私家版「織姫星と鎌倉」、リーフレット「星月夜の鎌倉と塔の辻」をぜひご覧下さい。鎌倉駅前蔵書室で読むことが出来ます。 歴史研究651号2017年5月号に投稿が載りました。 大津の宮とすばる星 です。 鎌倉駅前蔵書室かまぞうで読むことができます。 +キリシタンと江戸文化+ + 269.光顕院の御湯治と小坂薬師(静岡県伊豆の国市小坂) 鎌倉市台に明治まで存続していた東渓院は、豊後竹田の殿様、中川久清(1615-1681)が娘の夏姫(1657-1679)の菩提寺として創建した寺だった。 竹田はキリシタンの人達が多く住んでいた地域である。最近の研究では、殿様以下藩全体でキリシタン隠しをしていたと考えられている。 その中川久清公はなぜ鎌倉の台に寺を作ったのだろうか。その問いを繰り返しこのHPに書いてきた。
大坂城の落城で四散した豊臣の家臣達はこの辺りにも帰農して住んでいた。 キリスト教の伝道所が1623年元和9年の江戸大殉教の時までこの辺り小袋谷(こぶくろや)周辺にあった。 そのキリシタンの末裔を守るために、東渓院領地を設けたと考えた。 例えば1661年、寛文元年の濃尾崩れ、があった。 美濃国可児郡塩村と帷子村から始まったキリシタンの摘発と大弾圧については260.夏目漱石のキリシタン1にも書いた。 事情を知らない旗本が赴任してくるとキリシタン摘発が起こるのだ。だから駆け込み寺のように、東経院領地を台に作る。 でもなぜ。それをやったのが中川氏なのだろう。 問い続けていると、中川氏と鎌倉の関係が少しづつ現れてきた。 東渓院ができた1680年より以前に、彼らは鎌倉に何度か来ていたのだ。 そのうちの1件、光顕院(1602-1689)の御湯治について、語ってみたい。
光顕院とは中川久盛(1594-1653)の妻で久清の義母である。 松平定勝と奥平たつの娘。松平久松萬姫という。 37才の時に一時離縁して、伊香保温泉に湯治に行った。その時彼女が書いた旅行記は「伊香保記」として有名だ。 その後再び久盛のもとに戻り、この湯治の時は61才だった。 参照:238.豊後国岡城主中川久盛室、久松萬姫の「伊香保記」
「中川氏御年譜第五 中川久清」 によれば、 寛文3年。(1663年) 8月23日、光顕院様御同道、熱海へ御湯治ノ御願済セラル 10月22日、光顕院様熱海御湯治トシテ御発駕、鎌倉御見物 23日、(久清)熱海へ御湯治トシテ御発駕 11月20日、(久清)熱海ヨリ御帰府 26日、光顕院様同所ヨリ大山不動御参詣ニテ御帰府
とある。
中川久清と光顕院は一緒に1ヶ月の間湯治をしていた。 光顕院は湯治の前に鎌倉見物もしていたのだ。 ところで、これ以前に久清は2度伊豆へ湯治に行っている。おそらく古奈温泉だ。 どちらも「豆州熱海へ湯治」と書かれている。 しかしここでは「熱海へ湯治」である。小さな違いかも知れない。しかし鎌倉にも「熱海」という場所がある。 鎌倉市山崎に頼朝の隠し湯と伝わる冷泉があって、かつては温泉場として賑わっていたという。 だから江戸から熱海へ御湯治と言えば、鎌倉の山崎にある熱海に来たのかもしれない。 久清も鎌倉に立ち寄ったかも知れないのだ。そして鎌倉に何日いたのかもわからない。 ちなみに鎌倉市山崎とは崇法院(相高院)蒲生琴姫(1602-1651)が隠棲していた所だ。 改易された熊本城主加藤忠広(1601-1653)の妻で、徳川家康の三女の正清院振姫(1580-1617)が母親。 父親は蒲生秀行、蒲生レオン氏郷と織田信長の娘の息子。華麗な人脈を持つ。
「中川氏御年譜」では、湯治の一ヶ月間の記載は無い。 湯治だからゆったり俗世を忘れてお湯に入っていただけだと、想像する。 でも中川久清の孫、久通(1663-1710)の時代にこんな記事が有るのだ。 元禄5年(1692) 岡城主5代 中川久通(30才 ) 7月23日 御眼気につき豆州熱海へ御湯治の御願済ませらる 28日 熱海御湯治として御発駕 9月2日 熱海より御帰府 元禄7年(1694)久通 (32才) 8月16日 熱海へ御湯治の御願済ませらる 21日 御発駕 9月7日 右御湯治御相応につき今二た廻りの御願継 仙石越前守政明様へ御頼にて差出さる ※仙石政明は中川久通の姉(佐津)の夫である。 ※佐津(父:中川久恒、母:池田光政の娘、佐阿)。 ※この夫妻の名は中川久恒の名とともに鎌倉妙本寺に残る。 10日 御願済せらる 熱海御発駕、同国古奈へ御湯治 24日 同国小坂薬師(この堂は先年光顕院様御寄進につき、御位牌も堂中にこれあり)へ御参詣 常楽寺へ御立寄 27日 同国三ツ浦御遊覧 淨因寺(この寺は先年久清公三ツ浦へ御湯治の節、御旅宿に相成りしゆへ)御立寄 29日 古奈お発駕 10月3日 御帰路、鎌倉東渓院へお参詣、それより寺寺御遊覧 5日 御帰府 伊豆の国市には確かに小坂(おさか)という地区があった。 そこに小坂薬師と常楽寺があって、光顕院の位牌がある? やはり光顕院はお湯につかってばかりいたのではないらしい。 伊豆長岡 関係分布図 「「池田の大蛇」と北条義時 伝説の方法」中野貢著 より
伊豆長岡温泉に小旅行をした。伊豆の国市役所の文化財課の方が、市史に載る廃寺常楽寺の記載を送ってくださった。 伊豆の国市立図書館では郷土史資料の書庫を見ることが出来た。 皆様ありがとうございました。 そこで中野貢 著「源頼政、菖蒲御前伝説とその回廊」に出会った。 私家版の本は現地に行かないと読めない。幸運な出会いだった。 この本に豊後竹田の二代目岡城主であった中川久盛の奥方、光顕院について、項をあらためて書かれていた。 そこにあったのは小坂薬師を再興して、常楽寺を建立したという光顕院の姿であった。 萩原家文書(伊豆長岡町小坂) 「東光山常楽寺縁起」の14-15ページ 寛文三(1663)陰暦9月 30日 中川山城守(久清)殿の母、菅原氏、光顕院専誉傳守尼大姉が造営した。 同四年 陰暦六月 鐘撞を鋳造してこの山にかけた。一打の鐘はたちまち遠近に響き朝晩の時刻を告げた。 修多羅経に曰く、一打の鐘は人びとが三階の苦しみを逃れることを願い、菩提を見ることを得んとす。 またこの檀家(光顕院)は延宝五年(1677年)の大水害大飢饉の時、毎朝仏に供物を捧げ、毎夕灯明をかかげた。 寺に石高15石を永久寄付し終わられたことであるとよ。 文政6年(1823年)七月下旬 これを写すものなり。 ーー「源頼政・菖蒲御前伝説とその回廊」中野貢 著 よりー つまり光顕院は小坂薬師のお堂を建直し、常楽寺を建立して御坊様に居てもらって小坂薬師を再興したのだ。 鐘を作って朝に夕に時を知らせた。アンジェラスの鐘である。農作業の終わりに、小坂の人々も祈ったかも知れない。 大水害大飢饉の時には、朝晩供物を挙げられるよう、ろうそくを買う費用とともに資金援助をしている。 寺領を持つという事は年貢を取られないということだ。寺の米は御坊様と檀家の人々のものになる。 だから御坊様は光顕院の位牌を置いて彼女の為に祈った。小坂薬師の再興とは、小坂地区の人々への援助である。 さらに「伊豆志」の資料が挙げられていた。享保(1716-1736)の頃に伊東祐綱によって纏められた資料だ。 小坂村常楽寺 寛文元年(1661)中川佐渡守(久恒)殿息女20才にして眼盲たり、 夢の告によってこの処の薬師に誓いのるに立処に眼開ける。 中川久恒(1641-1695)の娘は上出の佐津(1660-1714)で、1661年には数え年2才だった。この人の事だろうか。 光顕院には仙姫(1616-1686)という娘がいた。光顕院が小坂に行った時には、娘は47才になっている。 数え年で20才の時に水野忠職に嫁いでいた。この人の事だろうか。 おそらく、これは人々の推測であったのだろう。 こんなに小坂薬師にお金をつぎ込むのは、目の病の娘がいたからに違いないと。 薬師とは病気を治す仏様だ。ここは修験の場でもあるから、妙見菩薩にも祈っただろう。 妙見とは遠くまで見る事ができる能力の事らしい。だから目の病を治すための小坂薬師だったのだろう。 きっと光顕院様には、眼を患っている娘さんがいらっしゃるのだ、と、、。
204.イボとり地蔵の小石にも書いたけれど。イボ取り地蔵に祈る時、顔の回りのイボに水をつける。 その動作は、聖水をつけて十字を描く動作に似ている。キリシタンがイボ取り地蔵の前で祈ることが出来たのだ。 顔にイボが無い人は目が悪いと申告すればいい。まぶたに水をつける作業も、祈りの所作に似ているのだ。 誰かに見とがめられたら、近頃目がかすんで、と言えば良い。この水をつけると治るのだと。
鎌倉市山崎に山崎天神社がある。京都の北野天神を勧請した神社だ。 ここに立派な宝篋印塔があって、その石の窪みに溜まる水は眼病に効くのだと言う伝承がある。 「かまくら子ども風土記」にも載っている。 溜まり水を目につけたらもっと悪くなるぞと、思ったけれど。 十字を切って祈る姿を見とがめられたら、キリシタンだと言われて殺されるかも知れない。 だから眼病を治しに来たのだと言う。イボとは違って、眼がかすむかどうかは外から見てもわからない。 全国にあるイボ取り地蔵。あるいは眼病に効く水。それらはキリシタンの人々も祈ることが出来た場所だったのではないか。 キリシタンが祈ることができる場所が鎌倉にはあった、と思う。
伊豆の国市に小坂地区、常楽寺、善知鳥坂(うとうさか)がある。 鎌倉市小袋谷に小坂(おさか)郵便局と小坂小学校があり、隣の大船に常楽寺がある。 鎌倉市山崎の隣の町屋にはうとう坂があった。 鎌倉市山崎、台、小袋谷という狭い地域と静岡県伊豆の国市の古奈、小坂、沼津市。 それを繋ぐ光顕院と豊後竹田の岡城主中川久清。 鎌倉に東渓院ができる17年前の伊豆小坂地区の出来事である。
リーフレット「星月夜の鎌倉と塔の辻」地湧社 60頁 600円。 私家版「織姫星と鎌倉」 272頁 2000円。 メールしていただければ郵送いたします。
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***メールは亀子宛へ*** ( 9.JUN. 2017)
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十字形手水鉢(神奈川県藤沢市)
:::::目次:::::
:::Top最新のページ::: ▲・・・地図上の直線 地図に線を引くとわかる設計 (ランドデザイン) ★・・・地上の星座 天体の運行を取り入れた景観
:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::
▲3.霊仙山20Apr:::
:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::
▲6.道の意匠:::
:::7.修験道の現在形:::
:::8.鎌倉の白い岩:::
:::9.セキサンガヤツ:::
★10.若宮大路のカレンダー:::
▲11.神奈川県の鷹取山:::
▲12.鎌倉の正三角形:::
:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::
:::15.夜光る山:::
:::16.下りてくる旅人:::
:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::
:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::
▲21.熊野神社の謎:::
▲22.熊野神社+しし石:::
▲23.北鎌倉の地上の昴:::
★24.ふるさとの北斗七星:::
★25.労働条件と破軍星:::
★26.北条屋敷跡の南斗六星:::
:::27.星と鎌と騎馬民 :::
★28.江の島から見る北斗と昴 :::
★29.由比ケ浜から見る冬の星 :::
:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::
▲31.御嶽神社の謎:::
★32.塔の辻の伝説(1) :::
★33.昇竜の都市鎌倉(2):::
★34.改竄された星の地図(3):::
★35.すばる遠望(小休)(4):::
▲36.長谷観音レイライン:::
★37.星座早見盤と金沢文庫:::
▲38.鎌倉の墓所と鎮魂:::
▲39.ふるさとは出雲:::
▲40.義経の弔い:::
▲41.「塔の辻」の続き:::
▲42.子の神社:::
:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::
:::48.ふたつあることについて:::
:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::
:::50.たたり石:::
:::51.鎌倉の十三塚:::
★52.陰陽師のお仕事:::
▲53.坂東平氏の大三角形と星:::
▲54.大船でみつけた平将門:::
▲55.神津島と真鶴:::
▲56.鷹取山のタカ (八王子市と鎌倉市):::
▲57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
▲58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::
:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::
▲60.重なり合う四神:::
:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::
:::63.吾妻社:::
▲64.約束の地(小休):::
★65.若宮大路の傾き(星の都1):::
★66.國常立尊(星の都2):::
★67.台の天文台(星の都3):::
▲68.鎌倉の摩多羅神:::
★69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
★70.鎌倉と姫路(星の道2):::
★71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::
★72.環状列石のしくみ (五芒星1)::: ★73.環状列石の使い方 (五芒星2)::: ★74.関谷の縄文とスバル (五芒星3):::
▲75.十二所神社のウサギ:::
:::76.針摺橋:::
▲77.平安時代のジオラマ:::
▲78.獅子巌の四神 (藤原氏の鎌倉):::
▲79.亀石によせる:::
▲80.山頂の古墳:::
:::81.長尾道路の碑 (横浜市戸塚区):::
★82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
★83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
★84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
★85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
★86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::
:::87.実方塚の謎(1) 鎌倉郡小坂郷上倉田村:::
:::88.戸塚町の謎(2) 鎌倉郡小坂郷戸塚町:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4) 栃木県宇都宮市雀宮町:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5) 茨城県古河市:::
:::92.北鎌倉の悲劇:::
▲:::93.こぶた山と奈良東大寺:::
:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::
▲96.海軍さん通りの夕日:::
▲★97.今泉不動の謎:::
▲98.野七里:::
▲99.染谷時忠の屋敷跡:::
★100.三ツ星とは何か (またはアキラについて):::
:::48.ふたつあることについて:::
▲101.亀の子山と磐座、火山島:::
★102.秦河勝の鎌倉:::
▲103.由比若宮(元八幡):::
▲104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
▲105.北鎌倉 台の光通信:::
★106.鎌倉の占星台:::
★107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
▲150.鎌倉 五芒星都市::: ▲158.第六天社と安部清明碑::: ▲159.桜山の朱雀(逗子市)::: ★160.双子の二子山と寒川神社::: :::161.ゴエモンの木::: :::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉::: :::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発)::: ★167.地上の銀河と星の王1(平塚市)::: ★
168.地上に降りた星の王2 (鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)::: ★
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る)::: :::
175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説)::: ★
176.おんめさまとカガセオ::: ★
177.南西214度の縄文風景 2 (大湯環状列石とカナイライン):::
★
178.御霊神社と鎌倉 (南西214度の縄文風景3):::
★
179.源頼朝の段葛とカガセオ (南西214度の縄文風景4):::
:::
184.鎌倉の小倉百人一首:::
:::
185.鎌倉の小倉百人一首 2:::
:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::
:::206.庚申様はすばる星(すばる星1):::
:::207.六所神社のすばる星(すばる星2)::: +
215.権五郎神社と彦星+ +
216.扇湖山荘と星+ +
217.その八重垣をギャラクシーという+ +
218.逗子市沼間の地上の北斗+ +
219.星宿橋と梅田川の北斗+ +
220.徳蔵山東渓院と梅田川の北斗+ +
221.東慶寺の景観とすばる星+ +
222.大船の南斗六星と星ガ谷+ ++
223.長岡京の彦星線+
++
224.二宮町の出雲八重垣+
225.六人の勇士 池子の蛇退治1+ + 226.石楯尾神社の星+ +
227.阿蘇内牧温泉の星+ 228.阿蘇神社と鶴岡八幡宮+ 229.カガセオの星+ 230.摩多羅神の居る鎌倉+ 231.深沢の星景色+ 232.鎌倉の熊野神社+ 233.猪鹿狼寺の秘密+ 234.泣塔が見ていた星+ 235.霜月祭のヘンバイと星+ 237.京都下鴨神社の星+ 239.スカイ島の立石と銀河 The Storr&MilkyWay Scotland&Cygnus/1+ 240.オークニー島の世界遺産と天の川 Heart of Neolithic Orkney&Cygnus Scotland&Cygnus/2+ 241.緑の洞門(北鎌倉駅のトンネル)とその稜線について+ 242.緑の洞門と北鎌倉の星の景観+ 243.「道の先」と円覚寺、東慶寺、浄智寺の星景色+
244.藤原の宮の御井の歌+ + 245.見開かれた眼+ 246.高市皇子の星空 藤原宮御井歌2+ 247.天文現象の事実と記載された歴史の差 藤原宮御井歌3+
248.天武天皇とすばる星 藤原宮御井歌4+ 254.越木岩神社とイワクラ+
255.永福寺跡の星景色+
256.北西312度の白鳥座+ 257.源頼朝の古式巻狩+ 258.天の川が地平線を覆う星景色(かさね石)+
259.鳥羽三女神の星景色 熊野4+
262.北斗七星の滑川+
263.深沢の星景色から「鎌倉」を知る+
264.鎌倉の太子道 飛鳥と鎌倉+
265.米良神楽の星景色と鎌倉神楽+
266.遺跡としての風景 島根県安来市の十神山+
267.丸亀、斑鳩、橿原、鎌倉。 すばる星の下に+
......池子王の戦い 池子の蛇退治2+
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