらしい!

 「御馳走の間に、豆州三浦へ御湯治の御願 済ませらる。」

 幕府に私事旅行願いを出して、許可が出て、三島から三浦の浄国寺に逗留した、という。
 10月3日から11月1日まで。季節も良く伊豆の温泉は最高だ。
 中川氏御年譜を読むと、39年後の元禄7年の項にまた久清公の湯治の話が出てくる。
 孫の久通が伊豆の古奈(こな)へ湯治に行った時の記録だ。
 静岡県伊豆の国市の古奈温泉は山向こうの長岡温泉と一緒になって、今は伊豆長岡温泉という。そこから西へ5km。峠越えをすると静岡県沼津市三津(みと)に着く。そこに臨済宗円覚寺派の浄因寺があった。今もある。すばらしい。

 「9月27日、三ツ浦御遊覧、浄因寺 (この寺は先年久清公、三ツ浦へ御湯治の節、御旅宿にあい成りしゆえ)へ御立ち寄り」

 明暦元年の記載の「三浦」という所が見当たらない。「浄国寺」も無い。
 それが39年後になって、久清公も亡くなって、おそらく浄因寺の関係者も変わっている頃になって、「三ツ浦」と書き、浄因寺と書いている。
 江戸時代の人々は用心深い。孫の久通の時代になって、やっと語ることができる事もあったのだ。久清公は三津の浄因寺に来ていたのだ。
 それにしても、浄因寺で湯治は出来ないだろう。温泉場ではないから。お湯は出ない。
 「御馳走の間に、豆州三浦へ御湯治の御願 済ませらる。」
というなんでもない文に、久清公の秘密が潜んでいる。

 久清公とその父の中川久盛公の時代に、長崎にあったサンチャゴ病院が破壊された。キリスト教が禁止されて、布教に関わる教会や病院や学校が無くなった。その時に、サンチャゴ ホスピタルとアルファベットで書かれていて十字架のついた洋式の鐘が撤去された。その鐘はキリシタン禁教時代であった江戸時代を乗り切り、お寺の鐘まで供出された昭和の戦争を過ぎて、岡城の中川神社の神宝として再発見された。
 長崎で残酷なキリシタン弾圧を指揮していた竹中采女が、後に切腹申し付けになった時に、屋敷の引渡しとか、引き継ぎをやったのが中川氏であった。十字架が付いている大きな鐘を、長崎から竹田まで秘密に運ぶことができたのは岡城主しかいないだろう。それが中川久盛であり久清親子である。
 見つかれば自分や家族の命ばかりか、家臣全部の生活を壊すことになる、そういう決断をした、肝の太い城主である。そう思いながら中川氏御年譜を読む。

 三津(みと)に1ヶ月も滞在した。温泉のない御湯治を想像する。数十人の滞在費用だけでも、沢山のお金をこのお寺に喜捨しただろうと思う。この村の人々はお寺に食料とサービスを提供して、久清公の資金は港町の人々に行き渡るだろう。まるでプロ野球のキャンプを誘致したみたいになる。そして浄因寺をベースキャンプにして、どこかに、行っていたかもしれない。お忍び旅行だ。
 鎌倉市台と中川家が繋がっていたように、三津と中川家も繋がっていたのだ。

 鎌倉の台に娘のための菩提寺を建立した久清公は、大分県竹田市で今も名君と慕われている。調べるほどに、その通り、領民をなるべく殺さないように、キリシタン弾圧期を乗り越えた城主であった。
 家臣と城下の人々を守るために、自分の信仰を捨てなければならない。キリストを裏切ることで、竹田の人々が安全に暮らせるなら、棄教するしかない。踏み絵を行い、処刑もする。久清公の代から始められたキリシタン弾圧で、豊後竹田は徳川将軍の信頼を得たのだろう。
 だから久清公は名君なのだ。人々ができなかった棄教を引き受けたのだ。
 彼の墓は長い石棺で、ヨーロッパの貴族の墓のようだ。彼は横たわったまま大船山に眠っている。生き残った人々が彼のために作った墓なのだ。
 私も三津に行ってみたくなった。
 もちろん、伊豆長岡温泉のお湯は素晴らしいから。

 伊豆箱根鉄道駿豆線伊豆長岡駅から、漫画の「ラブライブ!」で飾られたバスに乗った。アニメの「聖地巡礼」の方々といっしょに三津郵便局で降りた。
 湾の中に巨大なトンガリ山があった。淡島だ。
 地形図で見ると、トンガリの尾根が三津の漁港の方に向いている。トンガリ山の淡島が一番美しく見えるのが三津だ。これは修験道だ、と思う。誰かが長い時間をかけて淡島をトンガリ山にした。その整形がいかにも人工的なので、古代の人々の労力が誰にも解る。それを神の技であるとしたのだろう。日本の神とは、本当に祖先の事だなあと、思う。
 その淡島を見るように、浄因寺があった。



 浄因寺は火災にあって、すべての古文書を失ったのだそうだ。
 裏庭の洞窟は崩落して、亀池が残っている。
 亀池は神池に通じる。潜伏していたキリシタンが発見された鎌倉の小袋谷には亀の子山があって、亀の子は神の子にも聞こえるのだ。
 崖と洞窟とその前の池は、円覚寺の庭のデザインと同じだ。
 座禅窟のある景色は鎌倉市の寺院で見ることができる。
 伊豆と鎌倉は人の行き来がずっとあって、親戚関係みたいだ。

 本堂から離れて観音堂があった。そこは僧房があった位置だとお寺の方が教えてくださった。では久清公の一行はここに居たのだ。
 観音堂から淡島が見えた。北西の景色だ。ふと気になって、というか確信して、方位磁針を出して淡島の方に向けた。
 淡島の右手が320度。
 もちろんそうだ。この向きに織姫星が沈む。古代も今も。縄文時代に北極星だった織姫星が。
 そして白鳥座の中心も。


 宗像大社の参道も、街の街路も、海の正倉院と呼ばれた沖ノ島まで、320度の視線は各地にある。福岡県の背振山の山頂も320度。鎌倉市の六国見山の山頂も320度。浄因寺から見る淡島も320度に近い。古代からここ浄因寺に立つ人が居たのだ。
 そして鎌倉市小袋谷の亀の子山から見ると、320度に玉縄城跡がある。その山に今は巨大な大船観音があって、久清公が建てた東渓院の跡地の方を向いて微笑んでいるのだ。

 1612年。徳川家康の駿府城からたくさんのキリシタンが追放された。原主水は指を切られて十字の焼印を押され、江戸の鳥越に潜んで居た。そこを将軍になったばかりの家光が探索させた。宣教師は鎌倉へ逃げ、海で捕まって。1623年の江戸大殉教になった。「鎌倉」の名は江戸の殉教と結びついている。1624年には平戸や東北で人々は殺され、天草四郎の原城が落ちたのは1638年だ。マーチン・スコセッシ監督の映画「沈黙 サイレンス」の時代は1643年。キリシタン弾圧は信者もそうでない者も含めて、過酷を極めた。
 ローマの暴君ネロをも超える弾圧の噂はヨーロッパに伝わった。そんな中で1627年、ユリウス・シラーのキリスト教星図が出版された。星座はギリシャ・ローマ神話の物語から成り立っていたけれど、それを全てキリスト教に置き換えたのだ。白鳥座は「ヘレナとキリストの十字架」になった。これで北十字に向かって祈ることが公式に認められた。異教の神に祈っているのではない。白鳥座の北十字はキリストの十字架なのだ。

 浄因寺から見る淡島の上に、十字架が降りてくる。その後ろには銀の砂のカーテンのような天の川がなだれ落ちている。1655年の旧暦の10月3日から1ヶ月、深夜の1時ごろに、久清公とその一行は淡島に沈む白鳥座の北十字を見ていたのだろう。


作図:松永氏 1655年旧暦10月 淨因寺から見る淡島と星空
 大分県竹田市にある岡城跡から320度の線を引く。大船山の山頂にあたる。その中腹には久清公の墓があるそうだ。星の十字架が降りてくるそこに、久清公は眠っている。

ーーーーーー

269.光顕院と小坂薬師または常楽寺(静岡県伊豆の国市小坂)
に続きます。

 久清公は御母様も連れて御湯治に行っていたのです。
 そのお母様は「伊香保記」を書いた松平萬姫です。
 なんとお風呂好きな一族でしょう。




 

 リーフレット「星月夜の鎌倉と塔の辻」地湧社  60頁 600円。
 私家版「織姫星と鎌倉」 272頁 2000円。
 メールしていただければ郵送いたします。

      


:::Top 最新の目次に戻る:::


 ***メールは亀子宛へ***
( 3APR. 2017)

     

   
十字形手水鉢(神奈川県藤沢市)

:::::目次:::::

:::Top最新のページ:::

・・・地図上の直線
地図に線を引くとわかる設計
(ランドデザイン)

・・・地上の星座
天体の運行を取り入れた景観

:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::

3.霊仙山20Apr:::

:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::

6.道の意匠:::

:::7.修験道の現在形:::

:::8.鎌倉の白い岩:::

:::9.セキサンガヤツ:::

10.若宮大路のカレンダー:::

11.神奈川県の鷹取山:::

12.鎌倉の正三角形:::

:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::

:::15.夜光る山:::

:::16.下りてくる旅人:::

:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::

:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::

21.熊野神社の謎:::
22.熊野神社+しし石:::

23.北鎌倉の地上の昴:::

24.ふるさとの北斗七星:::

25.労働条件と破軍星:::

26.北条屋敷跡の南斗六星:::

:::27.星と鎌と騎馬民 :::

28.江の島から見る北斗と昴 :::
29.由比ケ浜から見る冬の星 :::

:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::

31.御嶽神社の謎:::

32.塔の辻の伝説(1) :::
33.昇竜の都市鎌倉(2):::
34.改竄された星の地図(3):::
35.すばる遠望(小休)(4):::

36.長谷観音レイライン:::

37.星座早見盤と金沢文庫:::

38.鎌倉の墓所と鎮魂:::

39.ふるさとは出雲:::

40.義経の弔い:::

41.「塔の辻」の続き:::

42.子の神社:::

:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::

:::48.ふたつあることについて:::

:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::

:::50.たたり石:::

:::51.鎌倉の十三塚:::

52.陰陽師のお仕事:::

53.坂東平氏の大三角形と星:::
54.大船でみつけた平将門:::

55.神津島と真鶴:::

56.鷹取山のタカ
(八王子市と鎌倉市)
:::
57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::

:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::

60.重なり合う四神:::

:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::

:::63.吾妻社:::

64.約束の地(小休):::

65.若宮大路の傾き(星の都1):::
66.國常立尊(星の都2):::
67.台の天文台(星の都3):::

68.鎌倉の摩多羅神:::

69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
70.鎌倉と姫路(星の道2):::
71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::

72.環状列石のしくみ
(五芒星1)
:::
73.環状列石の使い方
(五芒星2)
:::
74.関谷の縄文とスバル
(五芒星3)
:::

75.十二所神社のウサギ:::

:::76.針摺橋:::

77.平安時代のジオラマ:::

78.獅子巌の四神
(藤原氏の鎌倉)
:::

79.亀石によせる:::

80.山頂の古墳:::

:::81.長尾道路の碑
(横浜市戸塚区)
:::

82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::

:::87.実方塚の謎(1)
鎌倉郡小坂郷上倉田村
:::
:::88.戸塚町の謎(2)
鎌倉郡小坂郷戸塚町
:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4)
栃木県宇都宮市雀宮町
:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5)
茨城県古河市
:::

:::92.北鎌倉の悲劇:::

:::93.こぶた山と奈良東大寺:::

:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::

96.海軍さん通りの夕日:::

▲★97.今泉不動の謎:::
98.野七里:::
99.染谷時忠の屋敷跡:::

100.三ツ星とは何か
(またはアキラについて)
:::

:::48.ふたつあることについて:::
101.亀の子山と磐座、火山島:::
102.秦河勝の鎌倉:::
103.由比若宮(元八幡):::
104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
105.北鎌倉 台の光通信:::
106.鎌倉の占星台:::
107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
150.鎌倉 五芒星都市:::
158.第六天社と安部清明碑:::
159.桜山の朱雀(逗子市):::
160.双子の二子山と寒川神社:::
:::161.ゴエモンの木:::
:::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉:::
:::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発):::

167.地上の銀河と星の王1(平塚市):::
168.地上に降りた星の王2
(鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)
:::
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る):::

::: 175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説):::
176.おんめさまとカガセオ:::

177.南西214度の縄文風景 2
(大湯環状列石とカナイライン)
:::

178.御霊神社と鎌倉
(南西214度の縄文風景3)
:::

179.源頼朝の段葛とカガセオ
(南西214度の縄文風景4)
:::

::: 184.鎌倉の小倉百人一首:::

::: 185.鎌倉の小倉百人一首 2:::

:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::
:::206.庚申様はすばる星(すばる星1):::
:::207.六所神社のすばる星(すばる星2):::
215.権五郎神社と彦星
216.扇湖山荘と星
217.その八重垣をギャラクシーという
218.逗子市沼間の地上の北斗
219.星宿橋と梅田川の北斗
220.徳蔵山東渓院と梅田川の北斗
221.東慶寺の景観とすばる星
222.大船の南斗六星と星ガ谷
223.長岡京の彦星線

224.二宮町の出雲八重垣
225.六人の勇士 池子の蛇退治1

226.石楯尾神社の星

227.阿蘇内牧温泉の星
228.阿蘇神社と鶴岡八幡宮
229.カガセオの星
230.摩多羅神の居る鎌倉
231.深沢の星景色
232.鎌倉の熊野神社
233.猪鹿狼寺の秘密
234.泣塔が見ていた星
235.霜月祭のヘンバイと星
237.京都下鴨神社の星
239.スカイ島の立石と銀河 The Storr&MilkyWay
Scotland&Cygnus/1

240.オークニー島の世界遺産と天の川 Heart of Neolithic Orkney&Cygnus
Scotland&Cygnus/2

241.緑の洞門(北鎌倉駅のトンネル)とその稜線について
242.緑の洞門と北鎌倉の星の景観
243.「道の先」と円覚寺、東慶寺、浄智寺の星景色

244.藤原の宮の御井の歌

245.見開かれた眼
246.高市皇子の星空 藤原宮御井歌2
247.天文現象の事実と記載された歴史の差 藤原宮御井歌3

248.天武天皇とすばる星 藤原宮御井歌4
254.越木岩神社とイワクラ

255.永福寺跡の星景色

256.北西312度の白鳥座
257.源頼朝の古式巻狩
258.天の川が地平線を覆う星景色(かさね石)

259.鳥羽三女神の星景色 熊野4

262.北斗七星の滑川

263.深沢の星景色から「鎌倉」を知る

264.鎌倉の太子道 飛鳥と鎌倉

265.米良神楽の星景色と鎌倉神楽

266.遺跡としての風景
島根県安来市の十神山


267.丸亀、斑鳩、橿原、鎌倉。
すばる星の下に

......池子王の戦い 池子の蛇退治2


資料集

きっかけ

はじめに

メール* 亀子
ブログ:鎌倉、まぼろしの風景(ブログ)

//////無断複製を禁止します。All Rights Reserved. (C)亀子
検索にご利用下さい
inserted by FC2 system