北鎌倉の石仏
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:::Top 最新の目次に戻る::: +亡備録 私的用語集+
○大淀三千風の日本行脚文集○
+++キリシタンと江戸文化
+110.東渓院菊姫 北鎌倉と豊後竹田+
+111.キリシタンの二十三夜★
+112.東慶寺の姫+
+113.徳川直轄地の キリシタン+
+114.キリシタン受難像+
+115.江戸の幽霊 お岩とお菊+
+116.江戸の狂歌師 酔亀亭天広丸+
+117.江戸の蕎麦とお菓子+
+118.禁止された教え+
+119.葛飾北斎の1834年 旅する江戸人1+
+120.近松門左衛門の1719年 旅する江戸人2+
+121.大淀三千風の1686年 旅する江戸人3+
+122.大淀三千風の鴫立庵+
+123.柴又帝釈天の1779年 旅する江戸人4+
+124.飯島崎の六角の井+
+125.古狸塚+ +126.六地蔵・芭蕉の辻と 潮墳碑+
+127.キリシタン洞窟礼拝堂+ +128.十字架の菜の花+
+129.黙阿弥の白波五人男+
+130.大山の木食上人 旅する江戸人5+
+133.「忠直乱行」を読む 旅する江戸人6+
+135.駿河大納言忠長の遺業 旅する江戸人7+
+136.松平忠長の侍達 旅する江戸人8+
+137.許六と芭蕉+
+138.忠直とサンチャゴの鐘 豊後竹田と北鎌倉+
+139.沖の花(大分 瓜生島伝説)+
+140.鎌倉の庚申塔1・キリスト磔刑図+
+141.鎌倉の庚申塔2・嘆きの猿+
+142.鎌倉の庚申塔3・猿の面+
+143.曾根崎心中の道行き+
+144.義経千本桜の幻惑+
+145.建長寺のジョアン+
+147.椿地蔵と手まり歌+
+148.鎌倉という名の火祭り+
+149.玉藻ノ前と殺生石+ +151.不屈の第六天社(藤沢)+ +152.第六天の女神(戸塚)+ +153.玉縄城の第六天(鎌倉)+
+154.お花畑と後北条氏+
+155.落柿舎と鎌倉地蔵+ +157.平塚の4手の庚申塔+ +162.十文字鳥居と手水鉢 (藤沢市江ノ島)+ +163.八橋検校の秘曲と「千鳥」+
+164.半僧坊と明治憲法+
+165.夜空にかかる十字架 (明月院の谷)+
+169.馬頭観音の天衣(1)+
+170.マリアの石碑(2)+
+171.マリアの影を石に刻む(3)+ +172.六地蔵、葎塚(むぐらづか)と芭蕉(山梨県)+ +173.化粧するお地蔵様+ +180.大淀三千風のすみれと芭蕉+ +181.謡坂と善智鳥 (うとうざかとウトウ)+ +182.善知鳥と江戸大殉教+ +183.芭蕉の見た闇 (名古屋市・星崎)+ +186.キリシタンの古今伝授+ +187.鎌倉仏教とマニ教+ +188.謎の桜紋+ +189.西行と九尾の狐+ +190.○と□ (丸と四角、マリアとイエス)+ +191.踊場の猫供養塔(横浜市泉区)+ +
193.貞宗院様の遺言(貞宗寺:鎌倉市植木)+ +
194.崇高院様の山門(成福寺:鎌倉市小袋谷)+ +
195.鎌倉光明寺54世松誉上人(書かれた文字1)+ +
196.涌井藤四郎の新潟湊騒動(書かれた文字2)+ +
197.鎌倉大仏縁起・(書かれた文字3)+ +
199.扁額にある記号(書かれた文字4)+ +
200.こゆるぎの松 (1鎌倉の小動)+
+201.城山公園の石碑 (2大磯の小動)+
+202.小ゆるぎの里 (3寒川の小動)+
+203.謡曲「隅田川」と田代城主+ +204.イボとり地蔵の小石+
+205.港町の杯状穴+
+206.庚申様はすばる星(すばる星1)+
+207.六所神社のすばる星(すばる星2)+
+208.キリシタンと庚申様(すばる星3)+ +
209.鎌倉キリシタンの伝承 1+ +
210.東渓院の領地+ +
211.大坂城の遺児 鎌倉キリシタンの伝承 2+ +
212.手広村の大岡様 鎌倉キリシタンの伝承 3+
213.田代寺安養院 鎌倉キリシタンの伝承 4+ +
214.水戸光圀の鎌倉案内 鎌倉キリシタンの伝承 5+ +
220.徳蔵山東渓院と梅田川の北斗 鎌倉キリシタンの伝承 6+
236.山崎の女領主相高院 鎌倉キリシタンの伝承 7+
238.豊後国岡城主中川久盛室、久松萬姫の「伊香保記」 +
249.萬姫の北鎌倉お散歩漫歩1崇法院琴姫様と山崎の谷戸 + +
250.北鎌倉明月院洞窟と竹田市の三日月岩 +
+
251.萬姫の北鎌倉お散歩漫歩2山崎にまつわる家康公の姫君たち + +252.萬姫のお散歩漫歩3「消えた村」善行寺村の謎 + +253.萬姫のお散歩漫歩4 葡萄の蒔絵と北鎌倉の琴姫様 + +260.夏目漱石のキリシタン1 + +261.「吾輩は猫である」とキリシタン + +268.豊後竹田岡城主、中川久清公の浄因寺 (静岡県沼津市三津) + +269.光顕院の御湯治と小坂薬師 (静岡県伊豆の国市小坂)+ +277.山崎の女領主を追いかけて10年目のまとめ+ +282.大船地区の神社の位置(鎌倉)+
+283.幸徳事件を鎌倉郡戸塚町で思う(横浜市戸塚区)+
江戸文化に キリシタンの影響を見る。見ず 聞かず 言はざる までは つなげども 思はざる こそ つながれもせず(心に思う事を 罰する事はできない) 諸国里人談 巻三一「三猿堂」 菊岡沾凉(米山)著1743年刊
写真集 私説:キリシタン遺物と その影響下に作られたと思われる 石碑と石仏
亀の蔵 「鎌倉、まぼろしの風景」 の要約。 書かなかったことや 後から書き足す事ども。
知る者は言わず 言う者は知らず《老子》
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私家版「織姫星と鎌倉」、リーフレット「星月夜の鎌倉と塔の辻」をぜひご覧下さい。鎌倉駅前蔵書室で読むことが出来ます。 Facebook いにしえの星景色 に参加しています。
284.伊勢外宮の星と鎌倉 伊勢神宮(皇大神宮)は太陽神アマテラスを祀る。この神の社をどこに定めたら良いか、各地を旅した倭姫(やまとひめ)が現在地に磯宮を建立し、これが伊勢内宮であるという。猿田彦を祀る一族の末裔が、五十鈴川の上流の地を姫に勧めたのだと言う。従属する証に一族の神の社を差し出したのだと想像してみる。アマテラスが祀られる以前は、どんな神が鎮座していたのだろうか。
万葉集の巻頭に歌が載せられている雄略天皇(5世紀末頃)の時代に、「等由気太神(とゆけおおかみ)を呼び寄せるように」というアマテラスの神託によって、山田の原に豊受大御神を祀ったという。伊勢外宮(豊受大神宮)である。この神は丹波国の比治の真奈井(ひじのまない)に祀られる御饌の神である。外宮にトヨウケが招かれる前は、どんな神が鎮座していたのだろうか。
丹波国の北部が丹後国となったのは713年だという。日本海に面し、大陸と交流のあった京都府の北西部が、古墳時代に丹波の中心地であったそうだ。 京都府京丹後市弥栄町舟木と京都府宮津市由良宮ノ上に、奈具神社がある。御祭神は豊宇賀能賣(とようかのめ)である。伊勢外宮のトヨウケである。 この二つの奈具神社に、丹波の羽衣伝説が伝わっている。失われた「丹後国風土記」からの引用文として伝わっている。
「丹後の国の風土記に曰く、丹後国丹波の郡。郡家の西北の隅の方に比治の里あり。此の里の比治山の頂きに井あり。其の名を真奈井と云ふ。今はすでに沼と成れり。此の井に天女八人降りて来て水浴[みかはあ]みき…」 引用:JR西日本 BlueSignal July2006.vol.107 特集 古代と現代をつなぐ丹後の伝承
比治山(磯砂山)の山頂に真奈井という泉があった。ここで天女八人が水浴をしていた。老夫婦に羽衣を隠されてしまった乙女が、天に帰れなくなった。天女は老夫婦の娘となり、酒を醸して夫婦に与えた。酒は万病にきく薬と言われて広まり、夫婦は裕福になった。しかし天女は十余年後に追い出され、漂泊した末に奈具村に至り、そこで安寧に暮らした。この天女が御祭神の豊宇賀能売命(とようかのめ、トヨウケビメ)であり、奈具社の由来である。
山頂に泉がある。印象的な風景だ。神奈川県三浦郡葉山町下山口の峰山にも、山頂に大池がある。星を映す池だっただろうと拙著「織姫星と鎌倉」に書いた。葉山の大池は真名井だったのだろうか。葉山にはそんなに古くからの池が、あるのだ。 「池に星を映す」とは。池の水面に星を見ることだ。空の星が池に入っている。天女が空から下りてきて池で水浴びをしているのだ。その乙女は八人いて、七人は空に帰ったのである。その星は何と言う星だろう。
北斗七星は八つの星であると、古くから語られている。柄杓の柄の端から二番目の星ミザール(2等星)のすぐ側にアルコル(4等星)という伴星がある。この暗い星を含めて八つの星という。その事は普通に皆が知っている事であった。街灯が無く夜空が十分に暗かった時代は、アルコルも見えていたのだ。大阪府交野市星田の星田妙見宮の紋に、アルコルが描かれている。 その他に。 音楽の教科書にも載った「こきりこ節」の歌詞に「こきりこの竹は七寸五分じゃ」とある。七寸五分は7.5 だ。 神奈川県鎌倉市の常楽寺の縁起に、建長寺を開いた蘭渓道隆の侍僮が正体を現して竜になり、境内の銀杏の木を七巻半した、とある。7.5 だ。 神社の正面の賽銭箱の上に鈴が掲げてある。大きな鈴が一個だと、北極星だなあと思う。沢山の鈴が束ねてある場合、よく見ると必ず一つは小さな鈴が混じっている。北斗七星である。7.5 だ。 この0.5 がアルコルであり八番目の北斗七星だ。
だから天に帰ることができなかった天女はアルコルであり、奈具神社の御祭神であり伊勢外宮のトヨウケであるという。 そんな刺激的な論説をネットで読んだ。 「これでも神主さんなの!?」熊山物語り補帖 伊勢神宮考(1) では、伊勢外宮の御祭神はアルコル、星神であるという。 さらに、北西は穀物の保存に適した方位であるとして、倉が作られた。古代に於いて倉とは穀物庫であったという。伊勢内宮から見て北西にあるのが外宮。だから外宮は穀物の神である、と。
伊勢内宮から外宮へ、地図上で線を引いてみる。
Googlemapにskitchで作図
赤い線は北西330度である。北から30度西に傾く線だ。そこに穀物庫としての外宮があった。 古代の倉と言ったら奈良の正倉院だ。正倉院にこの赤い線をのせてみた。
Googlemapにskitchで作図
東大寺講堂跡から330度の先に正倉院正倉があった。講堂は756年頃に作られたそうだ。ぴったりだ。正倉院は東大寺の倉なのだから、当然なのだ。
正倉とは元来、律令時代に各地から集められた米穀や調布を保管する倉で、役所に設けられたものだそうだ。 と言えば、鎌倉市民は御用邸跡を思い出すだろう。今小路西遺跡である。 御用邸跡は鎌倉市立御成小学校になっている。小学校の改築工事中に、ここから鎌倉時代の屋敷跡と、その下に平安時代の倉庫跡、そしてその下に鎌倉郡の郡衙(ぐんが)が発掘された。税として納められた米や布の倉庫群である。天平五年(733年)と書かれた木簡が近くから出土している。 そこに赤い線を重ねてみた。北西に倉を造った人はどこに居たのだろう。
Googlemapにskitchで作図
赤い線は元八幡に行き着く。鶴岡八幡宮はここから移転して現在地にある。 なぜここに元八幡が有るのか、それは「鎌倉、まぼろしの風景」の由比若宮(元八幡)に書いた。
天平8年(736年)に海光山新長谷寺ができた。作ったのは藤原房前(ふささき681-737)である。藤原不比等の息子は四年前に東海道節度使に任じられていた。関東地方の行政監察である。弟の麻呂が翌年に陸奥に赴任しているから、任期の最期の年に寺が出来上がったのだ。今の長谷観音だ。この真東に元八幡はある。 由比ケ浜の水際を越えて、夕日の輝く西に黄金の観音が据えられた。それを見ることができるのは、建築主の房前だ。 私は元八幡の位置に藤原房前の屋敷があったのだろうと想像した。正三位、参議である藤原氏の屋敷跡に正四位下の源頼義が氏神の社を建てた。それは武家の隆盛を表している。公には許されない事なのだろう。だから吾妻鏡には、この辺りは市場があって貴人の館などは無いんだというような言い訳が書かれている。 「房前屋敷跡」は鎌倉幕府によって消されているのだと思う。 その元八幡からみて、330度の先に郡衙の正倉があったのだ。
長くなったけれど、やっと結論に向うことができる。 伊勢内宮から見て、北西330度の先に伊勢外宮がある。トヨウケは酒の神、食物の神なので、後に穀物庫が作られる方位になった。その神は北斗七星の八人目の天女。伴星アルコルである。 それならば。 プラネタリウムのアプリ、Stellariumで、750年の鎌倉の星空を再現してみる。東から西へ星が動いて見える。やがてアルコルが北西330度にやってくる。その空を見た。 天の川が天頂を通過している。そこに白鳥座があった。白鳥座の中央のサドルが南中している。
Stellariumにskitchで作図
真鍋大覚は「儺の國の星」に書いている。白鳥座の中心に、全天一巨大な赤い星があったと。それがカガセオの星。消えた星。アメノミナカヌシであると。 私はそれが猿田彦であり白鬚様であり、天の太神宮であると思っている。
伊勢内宮から見て330度の方にアルコルを祀る外宮を作った。アルコルは刻々と位置を変えるのに、地上に330度の線を刻印したのだ。 それはなぜか。それは伊勢内宮に居る観察者の頭上に白鳥座を迎えるためである。 かつて内宮に祀られていた神を、330度の線が示している。おそらく元八幡の地にも、白鳥座が祀られていたに違いない。 伊勢内宮の真上に白鳥座が輝いている。 元八幡に立つ人の頭上に白鳥座が来ている。
伊勢内宮ができて、星神が太陽神に置き換わった時に、外宮のアルコルは忘れられた。でもこの土地に住む人々は、寂れていく外宮を見るに偲ばず、再興を願い出る。そこで伊勢内宮は丹波からトヨウケの神を迎え入れた。元々祀られていた神をここであらためて迎えたのである。 この時にトヨウケはアルコルから稲荷に変身している。星の伝承は「丹後国風土記」に記録され、そして風土記ごと、失われたのだ。そんなふうに想像してみた。 それはつまり、アマテラス信仰の前は白鳥座を見ていた。星神の時代であった、と、想像できる。
リーフレット「星月夜の鎌倉と塔の辻」地湧社 60頁 600円。 私家版「織姫星と鎌倉」 272頁 2000円。 メールしていただければ郵送いたします。
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***メールは亀子宛へ*** ( 25.Oct. 2018)
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| 十字形手水鉢(神奈川県藤沢市)
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:::Top最新のページ::: ▲・・・地図上の直線 地図に線を引くとわかる設計 (ランドデザイン) ★・・・地上の星座 天体の運行を取り入れた景観
:::1.天平の星の井19Apr:::
:::2.虚空蔵菩薩堂:::
▲3.霊仙山20Apr:::
:::4.飛竜の都市:::
:::5.分水嶺:::
▲6.道の意匠:::
:::7.修験道の現在形:::
:::8.鎌倉の白い岩:::
:::9.セキサンガヤツ:::
★10.若宮大路のカレンダー:::
▲11.神奈川県の鷹取山:::
▲12.鎌倉の正三角形:::
:::13.鎌倉の名の由来:::
:::14.今泉という玄武:::
:::15.夜光る山:::
:::16.下りてくる旅人:::
:::17.円覚寺瑞鹿山の端:::
:::18.鎌倉の獅子(1):::
:::19.望夫石(2):::
:::20.大姫の戦い(3):::
▲21.熊野神社の謎:::
▲22.熊野神社+しし石:::
▲23.北鎌倉の地上の昴:::
★24.ふるさとの北斗七星:::
★25.労働条件と破軍星:::
★26.北条屋敷跡の南斗六星:::
:::27.星と鎌と騎馬民 :::
★28.江の島から見る北斗と昴 :::
★29.由比ケ浜から見る冬の星 :::
:::30.鎌倉の謎(ひと休み) :::
▲31.御嶽神社の謎:::
★32.塔の辻の伝説(1) :::
★33.昇竜の都市鎌倉(2):::
★34.改竄された星の地図(3):::
★35.すばる遠望(小休)(4):::
▲36.長谷観音レイライン:::
★37.星座早見盤と金沢文庫:::
▲38.鎌倉の墓所と鎮魂:::
▲39.ふるさとは出雲:::
▲40.義経の弔い:::
▲41.「塔の辻」の続き:::
▲42.子の神社:::
:::43.松のある鎌倉(1):::
:::44.星座早見盤と七賢人(2):::
:::45.山崎の里(3):::
:::46.おとうさまの谷戸(4):::
:::47.将軍のいましめ(5)井関隆子:::
:::48.ふたつあることについて:::
:::49.万葉集の大船幻影(休憩):::
:::50.たたり石:::
:::51.鎌倉の十三塚:::
★52.陰陽師のお仕事:::
▲53.坂東平氏の大三角形と星:::
▲54.大船でみつけた平将門:::
▲55.神津島と真鶴:::
▲56.鷹取山のタカ (八王子市と鎌倉市):::
▲57.鷹取山のタカ2(鷹の死):::
▲58.鷹取山のタカ3(宝積寺):::
:::59.岩瀬、伝説が生まれた所:::
▲60.重なり合う四神:::
:::61.洲崎神社:::
:::62.語らない鎌倉:::
:::63.吾妻社:::
▲64.約束の地(小休):::
★65.若宮大路の傾き(星の都1):::
★66.國常立尊(星の都2):::
★67.台の天文台(星の都3):::
▲68.鎌倉の摩多羅神:::
★69.地軸の神(星の道1):::
+++おわびと訂正+++
★70.鎌倉と姫路(星の道2):::
★71.頼朝以前の鎌倉(星の道3):::
★72.環状列石のしくみ (五芒星1)::: ★73.環状列石の使い方 (五芒星2)::: ★74.関谷の縄文とスバル (五芒星3):::
▲75.十二所神社のウサギ:::
:::76.針摺橋:::
▲77.平安時代のジオラマ:::
▲78.獅子巌の四神 (藤原氏の鎌倉):::
▲79.亀石によせる:::
▲80.山頂の古墳:::
:::81.長尾道路の碑 (横浜市戸塚区):::
★82.柏尾川 天平の大船幻想1 :::
★83.玉縄 天平の大船幻想2 :::
★84.長屋王 天平の大船幻想3 :::
★85.万葉集と七夕 天平の大船幻想4 :::
★86.玉の輪荘 天平の大船幻想5 :::
:::87.実方塚の謎(1) 鎌倉郡小坂郷上倉田村:::
:::88.戸塚町の謎(2) 鎌倉郡小坂郷戸塚町:::
:::89.こぶた山と雀神社(3):::
:::90.雀神社の謎(4) 栃木県宇都宮市雀宮町:::
:::91.実方紅雀伝説と銅(5) 茨城県古河市:::
:::92.北鎌倉の悲劇:::
▲:::93.こぶた山と奈良東大寺:::
:::94.王の鳥ホトトギスとミソサザイ:::
:::95.悪龍と江の島:::
▲96.海軍さん通りの夕日:::
▲★97.今泉不動の謎:::
▲98.野七里:::
▲99.染谷時忠の屋敷跡:::
★100.三ツ星とは何か (またはアキラについて):::
:::48.ふたつあることについて:::
▲101.亀の子山と磐座、火山島:::
★102.秦河勝の鎌倉:::
▲103.由比若宮(元八幡):::
▲104.北鎌倉八雲神社の山頂開発:::
▲105.北鎌倉 台の光通信:::
★106.鎌倉の占星台:::
★107.六壬式盤と星座早見盤:::
:::108.常楽寺 無熱池の伝説:::
:::131.稲荷神社の句碑:::
:::132.鎌倉に来た三千風:::
:::146.幻想の田谷 横浜市栄区田谷:::
▲150.鎌倉 五芒星都市::: ▲158.第六天社と安部清明碑::: ▲159.桜山の朱雀(逗子市)::: ★160.双子の二子山と寒川神社::: :::161.ゴエモンの木::: :::134.ここにあるとは 誰か知るらん:西郷四郎、会津と鎌倉::: :::166.防空壕と遺跡(洞門山の開発)::: ★167.地上の銀河と星の王1(平塚市)::: ★
168.地上に降りた星の王2 (鹿嶋神宮、香取神宮、息栖神社)::: ★
174.南西214度の縄文風景(金井から星を見る)::: :::
175.おんめさま産女(うぶめ)伝説 (私説)::: ★
176.おんめさまとカガセオ::: ★
177.南西214度の縄文風景 2 (大湯環状列石とカナイライン):::
★
178.御霊神社と鎌倉 (南西214度の縄文風景3):::
★
179.源頼朝の段葛とカガセオ (南西214度の縄文風景4):::
:::
184.鎌倉の小倉百人一首:::
:::
185.鎌倉の小倉百人一首 2:::
:::156.せいしく橋の伝説:::
:::109.北谷山福泉寺の秘密:::
:::192.洞窟と湧水と天女:::
:::198.厳島神社の幟旗:::
:::206.庚申様はすばる星(すばる星1):::
:::207.六所神社のすばる星(すばる星2)::: +
215.権五郎神社と彦星+ +
216.扇湖山荘と星+ +
217.その八重垣をギャラクシーという+ +
218.逗子市沼間の地上の北斗+ +
219.星宿橋と梅田川の北斗+ +
220.徳蔵山東渓院と梅田川の北斗+ +
221.東慶寺の景観とすばる星+ +
222.大船の南斗六星と星ガ谷+ ++
223.長岡京の彦星線+
++
224.二宮町の出雲八重垣+
225.六人の勇士 池子の蛇退治1+ + 226.石楯尾神社の星+ +
227.阿蘇内牧温泉の星+ 228.阿蘇神社と鶴岡八幡宮+ 229.カガセオの星+ 230.摩多羅神の居る鎌倉+ 231.深沢の星景色+ 232.鎌倉の熊野神社+ 233.猪鹿狼寺の秘密+ 234.泣塔が見ていた星+ 235.霜月祭のヘンバイと星+ 237.京都下鴨神社の星+ 239.スカイ島の立石と銀河 The Storr&MilkyWay Scotland&Cygnus/1+ 240.オークニー島の世界遺産と天の川 Heart of Neolithic Orkney&Cygnus Scotland&Cygnus/2+ 241.緑の洞門(北鎌倉駅のトンネル)とその稜線について+ 242.緑の洞門と北鎌倉の星の景観+ 243.「道の先」と円覚寺、東慶寺、浄智寺の星景色+
244.藤原の宮の御井の歌+ + 245.見開かれた眼+ 246.高市皇子の星空 藤原宮御井歌2+ 247.天文現象の事実と記載された歴史の差 藤原宮御井歌3+
248.天武天皇とすばる星 藤原宮御井歌4+ 254.越木岩神社とイワクラ+
255.永福寺跡の星景色+
256.北西312度の白鳥座+ 257.源頼朝の古式巻狩+ 258.天の川が地平線を覆う星景色(かさね石)+
259.鳥羽三女神の星景色 熊野4+
262.北斗七星の滑川+
263.深沢の星景色から「鎌倉」を知る+
264.鎌倉の太子道 飛鳥と鎌倉+
265.米良神楽の星景色と鎌倉神楽+
266.遺跡としての風景 島根県安来市の十神山+
267.丸亀、斑鳩、橿原、鎌倉。 すばる星の下に+
270.衣張山をどこから見るか (神奈川県鎌倉市)+
271.二上山の日没と白鳥座 (双耳峰2)+
272.讃岐七富士堤山と飯野山 (双耳峰3)+
273.石木の星景色(ご来光と星)+
274.安閑神社の神代石(滋賀県高島町)+
275.御所原遺跡と二ツ森(岩手県一戸郡)+
276.波切神社と鎌倉の星の井(三重県志摩市大王町)+
278.W字に流れる川はカシオペア座である(群馬県の鏑川)+
279.星の祭り(創作)+
280.笠間中央公園遺跡から見る天神山と環状列石+
281.蝦夷が祀った神+
284.伊勢外宮の星と鎌倉+
......池子王の戦い 池子の蛇退治2+
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